夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2010年8月31日火曜日

リウマチ勉強会 くすりの飲み方

本日は恒例となっています関節リウマチの症例をお互いに勉強したり、いろいろな情報交換をする会でした。参加メンバーはいつも通りで、各クリニックを順番に訪れています。今回はうちのクリニックが会場としいうことで、とにかく気楽にいろいろな相談もできる楽しくてためになる有意義な会なのです。

まぁ、その話はともかくとして、薬の使い方というのはしばしば問題になります。毎日必ず毎食後に飲むような薬は間違えにくい。ところが抗リウマチ薬で現在最も使用されているメソトレキセート(リウマトレックス)は、ちょっとかわった服用の仕方をするわけです。

1週間のうち服用する曜日を決めて、例えば週に3カプセルならば、月曜日の朝1カプセル、夕方に1カプセル、火曜日の朝に1カプセルという具合。これは血液中の薬の濃度を早くに高めて効果をだしたいということ。

ところが長く体の中に薬が残ってしまうと、副作用の問題がほぼ必ず出てきてしまいます。市販されてから最初の10年間で、副作用によると思われる死亡事例が300件以上あることは事実です。

実際亡くなった方の大部分はリスクの高い大変高齢の方とかが多いですし、特に問題なのは服用の仕方を間違えている場合です。ですから、服用を薦める側としても、一番気を使うところなのです。

今週の分の最初の1回目の服用を忘れたら・・・そのまま今週の分としては抜いてもいいと説明しています。中途半端にどこかでまとめて飲んだり、別の日に飲んだりしないでください。もちろん、ちょっとのことでは何も起きないかもしれません。でも、それくらい注意して損は無い薬だと思っています。

ゆっくり利いてくる薬なので、1カプセルくらいが抜けたからといって、大きな影響はありません。もしも、ずらして飲むなら、そのまま翌日から内服を開始していただいてもいいのですが、翌週からも同じ曜日で飲んでください。

まぁ、いろいろ気を使う薬では有りますが、今のリウマチ治療の中ではアンカードラッグと呼ばれ、これ無しでは始まらない薬であるわけですから、正しく使って最大の効果を引き出したいものです。

2010年8月30日月曜日

24時間テレビのマラソン

昨日は日本テレビの24時間テレビというやつで、土曜日の夜からずーっとチャリティの番組を放送していましたね。

なんか思い出されるのは萩本欽一さんが司会をしていた時。それって、最初の数回だけなんですって。今年は33回目だって言うから、どっへぇ~30年以上前のことだっていうから驚き。

自分の人生の中では30年前といえば、浪人していた頃か、やっと医学部に入学してホクホクしていたころでしょうか。1日の中で普通じゃ集まらないような募金を集めたことにびっくりしたものです。

でも翌年からは募金が減っていって、「世の中こんなもんか」と冷めた気持ちをもったこともありました。でも、医療の仕事をしていると、24時間テレビから寄付されたいろいろな医療用・介護用の特殊車両などを目にすることが、しだいに多くなりました。

着実に社会に貢献している部分がふえているということをどこかで知るようになると、それが当たり前のものと思うようになってくるものです。

いつの間にか24時間テレビの売りは「マラソン」になっていましたね。番組的な意図的な構成は否定できないものの、毎年のランナーになったタレントが本気でちゃんと走っていることは十分に伝わってきます。

今年は、はるな愛。まぁ、特に好きなタレントでもないし、基本的にニューハーフというのは理解できないのですが、やはり単純にゴールできてよかったとおもいます。実際、自分がやろうと思っても無理でしょうね。

化粧ボロボロですっぴん状態のタレント。こうことに照れずに感動できる気持ちというのは、やはり大切なことかと思ってしまうのでした。

2010年8月29日日曜日

関節リウマチ 次の10年に向かって

関節リウマチ治療の21世紀の治療戦略はどんどん進歩しており、われわれ専門にしている医者も日々この変化についていくのも本当に大変なのです。まぁ、そんなことは、いつも書いていていまさらぼやいてもしょうがないのですが。

