夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2010年1月14日木曜日

家庭教師とか塾とか・・・

告白します・・・っていうほどの大袈裟なことでもないのですが、小学校の時、たぶん6年生のときでしたか、家庭教師に勉強を教わっていたことがあります。父の友人の息子で、おそらく大学生だったのだと思います。

その家庭教師の先生から、クリスマスプレゼントにサイモン&ガーファンクルのレコードを貰ったことがありました。今でもよく聴く音楽の一つとして残っているのです。家庭教師が来ているというのは、なんとなく恥ずかしい感じがして大っぴらに話すことはありませんでした。

高校生の時、近くの塾に行くようになったのですが、学校が違うのでやりにくいと言われて「くび」になりました。今時ではあり得ない理由だと思います。

そこで、同じ学校の友人が行っていた中目黒の塾に行くようになりました。渋谷から東横線に乗って行くのですが、帰りは友人と一緒に渋谷まで歩くのがたのしみでした。というのも、途中に100円ラーメンがあって、きまってこれを食べるのです。

自分が大学生になってみると、なんかしらバイトをしたくなるわけです。ところが、医学部というのは必修科目が多くて、なかなか余分な時間がありません。真っ昼間にアルタに集まる大学生なんて信じられない思いでした。

そこで、やはり家庭教師のバイトが一番手っ取り早い。なんと化学の先生をしていたことがあります。普通は数学とか英語が求められるわけですが、化学というのはあまりないですよね。自分でも自信があった科目と言うことです。

でも、それも1年だけでした。次の年は中学生の塾の先生をしていました。これは科目は何でもやりました。これは、さすがに楽勝でしたが、数学の幾何だけは予習しておかないとすぐには答えられませんでしたね。

医学部も3年生以降になって専門科目が増えると、もうそんなことをやっている余裕はなくなりました。

大学の正職員になると、「教員」という扱いになって、多少授業とかやるようになるのです。ところが、さすがに教育学の授業なんて受けたこともないし、当然教員免許も無いわけですから、人に教えるというのはあらためて大変だと思うわけです。

さて、こどもが塾に行くようになると、やはり学校だけでは勉強が完結できないのは、本人のせいか、学校のせいかとか親としては考えないわけにはいかなくなりました。

集団の塾、個別の塾など、なかなか思ったほどの効果がないようで、ただ行けばいいというものではないようです。でもって、結局家庭教師に来て貰うことになりました。

あとは用意した勉強の機会をこどもがどれだけ効率的に利用してくれるかということです。あとで苦しまないために、今のうちにしっかり勉強してくれれば親としては何も言うことはありません。

何にしても、教わるのも教えるのも教育は難しいものです。どうか、こどもたちは勉強がいくらでもできるうちに、しっかりと勉強してくださいね。勉強がしたいときには、なかなか時間がないものですし、だいいち質問とかできる相手がいないものなんです。

2010年1月13日水曜日

いそぎんちゃく

今日はイソギンチャクの話。写真が無い・・・まぁいいか。

イソギンは水槽で飼育するのは大変らしい。実際、最初のハタゴイソギンチャクは2週間、次の(高価な)ハタゴイソギンチャクも2週間でだめになってしまいました。管理が悪いといわれればそれまでですが、別の理由もありそうです。

イソギンチャクは採取されるときに薬物採取をしているものが多く、すでに弱っている個体が多いらしいのです。また、イソギンチャクは褐虫藻という生物が体内にいて、これが栄養を与えているのです。

ですから、光で光合成をしないと元気になれない。「もっと光を」というのは、まさにイソギンチャクのための言葉かも知れません。ですから、白くてきれいなものほど褐虫藻が少なくて弱々しい。

ところが、今水槽にいるのはシライトイソギンチャク。これは、もうじき2ヶ月経過するのです。ちょっとすごいことかもしれません。白糸というわりには色が濃くて、いかにも褐虫藻がいっぱいいそうです。そのせいか今までの中で一番元気。

イソギンチャクは縮んだり膨らんだりするのですが、縮むと直径わずかに3cmちょっと。ところが、膨らむと直径15cmくらいになるのです。

夕方以降、電気を消すと一気にしぼんでしまいます。朝になるとまたふくらむこみたいです。その大きさのギャツプがなかなかすごい。朝見ると死んでしまったかと思うほど縮んでいることがあります。

