夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2021年2月14日日曜日

パニック・ルーム (2002)

デヴィド・フィンチャー監督は、サスペンス物で一躍有名になったとは言え、実はこれまでの作品は純粋な犯罪物ではありません。この映画で、初めて犯罪をテーマにした、いわゆるクライム・サスペンスを手掛けています。

パニック・ルームはパニックになった時に緊急避難するための部屋という意味ですが、通常はセーフ・ルームと呼ばれている物。日本では、家屋の構造上あまり普及しているとは云い難いのですが、欧米の資産家などでは、シェルター並みに堅牢な作りの隠し部屋を持っていることは珍しくないらしい。

この映画は、たまたま引っ越した家にパニック・ルームがあり、そこに元住人によって隠された遺産を目当てに賊が侵入。母娘がパニック・ルームに逃げ込み、賊と対峙するというストーリーが展開します。タイトルもニューヨークのビル群に、文字が立体的に浮かんでいるところはフィンチャーらしくスタイリッシュ。

パニック・ルームに入った母娘はどうにもできないし、逃げ込まれた側も手も足もだせないという、言って見れば両者が「密室」に閉じ込められたようなシチュエーションが面白い。

スピルバーグとの仕事も多いデヴィド・コープが制作・脚本で、基本的に夜の間の屋内だけの密室劇のような作り。フィンチャーは、サスペンスとして今まで以上に緊張感を高める演出をしています。

母親は当初ニコール・キッドマンが予定されていましたが、直前の出演作「ムーラン・ルージュ」でケガをしたため降板。急遽、フィンチャーの実力を認めるジュディ・フォスターが、カンヌ映画祭の審査員をキャンセルして出演しました。

ところが、撮影中にフォスターが妊娠していることがわかり、お腹が大きくなってくることで、監督は大いに悩むことになりました。さらに娘役のクリステン・スチュワートの身長も伸びてしまって、撮影終了時にはフォスターの身長を上回ったというのも驚きです。ある意味、フィンチャー自身が一番スリルを味わったかもしれません。

三人の賊は、計画を立てたジュニア(ジャレッド・レト)、パニック・ルームの設計者のバーナム(フォレスト・ウィテカー)、荒っぽいことが平気なラウール(ドワイト・ヨアカム)で、それぞれのキャラクターは明確でわかりやすい。

カメラは人が通れない所を自然と通過するよなスムースな動きがあったり、縦横を回転させるような場面などで、見るものの視点を自在に操っているかのようです。この辺りは、サスペンスの神様、ヒッチコックの映画を意識しているように感じます。

また娘は糖尿病があり、腕時計型の血糖計測装置の数字を時々見せる事で、サスペンス度をさらに増していくのも面白い。後半で、低血糖発作を起こした娘のためにパニック・ルームから母親が出たところから、今度は賊がパニック・ルームに娘を人質にして立てこもり、立場が逆転する構成もよいと思います。

この映画はフィンチャーの監督作品としては、(「エイリアン3」を除いて)最も低評価で、これだけがいまだブルーレイ化されていません。実は、まだフィンチャーの名前を知らなかったんですが、単純にフォスターのファンというだけで新作として発売されたDVDを購入していました。

これまでの作品と違って、サイコ・スリラー的な要素はなく、ハッピーエンドなのでストーリーの奥深さはあまりありません。また、解決の仕方も安易と言う意見も頷ける。

そう思うと物足りなさは否定できませんが、室内劇という制約の中で、高低をうまく利用して、立体的な映像を作っているところはさすがですし、クライム・サスペンスとしては一級の仕上がりになっていると思います。

2021年2月13日土曜日

チック・コリア


チック・コリアが、2月9日に亡くなった。

ジャズを聴かない人には、馴染みが無い名前かもしれませんが、今の時代にジャズの巨匠と呼べる数少ないミュージシャンの一人でした。

マイルス・デイビス門下生を中心にジャズを聴く自分にとっては、ジャズの世界では「アイドル」の一人であり、リアルタイムに追い続けてきただけに、昨日ネット・ニュースで記事を見つけた時はショックが大きかった。

60年代半ばから頭角を現し、ハービー・ハンコックに続いてマイルス・バンドに参加。70年代に入ると、キース・ジャレットにバトンを渡しました。キース・ジャレットは、昨年脳梗塞により事実上引退し、どんどんジャズの世界が狭まっていく感じです。

1972年の「Return to Forever」は、ジャズにロックとラテンのフレーバーを持ち込んだ、クロスオーバー初期の傑作。この前後にECMに吹き込まれた一連のものは、透明感のある美しいフレーズで満たされていました。

1976年からはPolydorから、ロック・テイストを強調したバンド名義のアルバムと、ファンタジー色の強いソロ・アルバムを並行して発表し、自分はレコードが出るたびに喜々として買いに走ったものです。