もちろん、その大きな原因は生物学的製剤が使われるようになったことであることは間違いありません。20世紀までの中心的な薬剤は免疫力を調節するような内服薬が治療の主役でした。しかし、日本でも2003年から使えるようになった生物学的製剤は、関節の中で直接病気を起こしている部分をブロックするため、内服薬より劇的な効果が期待できるわけです。

最初の数年間は、この新しい薬が実際の臨床の場でどのくらい効果をだすものかということに、医者も患者も興味が集中していました。市販されるまでには治験という調査が嫌っと言うほど行われているのですが、実際に使ってみないと結局のところ本当の薬の力は見えてこないものです。

最初に発売されたインフリキシマブという薬は、そのあまりの劇的な効果に医者も患者も驚愕したという表現は、けして大げさではありません。2時間くらいかけて点滴で投与するのですが、点滴を行っている最中に患者さんがどんどん楽になってきたと言う事もありました。

次に出てきたエタネルセプトも同じような効果があり、皮下注射で投与できるため患者さんの負担もだいぶ減ってきました。その後に点滴のトリツシマブ、皮下注射のアダリムマブが揃って、状況によっての選択肢が広がってきたことは喜ばしいことです。

長い人ではすでに7年目に入っているわけですが、さすがに使えば効くのはよくわかりました。単独での使用よりも、ある程度の内服薬を併用したほうがいいということもわかってきました。こういう場合には副作用を注意しなければいけないというようなこともデータが揃ってきています。

そうなると、当然次に知りたいことは「いつやめられるのか?」、あるいは「どうなったら減量できるのか?」ということです。一体この注射薬の治療をいつまで続けることになるのか。患者さんも医者も誰もが知りたいことなのです。

実際、大変値段の高い薬なので患者さんの経済的負担はばかになりません。内服薬での治療ならは平均して月に数千円ですが、生物学的製剤を使用すると月に数万円かかってしまいます。一生続けなければならないとしたら、かなり大変なことでしょう。

現実にはまだ使われだしてから10年もたっていないわけですから、長期的な部分については誰にもわかっていないわけです。数年前からは、そのあたりの話もばらばらに出始めていますが、どちらかというと効果が少なくなってきたときにどうやってブーストするかというような話が多いかも。

うちのクリニックでは、ある程度良好な状態を維持できている患者さんは少しずつ注射を使う間隔を伸ばしています。はじめは週に2回の皮下注射をしていたような場合で、今は2週間に一回でも大丈夫というような患者も出ています。

今はそれぞれの医者が患者さんと協力して、手さぐりでいろいろ試しているという状態ですが、ある程度まっとまったデータとして、整理されて使い方のノウハウが早く充実していくことが期待されています。

最新のトレンドでは、発症から6ヶ月以内に「治癒」にもっていきたいということになっています。これは根本的な病因がまだわかっていない関節リウマチという病気にとっては、かなり高いハードルであると言えます。

それでも、このような目標を真剣に議論しようという下地ができてきたことはまちがいない。専門医としては、ますます気が抜けない次の10年間になることでしょう。

2010年8月28日土曜日

真似っこ萬歳豆屋の小僧

・・・豆ができたらくださいな。

とは、ずいぶんとこどもの頃によく使ったフレーズ。これも今使うと「いじめ」言葉のひとつになったしまうのでしょうか。

そんなわけで、今週は横浜市都筑区毎日ブログを必死に書く変な4人の医者・・・まぁ、そんな大袈裟なものでもないのですが、集まって飲み会をして多いに盛り上がったわけです。

そのなかで、それぞれのブログのスタイルというのが話題になりました。

あざみ野棒屋先
生は、淡々と日々の生活・・・例えば床屋さんにいったとか、昼に何をたべたとかの記録をしているのですが、興味の対象としてのネット利用については際立っている。ツイッターに真っ先に飛びつき、遊んでいる様子はなかなかほほえましい。