でも、この大きさの変化がちゃんとできことで、体内の老廃物を出したりするわけですから大事なことらしいです。薬物採取された個体はなかなかちぢんたりできないらしい。

ですから、とにかく、うちの始まって間もない水槽の中では、今でも元気なのは奇跡に近いのかもしれません。あとは仲良しのカクレクマノミが落ち着いてくれればいいのです。

そんなわてげ、毎日カクレクマノミのペアが売られていないか、通販サイトをチェックするのでした。

2010年1月12日火曜日

大学受験の季節

寒いですねぇ。雪でも降りそうな感じです。この時期は天気が悪い。

今週末は大学入試を目指す人にとっては、センター試験があるわけで、この頃は毎年雪で受験生が大変な思いすることが多い。

自分が受験をしたのは・・・もう、かれこれ30年以上前の話。当時は、国立は一期校と二期校に分かれていた時代の最期の年でした。まぁ、現役で合格できなかった自分は、さらに翌年共通一次試験最初の年を迎えることになるわけです。

そのころ親から医学部を受験しろと言われて猛反発していたので、高校三年生の秋まで文系で行くんだといきがっていました。勉強していたのも地理とか歴史なんかの医学部受験とは関係ない科目ばかり。

当時は私立の雄である慶應義塾は倍率40倍を超える難関で、とても合格するわけはないので、現役でしか洒落で受験できないとか言っていました。実際自分が入学した東海大学でさえ20倍で、こりゃ大変だと思っていました。

まぁ、当然のように、楽しい浪人生活に突入したわけです。代○木ゼ○ナ○ルを学びの場所にして、朝でかけていきました。昼からは渋谷の繁華街まで歩いて行って、道玄坂の百軒店にあったジャズ喫茶に場所を変えていました。

そこで、数枚のレコードをリクエストして、一杯のコーヒーで数時間ねばってから家に帰るというのが日課。受験の勉強もしましたが、ジャズのいろいろなアルバムを聴いて、なんとなく大人に近づいたような錯覚をしていたのかもしれません。

今から考えると、随分と時間を無駄に費やしていたのかも知れません。親にも心配をかけたんでしょうね。それから考えれば、今の受験生の方がよほど真面目なものです。

成人式というのも、ですからまったく記憶にない。当然出席してませんし、案内があったのかどうかすら覚えていません。

ですから、大学に入学できてからはこれ以上時間を無駄にするわけにはいかないという気持ちで勉強しました。医学部6年間のなかで数回の再試験の経験はありますが、最期の国家試験までノンストップで駆け抜けたと思います。

とにかく大学受験の季節になると、真面目でなかった浪人時代を思い出して、今の受験生にエールを送りたい気持ちになります。

2010年1月11日月曜日

Alice Sara Ott / Liszt's Etudesd'execution transcendante

ピアノの詩人がショパンなら、フランツ・リストはピアノの演奏技法の限界に挑戦したとも言える作曲家。どうしてもテクニカルな部分に目がいきがちですが、リストの曲にはショパンに負けないくらいロマンチックなものがいろいろあるわけで、どちらかというと、自分はリストの方が好きなんです。

でも、リストの数ある曲の中でも、まさに「超絶技法練習曲集」と題された12曲については、バイオリンを目指す人がパガニーニの24のカプリースを制覇したいと思うのと同じで、ある意味ピアニストにとってのエベレストではないでしょうか。のだめが偉い先生に認めてもらいたくて、思わず弾いてしまい失敗した曲です。

これまでにも名演・迷演が数多くありますが、印象に残っているのはベルマンの演奏。剛力で弾き倒すような凄まじい演奏で、まさにピアノと格闘してねじ伏せたかのような熱演です。

ところが、2008年末になんともあどけない顔をした女の子のアルバムが発売されました。クラシック音楽の世界もアイドル的な存在がいるわけで、これもそういう一人かと思っていたら、いやいや恐れ入りました。なかなかあなどれない演奏で、こりゃ可愛いだけではないぞというところを世界に知らしめたのです。

アリス=紗良・オットは1988年生まれというので、今年22歳。父親はドイツ人で、母親が日本人。道理でちょっと和風の顔だと思いました。5歳から様々なコンクールで優勝しまくって、ドイツ・グラマフォンからいよいよメジャー・デヴューしたのがこのアルバムという強者です。