80年代以後は、エイトビートのいかにもジャズというアルバムも多くなり、目を付けた若手との共演もずいぶんと行って来ました。その中には、上原ひろみや小曽根真のような日本人も含まれていたのは嬉しい事でした。

しだいに忘れられているようなジャズの世界を牽引し続け、ずっと現役で活躍してきたチック・コリアですから、いなくなると益々ジャズの灯火は細々となってしまうように思います。

79才。今どきだと長生きとは言えない年齢でした。

合掌

2021年2月12日金曜日

ファイト・クラブ (1999)

映画監督としてデヴィド・フィンチャーは、「セブン」、「ゲーム」に続くこの映画で、完全にサイコティックなサスペンス映画作家としての地位を確立したと言えます。家庭用ビデオ、DVDなどの普及により、作品を繰り返し鑑賞する環境が整ったことで、映画公開時よりも評価がしだいに高くなっていき、現在では一般からも広く受け入れられています。

それにしても、この映画くらい紹介の仕方に頭を悩ませるものはない。映画全体のトリックがものすごく重要で、ネタバレ無しでは絶対に説明できない。かと言って、そこを避けると「とにかく見てください」で終わってしまいます。

ストーリーそのものについては、ネットでは完全に説明しているものもありますので、知りたい方は検索してもらうとして、この映画のポイントだけ記しておきます。

映画全体はフィンチャーらしい全体に暗めの色調で統一され、登場人物も地味な服装が多い。その中でブラッド・ピットが演じる主人公の一人、タイラー・ダーデンだけは比較的ファッション性の高いカラフルな服が多く際立っています。

それに対する「僕」(エドワード・ノートン)は、出張ばかりの真面目に働くサラリーマンで、一般的なスーツにネクタイという服装で、高圧的な上司に逆らえない。いろいろな宣伝にのせられて、流行りの家具などを買い集めて、時代についていこうと必死。

偶然知り合った二人ですが、非合法的なことも平気で、いろいろな知識も豊富、それでいてイケメンのダーデンと「僕」の正反対なところが浮きたっています。ダーデンは、物質にこだわり、グローバル化の中で人が個性を無くしていると話し、「僕」はしだいに影響されていくのです。

この「僕」の心理的変化は、映画の中でサブリミナルという手法も用いて表されている。一瞬だけ、一見無関係な映像を挟み込むことで、見ている物に意図的な意識を刷り込ませるもので、彼のマッチョなものへの憧れを暗示します。

当初は「僕」はダーデンと無意味に殴り合うことで、解放された気分になり喜びを感じます。つまり、社会的に普通に暮らしていても、時流に流されているだけで、現代人には鬱積しストレスのはけぐちが心のどこかに必要になっているということ。

しかし、何かを破壊する行為はしだいにエスカレートしていくことになる。2001年に起こったアメリカ同時多発テロ事件は、イスラム過激派の犯行とされましたが、事件発生時にはこの映画に登場するような反グローバリゼーション勢力の関与も議論されました。

単純な話として、テレビでAが流行りと言われると、Bの方が自分にとっては良いと思ってもAを選択してしまうことはよくあります。気がつくと周りも全部Aになっていて、自分という一個人は埋もれてしまう。あえてBを選んだ場合は変人として扱われ、社会から疎外されていくのです。

確かに、自分もAを選ぶことが圧倒的に多く、実はBを選んでいた時はそれを表に出さないようにしていることに思い当たります。Bを選ぶことが多いほど、現代人はストレスをため込んでいき、精神的に追い詰められるか、どこかで何かを暴発させる必要に迫られる。

この映画のようなあまりにも危険な犯罪に及ぶことは、現実的にはかなり困難を伴うので、あくまでもフィクションにすぎないのですが、高く評価することは共感する人が増えているということで、それはそれで危険な香り? かもしれません。

2021年2月11日木曜日

KAMI 2


スマホは、LINEとゲームで使い道がほぼおわっている自分です。

ゲームについては、長い時間ずっと遊ぶことはないので、やりたい時に短時間で決着がつくものがいい。

例えば、「ポケモンGO」はいまだに細々と続けていますが、ほとんどルーチン・ワーク程度。どちらかと言うと肉体労働に近い感覚(嫌いじゃありませんが)。

ストーリー性の高い物は時間がかかるので、ボケ防止も兼ねて頭脳労働を必要とするパズルゲームが好み。最近見つけた、けっこうはまるのが「KAMI 2」というゲームです。

幾何学的に色分けされた紙の色を一色に統一するというゲームなんですが、回数が無制限なら話は簡単。ところが、塗りなおしができる手数が決まっていて、けっこう考え込むことがあります。