そうかと思うと、泌尿器科という専門にからんで、けっこうきわどい生殖器関係の話や絵が飛び出してきたりして、なんとなく後ろを気にしながら見てしまうことも少なくない。

Dr.Mは自費診療の美容をやっている関係もあり、ブログを含めてインターネットを積極的に情報発信のツールとして活用しています。とにかく熱く熱くバリバリの仕事ぶりが伝わってくるハードボイルド型。

しかし、その一方でかなりはじけた話題も少なくなく、時にはこちらが「忙しすぎて壊れちゃったのか?」と心配したくなるような内容もけっこうあります。

Dr.Flickerは、冷静沈着にたんたんと思い出を語っているかと思うと、一転社会に対して猛然と怒りを発散する熱血振りが真夏の気温をさらに上昇させています。

ただし自分の場合と一緒で、ちょっと「なりふりかまわず」という感じではなく、よそ行きの雰囲気があるという。はじけたいけどはじけられないみたいなところがあるというのが、他の先生方の評価。

なるほど、それじゃ実際、3人のブログの雰囲気を確認するために真似をしてみようと思い立ち書いてみたのがこの数日間。

確かに自分が似ているといわれたDr.Flickerのスタイルは一番書きやすい。短めに改行して読むリズムのテンポの良さはさすがに真似できませんでしたが、自分でも比較的すんなりとかけてしまいました。

ハイテンションを全面に出していくDr.Mのスタイルは一番難しい。自分で書いていて恥ずかしくなってしまい、とてもとてもDr.Mのワールドにし近づけそうもありません。

あざみ野棒屋先生のスタイルも意外に難しい。けっこう凄いことを書いていても、さらっと読ませてしまうところがとても真似できません。また毎日いろいろなことをいろいろな場所でやっているから「日記風」が成立するわけで、あらためて行動力に感服しました。

そんなわけで、人の振り見て我が身を直す、じゃありませんが、あらためてそれぞれの個性の違いがよくわかりました。自分のスタイルというのも完全にできあがってしまったように思いますので、いまさらあまり変えようはありませんが、これからもあきれずお付き合いください。

2010年8月27日金曜日

蛍光灯 1000円/本 院長のぼやき


今週も暑い日が続いて、午後からは患者さんは少なめ。こういう時は、こんなことをして遊ぶのもいいですね。とりあえず、自分の場合は多少院内の整備などにも気を配ったりする時間ができたということで、それはそればよしとすることに。

うちのクリニックは待合室を中心に、デザイナーの意図により間接照明が多いのです。その分、見た目の良さはかなりのものですが、現実はそんな簡単な話ではありません。

間接照明で蛍光灯が隠れていてそのままだと暗いため、直接に比べて本数が多い。しかも、隠してある分熱を持ちやすいのか痛みが早い。特に最近は次から次へとダメになっていくのです。

高い場所で隠してあるので、これを交換するのも一苦労。蛍光灯の値段もバカになりませんから、けっこう維持費としてはきついものがあります。開業を考えている方は、こういうハードの部分についても知っておいた方がいいですよね。

関節リウマチの話や高齢者の腰痛や膝痛の話を書くと、自分のホームページに元気玉を送ることになるわけで、もっと患者さん向けの話を書きたいところですが、一度に書くと今後のブログネタに困りそうなので、また次の機会にしたいと思います。

昨日は木曜日で診療は午前中だけ。昼から近くの病院に入院してもらった患者さんの状態を確認しにでかけて、途中でヤマダ電機で買い物。
赤田西公園のル・ブルのあとはセブンイレブン。回りを全部駐車場にして、かなり余裕の作りになっています。8月31日オープンで、「オープンセール」と書いてあるのですが、コンビニのセールって何をするんでしょうか。

あざみ野のモスバーガーでハンバーガーを買って、家で昼食にありつきました。これから午後は剣山スポーツガーデンでテニスを3セットといきたいところですが、いかんせんインドアの自分は家で書類整理。