昨年は第二弾としてショパンのワルツのアルバムを早くも発売し、今年も新年早々にチャイコフスキーとリストの協奏曲を発表しました。そして、2月末の東芝グランドコンサートで来日しそのチャイコフスキーの協奏曲1番を実際に演奏することになっています。

もちろん実際に聴きに行くわけにはいかないのですが、やはり注目の若手ピアニストですから、今後の活躍をふくめて大注目なのでした。

2010年1月10日日曜日

ちょっといい話

知識と経験が多いほど、変化の阻害要因である
by 日本マクドナルド社長 原田 泳幸

なるほど、偉い人が言うことはなかなか含蓄があって、思わずなるほどと思ってしまいます。

原田泳幸氏は自分より10歳年上。自分と同じ東海大学の卒業で、もともとはアップルコンピュータの社長だった人。ヘッドハンティングで移籍した際には、「マックからマック」へと言われたそうです。

この言葉は今朝のテレビ番組で言っていたのですが、「勉強は体に悪い」という話を受けて発言したものです。ある程度の勉強によって知識を持つことは大事なことで、原田氏も勉強をしなくてもいいというような主旨での発言ではないでしょう。

しかし、ある程度自分のやり方が決まってしまうと、なかなか人は変革することを望まなくなり、今の安定の中に安住してしまう物です。それはまったくの平和な社会ではいいかもしれません。

社会的に不安定な今のような時代は、物事がいつでも安定しているとは限らず、思い切った改革が必要となる場合が確かにあります。その身近な例の一つは「小泉改革」と呼ばれていたものでしょうし、多くの阻害要因があったことも間違いありません。

小泉改革の失敗は、離陸したままで、着陸せずにパイロットだけがパラシュートを持って脱出したことにあると思います。それは今日の話とは別のところですので、置いておきましょう。

実際のところ、知識と経験というものは、一定の先入観を生み出します。固定観念という言葉で言ってもいいかもしれません。一度この枠組みの中に入ってしまうと、抜け出すことは大変に難しい。

しかし、袋小路に入ってしまい、にっちもさっちも行かなくなったとき、斬新なアイデアを思いつき実行することができるかどうか。その辺が成功する方法の一つであろうことは容易に肯定できることです。

そういう柔軟な思考回路を持つことを、原田氏は勧めているわけでしょう。普通の人である自分には、なかなか簡単にはいきそうにありませんが、とりあえずちょっといい話を聞いたなと思ったのでした。

2010年1月9日土曜日

もうすぐ成人の日

うちの娘があさって成人の日を迎えます。もっとも誕生日は去年のうちにきてますから、すでに二十歳にはなっているわけです。生まれたのは平成元年で、昭和を知らない世代です。

最初のこどもだったので、かみさんは実家に帰っていたのですが、生まれたという連絡を受けてすぐに休みを1日をもらってでかけました。

ところが、その時は最初の東名高速道路の集中工事のまっただ中だったのです。いつもなら、3時間くらいで行けるところなのですが、8時間くらいかかってやっと着いたのです。

それからというものの、親ばが全開で、合う人ごとに「うちの娘は世界で一番可愛い」と言い回っていました。

次第に大きくなって、幼稚園、小学生、そして中学・高校となって、ついに大学生です。

こどもが大きくなることは、親としての自分の成長と同じことなんです。別の言い方をすれば、こどものおかけで自分も成人の日を迎えることができるのかもしれません。ありがとう。

これからは、自分に責任を持って行動する大人の仲間入りです。人に対して恥ずかしいようなことがないように育ったでしょうか。こどもは親の鏡。こどもがどんな風に成人したかは、親の責任です。

将来、親になって自分のこどもがいたら、その時に自信をもって親であったら、その時に答えがはっきりすることでしょう。

2010年1月8日金曜日

お詫びと反省

正月特需とでも言うんでしょうか、年が明けてから連日、診察で喋り続けです。正直、かなり疲れます。患者さんとちょっと雑談などをして息抜きしたいのですが、待っている患者さんがいるとなかなか無駄な時間を使うことができません。

昨日と今日と連日にわたって、来院した患者さんを電子カルテの来院リストにのせるののを抜かしてしまうと言う大きなミスがありました。患者さんは、それぞれ本来の順番より数人後回しになってしまい、1時間近くお待たせしてしまうという失態をしてしまいました。

ご迷惑をおかけした患者さんには、心からお詫びを申し上げます。忙しかったからというのは理由になりません。さぞかし嫌な思いをしたことと思います。今後、このようなことがないように十分に注意をしたいと思います。