例えば上の絵柄では、暗い緑を残して、他の色のところは個別に暗い緑で塗っていくと8手ですべて暗い緑になります。

3か所のオレンジを明るい緑塗りなおして、広がった範囲を暗い緑にすれば、真ん中の小さい三角と右上との角の明るい緑が残り、暗い緑を明るくすれば5手でゴール。

一番小さい明るい緑三角を暗い緑にしてできた三角を、今度はオレンジに塗りなおすと大き目のオレンジの三角になります。これを明るい緑にして、後は暗い緑で塗れば、これ5手でゴールということになります。

やり方はいろいろですが、最小手にするためにはいかに同じ色の範囲を広げていくがポイント。複雑な柄の場合は、けっこう丸一日チャレンジしてもわからないこともしばしば。

でも、全部が同じ色になった時には達成感があって、何かとても嬉しい気分です。無料の範囲でも広告は出ませんし、何度でも最初からやり直しができるのも良心的。けっこうお勧めです。


2021年2月10日水曜日

謎の数字 !?


近くの公園、打ちっぱなしのコンクリート壁に、謎の数字が表れるようになりました。

何かのカウントダウンなのか・・・

最近世界中に発見されているモノリスみたいなものなのか・・・

それても、単なる誰かのいたずらなのか・・・

もしかしたら、魂が入れ替わった美人刑事と凶悪犯人に関係した物・・・です。

このあたりはずいぶんと前から、いろいろな映画やテレビ・ドラマのロケ地として知られています。これも、今、放送中のドラマに関係したものらしい。

近くに住む人からは、人気俳優さんの目撃情報がちらほらと流れてきます。

それにしても、壁に落書きしてそのままにしておけませんから、ロケが終わるときれいに消しているんです。いわゆるADさんですか、下働きをする人たちは大変ですよね。

2021年2月9日火曜日

ファンタジア (1940)

洋画を見る時、字幕付きで見ますか? それとも日本語吹き替えで見ますか?

自分の場合は、圧倒的に字幕。そもそも外国の人が日本語を流暢に話しているのは違和感あるし、時には口の動きと聞こえる声が合っていないのも嫌。

その俳優さんの声をちゃんと聞きたいというのもありますし、確かに山田康夫のクリント・イーストウッドは合っていたことは否定しませんが、山田康夫が亡くなって、別の人が吹き替えするのは何か違う。だったら、最初からイーストウッド本人の声がいい。

AmazonとかのDVDのレヴューで、やたらと吹き替えが完全じゃないと文句を言う人がいるんですが、自分はどうでもいいわけで、場合によっては安けりゃ海外版でもOKみたいなところがあります。

例えば、キューブリックの「2001年宇宙の旅」なんかだと、もともとセリフは少ないし、何度も見て話しはわかっているので字幕すらいらないくらい。それよりも、確実に吹き替えはいらない、字幕すらいらないという驚異の名作がこれ。

ディズニーの長編3作目にあたる古典的映画ですが、何しろ全編クラシックの名曲に合わせた驚異のアニメーションで、耳に聞こえるのは基本的に音楽だけです。史上初のステレオ録音というのもポイント。

巨匠レオポルト・ストコフスキー指揮による。フィラデルフィア管弦楽団の演奏で登場するのは・・・

ストコフスキー編曲のオーケストラ版のバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」
デュカスの「魔法使いの弟子」
ストラヴィンスキーの「春の祭典」
ベートーヴェンの「交響曲第6番 田園」
ポンキエッリの「時の踊り」
ムソルグスキーの「禿山の一夜」
シューベルトの「アヴェ・マリア」

映像に合わせて音楽を用いるのではなく、音楽に合わせて映像を作った画期的なものでした。幻想的なアニメーションが次から次へと登場し、とにかく目を奪われること間違いなしです。

自分は何歳だったか思い出せませんが、小学生の時に映画館で見ています。とにかくその時の印象が強かったことだけは間違いない。ディズニーのアニメはこどもができてから、いろいろと買い揃えましたが、実は「ファンタジア」は真っ先にレーザーディスクで買っていました。

クラシックに興味が無い人でも、なかでもストーリー性が明確な「魔法使いの弟子」と「禿山の一夜」はわかりやすいし、80年前の作品とは思えない斬新さを見出すことができます。

特に「魔本使いの弟子」はミッキー・マウスが登場するので人気も高い。「禿山の一夜」から「アヴェ・マリア」にシームレスに移行するフィナーレは、「闇から光へ」を表現した素晴らしい出来栄えです。

2000年に「ファンタジア2000」として続編が作られていますが、やはりオリジナル版を超えるようなものではありません。現在ではBlurayで、ほぼオリジナルの状態で鑑賞できるとは良い時代になったものです。


2021年2月8日月曜日

ウエスト・サイド物語 (1961)