そのあと、「美しき姫君~発見されたダ・ヴィンチの真作」を読了。夜はVS嵐。

2010年8月26日木曜日

木曜日外来 (横浜市 都筑区 あすなろ整形外科)

木曜日は休みにしているクリニックが多く、勤務医をやっているイケイケ医師の頃には、「なんで開業医はみんな木曜日は休みなんだよ」とあきれていたものです。いざ、自分が開業医になってみると、この辺の事情というのがなんとなくわかってきました。何でも全部自分がやらないといけない開業医は、週の真ん中あたりで休みをとりたいという気持ちになります。それに今やそういう開業医を対象とした勉強会やさまざまのイベントが木曜日に多く企画され、診療以外のいろいろな雑用は木曜日に集中的にこなすというスタイルが出来上がっているようです。

うちの場合は、開業当初から木曜日は午前中はクリニックの診療を行っていますし、午後は大学の外来や近く一般病院の外来をこなし、のんびりとしていると思われたら心外です。何しろ全国有数のクリニック激戦区でやっていくからには、他のクリニックと同じ事をしていては生き延びることはできません。だったら、午後もクリニックをやればいいじゃないかと言われそうですが、大学との関係を維持していることが知識のアップデートに役に立つし、クリニックにとっても大学の大看板を利用するというメリットもあるわけです。

一般病院との関係は、より近いだけにさらに重要です。先週はビル内で転倒して、骨折で痛がってありえないような大声を出している患者さんが運ばれてきました。こういうときに、すぐに入院先を確保するというのは、今のご時勢ではけっこう時間と労力がかかる。救急車も転院先が決まっていないとすんなり来てくれません。こういうときに内部の人間のように無理がきくのも外来をやっているから。昨日も同じようなことがあり、何とかベッドを作ってもらいましたが、本当に助かります。

というわけで、木曜日は半日だけですが、それなりに凝縮したアドレナリン一杯の怒涛の外来をこなしていきたいと思っている(センター南駅前の)Dr.Mでした。今日の気分は、こんなところでしょうか。

2010年8月25日水曜日

塩化ナトリウム

こんだけ暑いと
本当に水分が体から
足りなくなります

年を取っていると
体の水は減っているので
よけいに脱水になりやすい

屋内で日に当たっていないからと
安心してはいけません
誰でもどこでも気をつけて

暑さ寒さも・・・と言いますが
今年は当てはまりません
体育の日まで続くかも

もうひとつ忘れてはいけないのが
塩化ナトリウム
塩です

汗をかいて
多くの塩が失われている
ナトリウムは大事

多すぎると
血圧が上がって
頭の血管がきれたりします

汗には最大で0.5%の塩が混ざっています
ですから汗を一杯かいたら
塩の補給は必要です

昔戦争で南の島では
やむを得ず海水を点滴したと
軍隊上がりの先生から聞いたことがあります

もちろん助かるわけがありませんが
他にどうしようもなかった
少しは生き延びたということでしょう

今の時代は幸せです
適切なミネラルを含んだ
スポーツ飲料が簡単に手に入る

とにかく今年の夏は
体調を崩さないように
水と塩の補給を忘れずに

2010年8月24日火曜日

ブロ友会 in 梵 @ センター南

おっと、梵と言えばよくお世話になっている近くのお店じゃないですか。今回はブログを毎日せっせと書く都筑区開業医仲間の恒例の会でお世話になりました。
あざみ野棒屋先生には、この梵のスターターセットの写真は使いまわしかと言われてしまいましたが、毎回新しい写真ですよ。

いつも、気楽に言いたいことを喋る会なので、本当にストレス発散にもつながり楽しいものです。ちなみにこの店でいただくお酒はこれ。もともとビール党なので、他の酒はほとんど飲むことはありません。