また、腰の牽引治療で待っていた患者さんが、順番がなかなかこないということで帰られてしまいました。これも、待っている方への配慮が足りなかったということを深く反省しています。あと、何分くらいお待ちください、というような案内があればよかったと思います。

新年早々いくつかのミスがあり、けっこう気持ちがへこんでしまいました。よりいっそう疲れにも拍車がかかるような感じがします。ふだん当たり前という感じで、なにげなく行っていることにも、あらためてよく点検をして間違いがないようにしないといけません。

クリニックでは患者さんの命にかかわるような医療行為はほとんどありませんが、どこに事故が潜んでいるとも限りません。事故の防止が最も大切であることは言うまでもありませんが、事故はある程度の確率で必然であり、その時に適切な対応ができることも同じくらい重要なことです。

明日からの診療で同じようなミスが無いように、心を引き締めてかかりたいと思います。どうか、気が付いたとがありましたら、遠慮無くお申し出ください。

2010年1月7日木曜日

松の内

七日と言えば七草・・・っていう話題は、もう書いちゃったので、さすがにやめておきましょう。

正月というと、だいたい全国的に三が日と呼ぶ元旦、二日、三日まで。7日の今日までは松の内と呼んで各家の入り口には松飾りというのが一般的・・・

かと思っていましたが、もともとは15日までが松の内らしい。まぁ、年賀状もさすがに明日からは寒中見舞いとするほうが無難ですよね。

松の内は松飾りをしている期間と考えると、はずした松飾りを焼いて健康を祈願するのがどんと焼き。どんと焼きはだいたい15日に行われることが多いようなので、やはり15日までが松の内とするのが正しいのでしょう。

以前は15日が成人の日で休日だったので、どんと焼きの行事もやりやすかったのでしょうが、成人の日がずれてからはどんと焼きの日程も早まっているようですね。

ところで、松飾りはいつからいつまで飾るかってことも実はよく知りませんでした。クリスマスツリーがかたづけたら、もう飾っていいらしいです。まぁ、外国の風習のクリスマスと日本の風習の松飾りが混ざっていること自体、ほんまかいなという感じがしないでもありませんが。

29日は苦に通ずるのでダメ。31日は一夜飾りと言ってやはりダメ。ということは26日、27日、28日、30日ならOKということです。一方、取り外すのは七草がゆを食べたらはずすということらしいので、やはり7日の朝ということらしい。

まぁ、そんなことをいろいろ考えていたら、つまるところ正月気分は今日で終了ということですよね。

特に正月らしいことをしたわけでもないし、こだわってもいないのですが、もともと日本人としての常識といえることですから、まったく知らないでは恥ずかしいことかもしれませんね。

2010年1月6日水曜日

初夢と焼きそば

・・・って、関係ありません。

初夢は元旦の夜に見る夢ですが、実際のところ見たかどうか覚えていません。そこで記憶に残る年の最初の夢を初夢と拡大解釈するなら、昨夜の夢が初夢と言うことになります、

でもって、どんな夢かというと、自分のクリニックへの通勤についてでした。自宅からクリニックへは約13kmほど離れていて、普段は車でいくわけです。

ところが夢の中では・・・通勤に使うのはモーターボート。つまり、自宅からクリニックは海を渡っていくわけなのです。

途中で燃料がきれるとふ、大変なことになります。毎日の通勤がスリルとサスペンスです。寒いので、途中でUNICLOを見つけヒートテックを買いに行ったりしました。

だから何? というような夢でした。夢判断みたいなフロイト的な分析をしてもしょうがないでしょう。

そして、場面は一転して今夜の夕食。焼きそばです。鉄板プレートで一気に作ります。多少焦げてぱりっとなったところが美味しいわけで、すぐできて簡単な夕食としては、こどもにもOKなのです。

超現実的な話で夢も希望もありませんが、無難な選択肢なので、まぁ許していただくしかありません。でっかく作るとマヨネーズもなかなか芸術的でしょ?