60年代を代表するミュージカル映画というと、「サウンド・オブ・ミュージック」と伴に不朽の名作とされるのが「ウエスト・サイド物語」です。何と、どちらも監督はロバート・ワイズ。

もとは1957年初演のブロードウェイ・ミュージカルであり、音楽はポピュラー音楽にも造詣が深いクラシック界の巨匠、レナード・バーンスタインが担当しました。映画でも多少の変更はありますが、舞台の音楽をほとんど使用しています。

内容は、シェークスピアの恋愛悲劇「ロミオとジユリエット」であることは良く知られていて、場所はニューヨークの下町に帰られました。

モンタギュー家をリフ(ラス・タンブリン)が率いるポーランド系非行グループのジェット団、キャピュレット家をベルナルド(ジョージ・チャキリス)が率いるプエルトリコ系非行グループのシャーク団に置き換われました。

そして、ロミオであるジェット団のトニー(リチャード・ベイマー)が、ジュリエットであるベルナルドの妹マリア(ナタリー・ウッド)に恋をすることになっています。

ジェット団とシャーク団はお互いに縄張りを争っていて、トニーがマリアに近づいたことで、リフとベルナルドは決闘することになり、間に入ったトニーがベルナルドを殺してしまい、マリアに思いを寄せていたジェット団のチノにトニーも殺されてしまうという悲劇です。

ジュリエットが死んだと勘違いしてロミオは自ら命を絶ち、それを知ったジュリエットも後追い自殺するというシェークスピアの結末と違って、マリアは争うことの無意味さを切々と歌って去って終わります。

何と言っても映画版では、踊りのシークエンスが見事。バーンスタインの音楽に合わせた、スタイリッシュなダンスは同時大変に話題になりました。

挿入歌としても、「アメリカ」、「トゥナイト」、「マリア」などのヒット曲が生まれ、サウンドトラック・レコードも大ヒットしました。アカデミー賞では、11部門にノミネートされ、脚色賞以外の主要部門を総なめにしました。

ただ、主要キャストの歌唱が、当時としては「当たり前」のように本職の歌手によって吹き替えられていて、演じた側、歌った側の両方からいくつかの訴訟を起こされたりしています。また、ブルジョア感の強いナタリー・ウッドが、どう見てもプエルトリコ系には見えないというところもしばしば言われているところ。

現在、スティーブン・スピルバーグが、リメイクを制作中ですが、基本的にはバーンスタインの音楽を使用しているようです。ミュージカルは初めてのスピルバーグがどのようにこの名作を料理するのか、お手並み拝見というところです。

2021年2月7日日曜日

サウンド・オブ・ミュージック (1965)

言わずと知れた、ロバート・ワイズ監督による名作ミュージカル映画。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演女優賞をはじめ10部門を制覇しました。

ナチス・ドイツの脅威が迫るオーストリアで、新米家庭教師のマリア(ジュリー・アンドリュース)が、 トラップ家にに赴任。厳格な父親ゲオルクのもと、7人のこどもたちと伴に歌を通して心を通じます。

ゲオルクもしだいにマリアに惹かれ、二人は結婚し家族全員で合唱団を結成。コンクールに出場し優勝しますが、ナチスに反対するゲオルグは家族を伴ってスイスへと亡命しました。

・・・と、まぁ、ごくごく簡単にあらすじを説明するとこんな感じですが、実はこれ、実話をもとにしています。

マリアがトラップ家に来たのは1926年のことで、翌年ゲオルクと結婚。1935年、一家はザルツブルク音楽祭の大衆歌手コンテストで優勝しトラップ室内聖歌隊としてコンサート活動を始めました。1938年、オーストリアはナチスに併合され、アメリカへ亡命。トラップ・ファミリー合唱団として人気を得ました。

1949年にマリアが書いた自叙伝をもと、数々のスタンダードを世に送り出したリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の楽曲によりブロードウェイ・ミュージカルがヒットし、ならばというので映画化されたというもの。

2年前のエリザベス・テイラー主演の歴史巨編「クレオパトラ」の大失敗により、会社の存続すら危ぶまれた20世紀フォックスは、「サウンド・オブ・ミュージック」の成功により持ち直しました。

冒頭、広大な丘陵でアンドリュースによって歌われる「サウンド・オブ・ミュージック」は、映画の世界観を現す印象的なシーン。音楽をこどもたちに教えるため歌われる「ドレミの歌」、嵐の夜の怖さを紛らわすために歌う「私のお気に入り」、コンクールでの「エーデルワイス」など、広く知られた楽曲が登場します。