日本酒で有名な八海山が作ったビール。通称「はち生」です。ちよっとにごっていて、フルーティで甘い香りの強いビールです。

もしお立ち寄りの際には、是非どうぞ。今夜は酔っているので短めで失礼。

2010年8月23日月曜日

解剖学者の夢

では、ベサリウス以後の解剖学の歴史はどうだったか。昨日からのつづきを考えてみます。

16世紀のなかばにベサリウスによって、自らが解剖をして、見えた物、観察できた物をそのまま受け入れるという環境が整備されました。さらに1628年にハーヴェイの血液循環説が発表され、体中の体液の流れが解明されたのです。医学は、ガレヌスからの長い呪縛からやっと解放されました。

解剖図譜の出版もいろいろ行われていましたが、ベサリウスが使ったような絵画的な手法が使われ続けていました。屍体は様々なポーズを取り、生きていて生活をしているかのようなものが多い。

その中で、見えたままに図を書いたものも多く採用し、傑出した解剖学書を発行したのがビドロー(1649-1713)です。その姿勢は(養老先生も指摘していましたが)、なんと屍体に止まっているハエまでも書き込んでしまうというところに現れています。

ビドローの人体解剖図は評判になり、多くの海賊版を生み出すことになりました。日本人としてはちょっとショックだったのは、日本の医学の礎となった杉田玄白の「解体新書(1774)」もじつはそういう海賊版のひとつであるということです。

もっとも解体新書が西洋の知見を翻訳し紹介するものであったわけですから、当然と言えば当然なのですが、なんとなく寂しい気分になってしまいます。

1830年に画期的な発明があり、ここまでの解剖学に変革をせまることになります。カメラの発明です。さらに19世紀後半になるとフィルムが開発され、「見たまま」を美しい図としてのこすことは写真に取って代わられることになっていくわけです。

さらに同じ頃にホルマリンが一般に使えるようになったことが、解剖学を大きくかえることになります。つまり屍体の保存が可能になったということです。腐敗との戦いから解放され、研究材料としての屍体を手に入れやすくなったと言うことです。

マクロスコーピックな人体解剖学はここにきて完成したといえるでしょう。絵画的表現や見たままの表現は必要なくなり、理解を深めるための図式的表現が主流となっていきます。1858年に発表されたグレイの解剖学図譜は現在も版を重ねる原題解剖学と原点と言えるかも知れません。

19世紀末にレントゲン写真が開発され、人体の解明は生体に向かっていきます。一方、16世紀に発明された顕微鏡でしたが、フックによってコルクの観察から「細胞」と言う言葉が使われたのが1665年。

それから、植物も動物もすべて生物の基本単位が細胞であることが確立したのは1858年。ミクロの世界の解剖学の始まりとなりました。顕微鏡発明から時間がかかっているのは、結局腐敗の問題があったからではないでしょうか。

今や、人間の最後の秘境といえる遺伝子すら全解明が終わろうとしているという時代です。19世紀半ばから発達してきた分子生物学は、いまや医学研究の主流であり、今世紀の早いうちに人体探求という知的プロジェクトは完全に終了するでしょう。

そのあと研究者の興味はどこに行くのでしょうか。

2010年8月22日日曜日

Leonaldo DaVinci as Anatomist

医学の歴史というのは、たぶん掘り出し始めたらとことん深みにはまっていきそうなジャンル。一般の歴史書に比べると資料も多くはありませんし、なかなか調べるのも大変。ですから、興味は当然あるものの、探求はその中のごく限られた部分だけにしておいた方がよさそうです。

そこで特に絞り込んだテーマが解剖学というわけで、その中でも骨学・筋肉学というのは体表から近いために古くから注目されてきた部分です。となると、整形外科を専門にしている医者としても興味を持たないわけにはいきません。

近代医学の分岐点として金字塔的な解剖学書「ファブリカ」を著したベサリウス(1514-1564)については、先に書いてしまいました。そこで、今回はベサリウス以前についての話。

古代エジプトではイムホテフ、古代ギリシャではアポロンが医学のスターということになります。もとはといえば病気は神・悪魔の仕業と考えられていたわけで、そのため医学はまじないや占い、あるいは呪いの対象としてはじまりました。