2010年1月5日火曜日

初診・再診・再初診

はい、こんばんわ。亜沙郎です。今日から2010年の診療を開始しました。年末年始は丸々休んだ日がなかったので、大晦日のハイ・テンションのまま新年を迎えた感じです。

それはともかく、今年の初日のしょっぱなから、懐かしい患者さんがいらっしゃってこっちは嬉しいわけでした。もっとも患者さんにとっては、医者に行くというのは嬉しいわけがないのです。

つくづく医者なんて他人の不幸で飯を食っているみたいなところがあると思います。患者さんは辛いところがあるから来院するわけで、それをうれしがっているとは情けない。

でも、とりあえず辛いところを除けば、まあ「元気だった」ということがわかるのは、やっぱり嬉しいことです。

そんなわけで、再初診の患者さんというのは、自分を選んでわざわざ来てくれるわけですから大切です。初診の方は、もちろん選んで来る方もいますが、多くは「家や職場の近くだったから」とか「たまたま通りかかって」という理由が多い。

大学病院に通う患者さんは、もちろん有名な先生を選んでいく方もいるでしょうが、大多数は医者ではなく大学のブランド力を選択理由にしているわけです。

医者個人を選んでもらうことの意味は大変大きいと考えます。そこから医者と患者さんの信頼関係がスタートするわけですから。

横浜市都筑区は若い街ですから、インターネットでしっかり調べて来院する方も多い。自分がインターネットに公表している部分というのは、正直言ってほとんど飾りはないつもりですが、実際来てみてがっかりされる方もいるかもしれません。

その点、再初診の方には、自分や自分のクリニックはわかっているわけですから、そのような方の信頼を裏切るわけにはいきません。

できれば、ここでできる最大限の治療で辛いところが消えてもらえるようにしたいと思いますが、残念なことにクリニックでできることには限りがあります。そこを、しっかりと近辺の病院と連携をとって補うことが大切です。

あらためて、自分のできる医療サービスとできないサービスを自覚しないといけないと思います。それが、初診の方が再診してくれる、そして新たな問題が出たときに再初診してくれるためのボインなんだと思うわけです。

2010年1月4日月曜日

正月にやったこと

今日は月曜日。年末29日か30日まで診療していた大多数のクリニックは、ほとんど今日から診療を開始だと思います。

うちは大晦日までやったので、大変申し訳ありませんが今日はまだ休み。いよいよ明日から新年開始となりますので、お許しください。

とは言っても、毎日遊んでいたわけではありません。元旦と二日は病院の当直をしてました。お腹の具合を悪くする人が多く、インフルエンザはさすがに沈静化してきた感じです。

3日は朝から年賀状の整理と、不足分のを作るので午前中は終了。午後からクリニックに行って12月分の診療報酬請求の準備。ほんとは3日のうちに終わるはずだったのですが、ハプニングで完了しませんでした。

そこで結局今日の4日もクリニックに朝からでかけて残りの仕事をしていました。さらに、12月のスタッフの勤務時間を確認して税理士事務所にデータを送らないといけません。やっと午後からは、仕事を離れてゆっくりと・・・自宅の片付けです。

まぁ、正月なんてそんなもんですよね。なくても困らない休みというとちょっとオーバーですが、実際のところあまり体を休めた感じがしませんし、懐事情も寒くなってしまいました。

ところで、昨日のハプニングというのは、実は年末まで落ち着いた感じとなっていた海水魚水槽に異変があったのです。なんと、オレンジ色のカクレクマノミがいなかったのです。忽然と消えたという表現がぴったりなくらい、どこへ行ってしまったのか。

あり得る原因としては、何かの原因で☆になってイソギンチャクや他の魚の餌になったというのが最も可能性がありそうです。こういう場合、一番危険なやつというのがオトヒメエビ。以前、ヤドカリの足を加えた状態を目撃しているので、まっさきに犯人として疑いをもたれるのです。

とにかく、水をある程度替えておかないとしょうがない。そんなことをやっていたら、随分と時間を使ってしまったのです。いやいや、新年早々海水魚水槽の怖さを思い知らせられたわけです。

とりあえず、寒さに負けないように今夜はキムチ鍋を食べて、明日から熱く頑張りたいと思います。

2010年1月3日日曜日

福山 龍馬

これまた何年ぶりのことでしょうか、NHKの大河ドラマっつぅものを見てしまいました。

過去に連続で見たのは「国盗り物語」が最後かもしれないので、1973年以来の37年ぶりに続けて見る可能性がとりあえずあるということでしょうか。まぁ、たぶん無理だとは思いますが。