ここで、父親役を演じたのはクリストファー・プラマーで、サイレント期を思わせるような端正なくっきりとした風貌です。カナダ生まれ、首相も輩出した名家の出身。音楽的な素養もあり、この映画でも歌を披露します。自分場合は、プラマーは、心理サスペンスの隠れた傑作「サイレント・パートナー(1970)」という映画で知った俳優で、凄みのある悪役を演じていました。

ちょうど「サウンド・オブ・ミュージック」を見直したばかりなのですが、偶然、2月5日に91才で亡くなったことが報道されました。ご冥福を祈ります。




2021年2月6日土曜日

ゲーム (1997)

デヴィド・フィンチャー監督の「SE7EN」に続いて送り出した作品は、主人公がまったく理解できないトラブルに巻き込まれていくサスペンス。

すでに、前作で独自のカラーを打ち出していたフィンチャーですが、この映画でもフィンチャー・ワールド全開で、すでに作家性が確立してきたように思います。

ストーリーは、実は最後に大どんでん返しがあるので、見てない人にはさすがに教えられない。とりあえず、大事なポイントだけおさえておきます。

大富豪で仕事一筋の堅物、ニコラス・ヴァン・オートンを演じるのは、普段の役は何か色欲が目立つマイケル・ダグラス。そのあまりできの良い弟とは言えないコンラッド・ヴァン・オートンは、ショーン・ペン。そしてニコラスに絡む謎の美女、クリスティーンにはデボラ・カーラ・アンガーという配役。

ニコラスは小さかった時、おそらく誕生日バーティの8mmフィルムで記録された映像から映画はスタート。父親は、タバコを片時も離さない大富豪で、フィルムの中で笑うことはありません。実はすでにこの映像の中にたくさんの仕掛けがあり、見ている物はフィンチャーの「ずる賢い」誘導にのせられています。

何故かは明らかにしていませんが、父親は48才で自宅で飛び降り自殺。ニコラスは父親の跡を継いで、今は笑うことも忘れひたすら仕事をする毎日。タバコは吸わず、妻にも去られ、父親の代からいる家政婦だけと豪邸に暮らしています。

これは自分にも言えることだと思いますが、こどもは親に愛されたいし親を超えたい、いわゆるフロイトの提唱するエディプス・コンプレックスが存在する。少なくとも男の子にとって、最大のライバルは父親であり、父親よりも劣った存在にはなりたくない。

こどもの時に父親を突然亡くしたニコラスは、おそらく巨大な父親像の記憶しかなく、絶えず父親よりもまだ劣っている自分という強迫観念をもっているのではないかと思います。そして、ニコラスは、父親が亡くなった年齢と同じ48才の誕生日を迎えました。

コンラッドは、大学を中退し、精神を患い入院していたこともある。ニコラスは、父親代わりとしてコンラッドを見守ることも自分の使命の一つと考えているようです。コンラッドは、誕生日プレゼントだと言って、ニコラスに一枚のカードを渡します。

そのカードは、CRS(Consumer Recreation Services)という会社が提供する「ゲーム」への招待状でした。詳細は不明のままですが、ゲームは人生が変わるような体験ができるものらしい。そして、その日からニコラスの生活の歯車が徐々に狂いだしていくのです。

彼の周囲に起こる奇妙な事件はどんどんエスカレートしていき、車ごと海に落とされたり、銃撃を受けて死にそうになる。そして、全財産を失い気がつくと棺桶に入れられてはるか離れたメキシコにいました。無一文のニコラスは、唯一残った亡き父から送られ形見の高級時計を売って金を作り、なんとか街に戻ります。

全てを失ったニコラスは、父親からの呪縛から解放され、初めて人として大事なことが見えてくる。妻が去った理由も理解し、初めて素直に謝罪することができました。そして、CRSの正体を知るべく反撃を開始するのです。

巧妙に仕掛けられた罠にはまるのは、ニコラスだけでなく見ている我々も同じ。次から次へと起こる出来事は、何が本当で何が嘘なのか、誰を信じていいのか、混乱する一方です。しかしタイトルそのものが示しているように、フィンチャーはこれはすべて「ゲーム」なのだというところがすべてを現している。

事件の連続でサスペンスを基本にした映画ではありますが、その結末を知るとある意味笑えないコメディです。しかし、フィンチャーがその中に忍ばせている人間性に関するテーマは深遠で、すでに名匠の風格を認めざるをえない。一度は一緒に騙される価値のある映画だと思いました。

2021年2月5日金曜日

セブン / SE7EN (1995)

人気映画シリーズの一つに「エイリアン」のシリーズがありますが、第1作(1979年)と第2作(1986年)のヒットの後作られた第3作(1992年)は評判が悪い。企画段階からトラブル続きで、どういうわけか監督を引き受けたのが初映画監督となるデヴィッド・フィンチャーでした。