それをヒポクラテス(BC460-BC375)が、魔術的要素を排除して経験科学としての医学を独立させたわけです。そしてガレヌス(130-200)は実験生理学を導入して、より科学的な確証を持った医学を完成させました。

しかし、人体の解剖が正式に行われるようになるのは12世紀に入ってからのことで、初めての解剖学書がルッチィによって発行されたのは14世紀のことでした。それから1500年ごろまでの間に、いくつかの解剖学書が作られているわけですが、いずれも本当の人体の構造を示していないのです。


図は平面的で、ちゃんと観察していたら間違いと気がつくような点が数多く書かれています。これは、ガレヌスの(今となっては)誤っていた考え方が1000年以上にわたって医学を支配していたことも多いに関係しています。

解剖学の教授はガレヌスの説を紹介することが仕事で、実際の人体解剖は助手がたまに行うだけでした。ガレヌスの説からつじつまの合わないことがあっても、それはたまたまその屍体がそうだったと考えていたのです。

しかし、現実の人体の構造を見てガレヌスに疑問を持ったのがベサリウスだったわけですが、実は彼よりも50年早く、積極的に人体解剖を行い精密な構造を解き明かそうとしていた人物がいたのです。

それが万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)でした。ダ・ヴィンチは基本的には画家ですが、完璧主義者で、完成された絵画はわずかに10数点しかありません。しかし、手稿と呼ばれる走り書き的なノートに、厖大な資料を残しています。


これは日記的なものから、発明の思いつき、創作活動の記録など多岐にわたる内容となっていますが、この中に大量の解剖の図譜が書き込まれています。完璧な人物画を書くためには、人体の構造を熟知する必要があるという発想から始まったものだったのです。

ですから、医学としての解剖学とは一線を画する物であることは否定できません。しかし、本来体表面の形だけ知っていれば、画家としては十分であるにもかかわらず、ダ・ヴィンチの絵の人体の奥深くまで入り込み、原題の知識で見てもその精巧さには舌を巻くしかありません。


これは、ダ・ヴィンチが自分で実際の解剖を行った、それも何度も何度も行ったことを意味しています。当然、法律すれすれ、あるいは時には逸脱していたことも容易に想像できることです。

ダ・ヴィンチの解剖図は、それまでの解剖図と比べて正確さが桁違いであるだけでなく、彼自身が完成させたさまざまな遠近法による描画技術によって、かなり立体的な奥行きを持ったものです。

当然、芸術家としての視点から書かれているわけですから、時には現実の形状を無視して、構造的美しさに重点を置いていることもしばしばあります。しかし、それが芸術としての素晴らしさとともに、かえって構造の理解をわかりやすくしていることもあるわけです。

中には現代のCT検査の発想につながる、人体の連続的な輪切りのスライスの図もあったりして、まさに驚きを禁じ得ません。もちろん、一部には誤りである記載もありますが、医学から入らなかっただけにガレヌスの呪縛に縛られなかったことが成果につながったのでしょう。

もしも、この図譜集が発表されていたら、天才ダ・ヴィンチは近代医学の父という代名詞をも手に入れていたかもしれません。しかし、実際は弟子によって死後も厳重に保管され、公になったのは100年以上たってからのことでした。

2010年8月21日土曜日

夏の終わり

ふぅ~・・・えーっと、何というか・・・
とにかく、一気に力が抜けてしまいました。

まぁ、港北ニュータウン優勝おめでとう!!
明日から優勝記念セールですか?

えっ? 何が?