今年は話題の福山雅治主演の坂本龍馬。今夜は初回ですから、こども時代の話を踏まえて、龍馬のキャラクターを紹介するのが目的。

長丁場のドラマとしては無難な滑り出しで、あまり大きな盛り上がりはありませんでした。むしろ、今回はこども時代だけに絞ってもよかったかもしれませんね。


最後の1分間で、土佐の町を歩いている成長した福山龍馬の背中。呼び止められて振り返ると、タイムスリップしたガリレオ・・・じゃなかった、福山の顔のアップとなり「次回へ続く」みたいな感じ。

実際、ガリレオのとぼけた味から連続しているような福山の演技だったと思います。まぁ、悪くはないと思いますが、しょせん第一回ですから、しばらくは我慢してみるしかないでしょう。

映像は、かなり力が入っていて、かなり作り込んだ画面構成だったと思います。まぁ滝沢義経の最期なんかも、まるでSF映画のようでしたから、近頃のNHKはずいぶんと開放的になったのかもしれません。

うちには福山ファンがいるので、2010年の日曜日の夜のテレビは決まりでしょう。

2010年1月2日土曜日

正月の思い出

自分の場合は、比較的保守的な家庭で育ったと思うので、元旦はあまりびっくりするようなことはありませんでした。朝、家族で食卓に着くと、無理矢理旨くないお屠蘇を飲まされて、いわゆるおせちをいただくわけです。それからお年玉をもらって・・・

お年玉は親戚の数が物を言うわけで、うちのように珍しい名前で親戚も少ないとなかなか稼ぐことはできませんでした。

うちに、しばしば出入りしていた父親の知人があるときお年玉をくれました。その頃は、たいてい千円か二千円くらいが相場だったと思います。その知人はもちろん他人ですから、そう多くは望めないわけですが、こども心にちょっと期待してしまいます。

ポチ袋を開けてみると・・・中から出てきたのは板垣退助。むむむ、いくらなんでもこれにはがっかり。贅沢はいってはいけないのですが、けちなおじさんだなぁと思いました。

自分よりだいぶ年長の従兄弟が就職して、毎日ちょっとずつ貯めたという5円玉のたばをくれたことがありました。まぁ、この場合は額については二の次でしたが、とにかく重たいしどこでどうやって使うかで多いに悩んだものです。

なんか、このあたりは去年も書いてしまいました。きがついたら、同じ話で申し訳ありません。

すでに空は電線の網の目で、とてもたこを揚げて遊ぶと言うことはできませんでした。ですから、正月の遊びというと、家の中でカルタか双六、外に出て独楽回しか羽子板というのが一般的。今では、どれも見かけなくなりました。

実際、もうこの10年くらいは元旦に仕事をしていない年はないので、元旦に家にいるということがありません。開業前にいた大学は薄給で有名なところで、正月の割高の当直バイトは絶対不可欠だったのです。千葉の方にでかけて、東関道を走っていて初日の出を拝んだなんてこともありました。

開業してからも、結局毎年当直バイトは続いているわけで、実際父親がいない元旦というのもいかがなものかと思ってはいるのです。

まぁ、父親の威厳とか権威なんてものを見せようと思っているわけではありませんが、日本人として正月の季節感というものは大切にしたいし、こどもたちにも伝えていきたいとは思っています。

2010年1月1日金曜日

謹賀新年 2010

2010年になりました。あけましておめでとうございます。 昨日は、ほんと何年ぶりかで「紅白歌合戦」をフルに見てしまいました。それほど興味があるわけでもなかったのですが、ほかに見る物もないしという程度ののりです。 そのあとジャニーズのカウントダウンをちょっと見て、新年があけたところで家族と「あけおめ」して寝たわけです。 そして、今朝は6時起床で、かみさんと娘が初詣に行くので駅まで送っていきました。途中で初日の出が出る時間になってしまい、(テレビで)拝むことはできませんでした。 しかし、代わりにと言うのもなんですが、初月の入りを見ることができました。カメラも無かったので、写真にとることができなかったのは残念ですが、明るくなり始めた西の空に大きく膨張したほぼ満月に近い月が浮かんでいてちょっと神秘的な景色でした。 昨日の続きの今日ということで、あまり正月だからといって構えることは少なくなりましたが、毎日毎日の積み重ねの中で一つの区切りであることは間違いなく、初××というものに縁起をかつぎたくなるのは自然こと。 とりあえず、初物はなんでも自分には都合のよい物と考えておきたいと思います。明日みれれば、それが初日の出。なんにしても横浜は快晴の気持ちのよい元旦を迎えて、1年の滑り出しとしては上々です。