ヒロインのリプリーを演じるシガニー・ウィーバーは、当初出演しない方針だったのですが、内容に口出しして良いという条件で登場。ですから、初監督作で気合の入ったフィンチャー監督と頭を丸めて意気上がるウィーバーは事あるごとに対立したらしい。

そんなわけで、フィンチャーはこの映画の後は、「映画を撮るくらいなら大腸がんで死んだ方がまし」と言うくらいでしばらく映画界から距離を置きます。「エイリアン3」は、スタジオ側がフィンチャーと関係なく編集を入れたため、フィンチャー自身は自分の作品とは認めていません。

デヴィド・フィンチャーは1962年生まれで、十代の頃から映画に興味を持ち8mmカメラをいろいろいじくっていたようです。ジョージ・ルーカスが設立したILMに1980年入社し、映画界の仕事を始めます。

1986年に自らビデオ制作会社を立ち上げ、多くのビック・スターのプロモーション・ビデオで名が知られるようになりました。そこで初めて長編映画から声がかかったのが「エイリアン3」だったというわけ。

1年半がっくりしていたフィンチャーは、1995年「SE7EN(セブン)」で復活を果たし、今や主としてサスペンス系映画の第一人者として確固たる地位を築きました。

完全主義者として有名で、100テイク撮ったこともあるなんて話が知られています。MVで名を上げたスタイリッシュな作りは独特で、サスペンスと言ってもいわゆる犯人捜しではありません。1992年のデヴュー以来、約30年間で長編映画はわずかに11本。一つ一つの作品の作り込みは半端でないことは容易に想像できます。

早速、本人が認める「処女作」である「セブン」から全部見てみようじゃありませんか。ただし、最新作「マンク(2020年12月)」は公開されたばかりで、まだ見れないのであしからず。

タイトルの由来はキリスト教における「7つの大罪」から来ています。聖書では言及されていませんが、人を罪人にしてしまう源として4世紀ごろから言われ始めたものとして、傲慢(pride)、強欲(greed)、嫉妬(envy)、憤怒(wrath)、色欲(lust)、暴食(guttony)、怠惰(sloth)の7つをあげています。

脚本を書いたアンドリュー・ケビン・ウォーカーは、ミルトン作「失楽園」、ダンテ作「神曲」、チョーサー作「カンタベリー物語」などの宗教的古典からヒントを得て、「7つの大罪」に合わせた連続猟奇殺人事件のストーリーを作り上げました。

冒頭、主役となる二人の刑事が紹介されます。1週間後に定年退職を迎えるウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマン)は、独り者で几帳面。当地に赴任してきたはがりの新米が、デビッド・ミルス(ブラッド・ピット)で、若者らしく慎重さには欠けますが元気とやる気が取り柄。数分間で、二人のキャラクターを視覚的に分からせてくれる。

そして、パンクで電子的な音楽にのせて鋭角的なタイトルバックが始まり、犯人の犯行の一部が少しずつ映像として流され、この映画の不気味さを増幅させている。全体にカメラの動きやカット割りは多めで、登場人物が見るものは、視聴者にも見せてくれることで、緊張感を高めていきます。

最初は肥満の男が「暴食」の罪により、続いて悪徳弁護士が「強欲」により殺されます。その尋常ではない殺人現場の様子から、サマセットは連続殺人事件であることに早くから気がつきます。そして「怠惰」により小悪党が1年かけて、じっくりと死に追いやられる状況から、ついに警察全体も「7つの大罪」をモチーフにした被害者の関連の無い連続殺人と認めざるをえないことになる。

「7つの大罪」に関連した本の図書館の貸し出し記録から、二人はジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)を容疑者と割り出し自宅に向かいますが、発砲され逃げられてしまいます。ドゥは電話をしてきて二人を称賛するのでした。

続いて「肉欲」により娼婦、「傲慢」により美人モデルが殺されますが、そこへ何とドゥ本人が警察に出頭してきました。さらに2つの死体がありその場所を教えるからと言い、二人の刑事を指名して町から離れた荒れ地に向かいます。そこで残った罪である「嫉妬」と「憤怒」の対象が明らかにされる、衝撃的で過酷なラストを迎えることになるのです。

最終的に、ジョン・ドゥの正体は明らかにされていませんし、その動機についても何となく語られるものの、それほど明確な説明はありません。しかし、都会の見て見ぬふりをする他人に対する無関心が、このような事件を引き起こすベースにあることを伝えようとしていることは間違いありません。

フィンチャーの独自の映像美と合わせて、フリーマンとピットの演技が、映画の出来をあげていることもあります。実際、ピットはこのあと2本でフィンチャー作品に登場しており、監督の良き理解者の一人になりました。監督も前作と違い、自分と同世代のスタッフが集まったことで、思い通りの映画作りができて満足だったようです。