うちのクリニックの入っているビルの後ろですよ。
ホームセンターがあるでしょう、コーナン。

そんなわけで、一つの夏が終わりましたね。結果はともかく、連日がんばった高校球児たちには、素直に拍手を送りたいと思います。

うちのブロック塀に、蝉の抜け殻を発見しました。今年は暑すぎるせいか、あまり蝉の鳴き声を聞きません。でも、ちゃんとこうやって脱皮しているところをみると、蝉はいるはずですよね。

まだまだ暑い日が続いていますが、季節は着実に秋を迎える準備に入っているんでしょう。

2010年8月20日金曜日

熱血!! 高校野球

今日は夏の甲子園大会、準決勝の2試合が行われました。島袋投手を擁する沖縄興南と一二三投手を擁する神奈川東海大相模が勝ち上がり明日の決勝にこまを進めました。

どちらの試合も、逆転勝利でハラハラドキドキの試合展開でした。選手たちもこの暑さの中で、連日の試合では疲れもだいぶたまっていることでしょう。

自分のように神奈川県民としては、春夏連覇を目指す興南との決勝戦は最高の舞台です。明日は、クリニックを休んで甲子園に・・・というわけにはいきませんから、できる範囲でテレビで応援をしたいと思います。

今大会で、最も注目を集める二人のエースの対決を見ずして、この夏は終われません。この際ですから、阪神も巨人も、そして中日も忘れましょう(ねっ!!)。

それにしても、ずーっと昔、高校生の頃を思い出しました。自分の出身高校は野球ではまったくたいしたことはなく、夏の大会の地方予選は出るだけで、全校からはまったく期待されていない状態でした。

確か高校2年のときでしたか、初戦に勝利してしまったのです。そこで、応援をしないといけないということになり、にわか応援団が結成されました。さらに、神宮第2球場に応援に行くと、体育の欠席がチャラになるということで、日頃あまり真面目に授業に出ないようなやつまでわんさか応援に繰り出すことになりました。

確か、2回か3回勝ち進んで、これに勝てば東東京でBEST8になるというところで負けてしまい、みんなの夏は終了したのです。

日頃バンドとかやって、長髪のどう見ても不良っぽい連中が応援するのですから、けっこうひんしゅくだったようです。自分たちのいるスタンドに近いところで守っている相手の選手を、無差別にやじり倒し、そのあまりにひどい応援姿勢はだいぶ問題になりました。

でも、ものすごく楽しい応援だったと思います。何かひとつの事に仲間全員で一致団結して向かっていったことは、忘れられない思い出になっています。

地方予選ですらそうなんですから、甲子園の決勝にまでいった両校の応援団の興奮といったら並大抵のことではないでしょう。許されるものなら、本当に休診にしたいくらいの感じです。
とにかく、明日は高校野球史に残るような接戦を期待しています。

2010年8月19日木曜日

あすなろ海水魚館 ~ 異変!

それまで見向きもしなかったカクレクマノミが、急にシライトイソギンチャクに入るようになったというのは、やはり異変だったのです。実は、前回ブログでこの話を書いた翌日から、カクレクマノミの体表面に白い点々が・・・

そうなんです。白点病です。白点病は白点虫という寄生虫によって一番多く発生する、やっかいな病気。魚の体表にくっついたり離れたりを繰り返しながら爆発的に増加、次第に鰓をふさいだりして呼吸を妨げてしまうのです。

カクレクマノミは体表に虫がついてかゆいので、しょうがなく好きではないイソギンチャクに入って、体をこすりつけているのでしょう。

これまでにも、最初の頃に何匹かに発生していましたが、その後は水そのものは落ち着いたのか出てしませんでした。今回、大リセットを行ったので、白点虫が元気になりやすい環境にもどってしまったということでしょうか。

マンジュウイチモチもやられてしまい、こちらは発病して1週間でダウン。さらに発病していなかったハタテハゼの水槽からの飛び出し事故もあり、現在残っている魚は、白点病のカクレクマノミとフレームエンゼルの2匹だけになってしまいました。

フレームだけが発病していないのが唯一の救いですが、それはそれで何で発病しないのかがよくわからない。カクレに比べれると、一般的には白点病には弱いように思うのですが。この辺が、まさに教科書通りにいかない海水魚飼育の難しいところ。

それより難しいのは、白点病り治療です。複数の水槽を使い分けて隔離治療をするのが本来なんでしょうが、なかなかそこまでのとをする時間も場所も道具もありません。

そこで、先週はひたすら水換えを行いました。ほぼ毎日、半分くらいの水を交換。これは白点虫の数を増やさない効果はあっても、焼け石に水。あとは魚の体力勝負という消極的な方法です。

