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2020年12月30日水曜日

ミュンヘン (2005)

スティーブン・スピルバーグの久しぶりの社会派ドラマは、1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるパレスチナ武装集団「黒い九月」によってイスラエルの選手11名が殺害された事件に端を発し、犯行に関わった人々をイスラエルが国を挙げて暗殺していった実話をもとにしています。

連合赤軍などが覚めやらぬ日本で、リアルタイムにまだ中学生だった自分の場合、遠い異国での凄い事件という認識以上のものはありませんでした。従って、この作品を見るためには、それなりの知識を勉強しなおす必要があり、さすがにユダヤ系アメリカ人であるスピルバーグもそこまで親切ではありません。

しかし、それでも長い歴史の中で迫害連れ続けてきたユダヤ人のことも、ある意味かつてのユダヤ人のように国を持てない苦しみの中にいるパレスチナ人のことも、本当に理解することは日本人には不可能であると思います。

映画の中でも、スピルバーグは比較的両者を公平に扱ったために、ユダヤとバレスチナの双方から批判をされたようですが、そういう意味では、この事件についてどちらの方を持つこともできない日本人は、映画として冷静に鑑賞することができるのかもしれません。

1972年9月5日、開催中のミユンヘン・オリンピックの選手村に、パレスチナの「黒い九月」の8名が侵入し、イスラエル選手団2名を殺害し、9名を人質に取り捕まっているパレスチナ人234名の解放を要求しました。

イスラエルの女傑首相ゴルダ・メイアは要求を拒否し、西ドイツ当局は武力鎮圧を計画します。テロリストは飛行機での脱出を要求し、人質と共にヘリコプターで空軍基地に到着。待機していた狙撃手の発砲により銃撃戦になりました。人質9名全員と警察官1名、そしてテロリストもリーダーを含む5名が死亡しました。

比較的事実に基づいたものとしては、1976年に「テロリスト・黒い九月 ミュンヘン」というTV用映画があり、日本語字幕付きでYouTubeで視聴が可能です。

さて、これからがこの映画のストーリーになるのですが、ここでもスピルバーグは「銀残し」のテクニックを全編にわたって適用し、白黒に近い彩度で、コントラストの強い緊張感のある映像を作りました。

メイア首相の肝入りで「神の怒り作戦」と呼ばれた報復が始動します。事件に関わった、パレスチナ側の主要人物を暗殺するために、イスラエル諜報部(モサド)のメンバーが選抜され、彼らはアイデンティティーを消去してヨーロッパに送り込まれます。

映画上は、チームはリーダーのアヴナー (エリック・バナ)、運転のプロであるスティーヴ( ダニエル・クレイグ)、爆弾製造のロバート(マチュー・カソヴィッツ)、現場の後始末をするカール(キアラン・ハインズ)、そして偽造文書作成のハンス(ハンス・ツィッシュラー)の5人。いずれも諜報活動に長けていたわけではなく、あくまでも面子が割れていないという理由からの人選。

映画は、こどもが誕生する直前のアヴナーを中心に展開していきます。事実に沿って、順調に暗殺を繰り返していくうちに、彼らの中にはしだいに人を殺すことに対する慣れが生まれてくる一方で、自分たちのやっていることの正当性に対する疑念も生じてくるのです。

アヴナーは唯一、妻にかける電話だけが精神を保つ拠り所でした。しかし、相手にも自分たちの存在が知れるところになり、カールとハンスが殺され、ロバートも爆弾製造に失敗して失います。

一定の成果を残したアヴナーは帰国し、これ以上の仕事はできないと上司に言い、妻子を避難させていたニューヨークに飛びますが、毎晩悪夢にさいなまれ、自分だけでなく家族にも危害が及ぶのではないかという恐怖がつきまとうのでした。

実際には、ノルウェイで事件の黒幕サラメを暗殺しようとして、人違いで一般人を射殺したことから、逮捕された工作員が自供しイスラエルの国家的計画が露見しています。もちろん、イスラエルは今でもこれらの作戦については公式には否定し続けています。

もともと殺人の訓練を受けていない集団が、次から次へと国ために人殺しをしていくプロセスは、やはり日本人には理解しにくい。しかし、その精神的な重圧は人を人でなくするには十分であることはわかります。

スピルバーグも、そこには正義が無いことを認めているのでしょう。実際、殺されていく敵は、いずれも彼らにとってごく普通の常識的な生活をしていることが十二分に描かれています。特に、偶然パレスチナ側の戦士らと一晩を過ごすことになった時、アヴナーは彼らもまた国を求めていつまででも戦い続ける話を聞くことになります。

当然、911事件と、それに対するアメリカの湾岸戦争などの報復行動に対してのメッセージを見て取れる。ラストシーンで、アヴナーが見つめる先には、倒壊する前の世界貿易センタービルが合成されていることからも明らかです。

結局、スピルバーグは、この事件そのものの犯人であるパレスチナも、そして報復に出たイスラエルに対しても否定はしないが、その連鎖が関わった人々を幸せにする物ではなく、この問題の解決には役に立っていないことを訴えたかったのだと思います。

相容れない立場の違いは、真っ向からお互いの正義がぶつかり合うだけということ。確かに今や世界はテロリズムが常態化し、どこにも勝者を見出せない泥沼の中にあります。

主演のバナは、オーストラリアのコメディアンからハリウッドに進出し、「ブラック・ホークダウン(2001)」、「ハルク(2003)」などで注目されました。スティーヴはこの後ジェームズ・ボンドに起用されています。

また、標的の居場所の情報を提供する組織の「家長」として、「007/ムーンレイカー」の悪役だったマイケル・ロンズテールが登場。アヴナーの妻は、イスラエルの代表的な女優であるアイェレット・ゾラーで、この撮影時は役と同じで実際に妊娠していました。

映像作家としてのスピルバーグとしては、現代に持続する問題に切り込んだことは高く評価されるところです。アカデミー賞では複数のノミネートがありましたが受賞は逃しましたが、彼のキャリアとしては最も強いメッセージを備えた作品として高い評価がされていいと感じました。