実際、映画の評価は高く、「サイコ」、「羊たちの沈黙」などと並び称されるサイコ・スリラーの傑作としてしっかり名を刻みました。

2021年2月4日木曜日

緊急事態宣言 期間延長について


緊急事態宣言は、当初2月7日までを見込んでいましたが、政府は一部を除いてさらに1か月間の延長を決めました。

数字だけを見ていると、新規に新型コロナウイルス感染者数が減り始めたようです。去年の場合と違って、今回の宣言で街中の人出が激減した印象はあまり無いのですが、クリニックの来院患者数は確実に12月なかばから減少に転じていています。

つまり、宣言が出たことより、年末に向けて皆さんが自主的に抑制的な行動に転じていることが大きく関与しているように感じます。宣言は後出しジャンケンのようなもの・・・

いずれにしても、医学的には「With Corona」というのはあまりにも困難。本気でオリンピックを実現したいのなら「Zero Corona」を目標にすべきだったことは明らか。ここは、宣言延長自体はやむを得ないところだと感じます。

引き続き、クリニックの診療は通常通りで行っていますが、患者数減少、感染予防のためスタッフの人員数は減らした体制にしています。特に午後5時以降は、看護師がいないことが多いので、採血・点滴など方はご注意ください。

当院の実施しているおもな感染対策は以下の通りです。

● 来院時検温 入口に非接触体温計測装置を設置
● 来院時手指消毒 トイレ内に消毒用アルコール・薬用ハンドソープを設置
● 来院者へのマスク着用のお願い
● 受付カウンター 飛沫防止シートの設置
● 院内の広さに見合った空気清浄機の設置
● エアコン使用中でも一定時間ごとに換気実施
● 待合室の個々の椅子の距離を開け、適宜次亜塩素酸希釈液で清拭
● 診察室は原則としてドアの開放
● 使用したリハビリ機器は患者さんごとに次亜塩素酸希釈液で清拭
● スタッフはマスク着用し患者さんごとに手指の消毒

当院は新型コロナに対応した発熱外来は実施していません。

最近1か月間の中では、1名だけ新型コロナ以外の理由によると思われる有熱者の診療を行っています。この場合も、待合室への入室はご遠慮いただき、受付から直接診察室にご案内するなど、導線に配慮した対応を行いました。

2021年2月3日水曜日

日向と日蔭


都内まで行くと川は蓋がされた見なくなっていることが多いのですが、横浜北部のこのあたりではそれなりに目にします。

とは言っても、自然の姿とはほど遠く、両岸は人工的に処理されて川というより水路という感じ。

普段なら味も素っ気も無い、見て楽しめるようなものじゃないんですが、この時は見事に陽の当たり方が両側に明暗を作っていたので見入ってしまいました。

川の流れに直角の方向に太陽があって、周りの建物が影を作る絶妙な条件が重なったタイミングで通りかかると見ることができるわけです・・・

って言うほどのもんじゃありませんけどね。

2021年2月2日火曜日

節分


季節と季節の分かれ目。各季節の始まりの日である、立春、立夏、立秋、立冬のイブ、つまり前日のこと。

通常は、立春の前の日に対して使われます。記憶にある限り、節分は2月3日なんですが、今年(2021年)は、2月2日が節分です。

それもそのはず、2月2日が節分になるのは、1897年(明治30年)年以来124年ぶりのことだそうです。

なんで? 地球が太陽の周りを1周する時間が365日よりも、ちょっとだけ(およそ6時間)長いから。少しずつずれてくるのを調整する必要から、国立天文台が決めているとのこと。

ちょっと視線を上に向けてみると、秋に葉を落とした樹々の枝に新芽が芽吹いていました。コロナだろうと何だろうと、春の準備は着々と進んでいるということですね。

2021年2月1日月曜日

レディ・プレイヤー1 (2018)

現在までに公開されているスティーブン・スピルバーグ監督作品としては、最新作がこの「レディ・プレイヤー1」です。スピルバーグの映画を全部見るというのもこれで終わり。

最後はスピルバーグの最も得意とするジャンル。近未来SFでアクション物、そしてCGてんこもりで、モーション・キャプシャーで人物が走って、跳んでという物。今どき流行りのVR(仮想現実、Virtual Reality)を取り入れてJ・キャメロンのヒット作を彷彿とさせるアバターが活躍します。

今より四半世紀先の話。天才プログラマーのハリデーが作った「オアシス」と呼ばれるVR空間で、多くの人々が、浮世を忘れて自分のアバターを使って好きなことをして楽しんでいる。ハリデーは、オアシスの中に3つの鍵を隠していて、それを見つけたものはオアシスのすべての権利を得られるイースター・エッグを手にすることができることになっています。