今週は夏休みが終わって、診療を再開しているので、なかなかこまめに水槽の手入れがしずらい。そこで登場したのが新兵器、パラサイト・リムーバーという添加剤なのです。水槽内に混入するタイプは管理が簡単なのですが、白点虫へのダメージは水槽内のほかの生き物にもよくないわけで、とくにサンゴやイソギンチャクのような無脊椎動物には禁忌のものがほとんど。

その点、これは生物学的兵器みたいなもので、環境破壊は最小限ですむということで期待大なのです。ただし、海水のpHがさがってしまうので注意が必要なことと、プロテインスキマーで白点虫を外に追い出していくというのが大事。

スキマーはそれほど効果的なものを設置していないので、うちの場合はこまめに水換えをして対応するしかありません。しかし、確かに少しずつですが使い出してからカクレの白点が減ってきたように思います。

とにかく、次の週末が勝負でしょう。手入れができない日曜日をこえて週が明けたときに生き残っていれば、勝利を手にすることができるかもしれません。ふぅ~ぅ~・・・

2010年8月18日水曜日

Andreas Vesalius

医者の勉強の基本は・・・やはり、人体の構造をちゃんと知っていること。つまり、解剖学。

でも、人体の構造はいまだにすべてが解明されているとは言えません。肉眼的な、マクロのレベルでの解剖学はさすがに完成していますが、いまや遺伝子のレベルのミクロの世界の解明に力がそそがれ、そのかなりの部分がわかってきているわけです。

マクロの解剖学についても、その歴史は紆余曲折があり、解明が完了してのもそれほど昔のことではありません。

そもそも、約2000年前のヒポクラテスを医学の祖とするのが一般的ですが、それまでの祈祷師的な世界を体系づけて学問として成立させたことは画期的だったわけですが、人体の構造についての正しい認識はありませんでした。

次に医学の偉人となるのは2世紀のギリシャのガレヌスです。ガレヌスは動脈・静脈・神経の存在を確認していましたが、それぞれが独立した体液の流れをもっていると考えていました。当然、今の知識からすれば明らかな誤りです。

しかし、困ったことにガレヌスの影響があまりに大きく、医学はガレヌスを超えることができなくなってしまったのです。ガレヌスの学説がまずありきで、それに見合わないことは誤りであるとして切り捨てられてしまうようになったのです。

このような状態が、なんと驚くべきことに16世紀まで続くのです。16世紀の大学の医学の教授は、高いところからガレヌスらの著作を読み上げるだけで、実際に人体の解剖を行ったりはしませんでした。

このような閉鎖的な誤認だらけの人体解剖学に疑問を持ち、自ら人体の解剖を積極的に行い、ガレヌスの説の誤りを明文化して近代医学を切り開いたのがベサリウスなのです。

ベサリウスは、なんと22歳で解剖学の教授に就任しました。もちろん、今の大学教授とはだいぶイメージは違うようですが、ひとつのセクションを任されたこと違いありません。

解剖するのは死刑になった罪人の遺体が中心ですし、まだ当時はホルマリンによる防腐処理が開発されていない時代ですから、解剖できるチャンスは多くはありませんし、一度始めると時間との勝負です。

その中で、ベサリウスは徹底的に人間の構造を追及して、ガレヌス批判を恐れずに、28歳のときに「ファブリカ」と呼ばれる600ページを超える解剖学書を発行しました。それまでの解剖学の教科書とはまったく違う、綿密なスケッチを基にした、それでいて芸術的な解剖図は画期的なものだったのです。

ベサリウスでなくても、どこかで正しい人体の構造を誰かがいつかは発見したかもしれません。しかし、ガレヌスの「呪い」に支配されていた医学に正しく物を見る目を開かせたのは、ベサリウスだけの功績であり、現代の自分たちが医者をやっていられるのも「ファブリカ」がスタートにあることを改めて認識しなければいけません。