スラムに住むウェイド・ワッツ(タイ・シェリダン)も、そのエッグを求めて多くの時間をオアシスで過ごす一人。彼のアバターはパーシヴァルという呼び名で、オアシス内ではエイチ、ショウ、ダイトウらの友人がいます。ある日、パーシヴァルはアルテミスと呼ばれる凄腕の女性プレイヤーと知り合います。

パーシヴァルは、ハリデーのすべての記録が保管されているハリデー記念館に足しげく通い、ついにヒントを見つけ第1、第2のカギを手に入れます。しかし、ついうっかり現実世界の名前を口にしてしまったことから、オアシスを独占しようとするソレントが率いるIOI社から命を狙われることになる。

アルテミスは現実にはサマンサ(オリヴィア・クック)で、卑劣なIOIを潰すことが目的の集団の一員。第3の鍵のヒントをつかんだIOIは、その場所を封鎖したため、パーシヴァルは全ゲーマーに向かって、我々の自由のために戦おうとメッセージを送ります。

サマンサはIOIに捕らえられますが、何とか脱出してIOI内部からアルテミスとしてパーシヴァルをサポートします。しかし、多くのゲーマーとの全面対決の中、エイチ、トウゴウが倒れ、このままでは本当の命の危険もあるため、パーシヴァルはアルテミスを撃ちオアシスから解放します。

ソレントのアバターと直接対決になり、ソレントはゲーム内すべてを廃墟にする装置を起動し、すべてのゲーマーがオアシスから消滅しますが、何とパーシヴァルはエキストラ・ライフ・コインを持っていて、一人生き残りついに第3のカギを手に入れました。

最後にハリデーが登場し、ゲームは楽しいけれど、美味しい物は現実ではないと食べれないといって、パーシヴァルにイースター・エッグを渡します。パーシヴァル、いやウェイドは仲間たちと共同でオアシスを運営し、休みの日も作り、現実をサマンサと楽しむのでした。

・・・と、まぁ、そんな話に整理できるんですが、このリアルとヴァーチャルとの違いは、本当の俳優の実写演技とCGによるアバターでわかりますが、行ったり来たりが多くて、ちょっとオジサンにはついていくのが辛い所。

評判になったのは、80年代ポップ・カルチャーがてんこ盛りで、オアシス内に登場する見た事があるキャラクターの多さにびっくりします。日本人的には「AKIRA」のカネダ・バイク、ガンダム、メカゴシラなどはその最たるもの。特にダイトウは、甲冑姿の三船敏郎というのも笑える。

キューブリックの映画「シャイニング」が重要なカギになっていて、その場面の再現などは唸ってしまいました。パーシヴァルの愛車は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンで、キング・コングやエイリアンも登場し、バットマンやハーレイ・クインもチラ見せします。

ハリデーは最近のスピルバーグ常連になったマーク・ライランスで、彼の親友でオアシスの共同開発者のオグデンはサイモン・ペッグが演じています。

全般的には高評価のようですが、「やっぱりリアルが一番」みたいなオチは当たり前すぎる。そもそも映画そのものがヴァーチャルなものですし、もう少しひねりが欲しかったところ。

スピルバーグの次回作は、なんと「ウエスト・サイド物語」のリメイク。ミュージカル映画としてベスト10に入るくらい有名な作品を、スピルバーグはどう料理するんでしょうか。コロナ禍の影響で、2020年公開を目指していましたが予定は遅れていてどうなるのかわかっていません。

スピルバーグ作品を全部見たら、スピルバーグが恋愛ものとコメディはダメなのがわかりました。これまで挑戦していなかったものとしては、実はミュージカルがあった。初めてミュージカルに挑戦したのか、あるいは普通の映画にしたのか興味が湧くところですが、ミュージカルなら何も超有名作をわざわざリメイクするというのは、かなり冒険の度合いが高いように思います。

他にもインディ・ジョーンズ・シリーズの新作の企画も進行中。ただし、こちらもさすがに80才近いハリソン・フォードが心配。そもそもスピルバーグ自身も70代なかばですからね・・・

一応、スピルバーグのベストを選び出してみると、月並みな選択ですが、順不同で「インディジョーンズ/失われた聖櫃」、「シンドラーのリスト」、「プライベート・ライアン」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」、「ペンタゴン・ペーパーズ」あたりを選んでおきたいと思います。「激突」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」、「ターミナル」、「ミュンヘン」、「リンカーン」あたりが次点というところ。

スピルバーグが、アメリカン・ニュー・シネマ後のアメリカ映画を牽引してきたことは間違いない事実です。しかも、多彩なジャンルで、多くの傑作・佳作を量産してきたことは、高く評価される。クリント・イーストウッドが90才で新作を準備してるくらいですから、まだまだ我々をたくさん楽しませてもらいたいと思います。