小泉政権のもと「改革」という名前の元、いろいろな変革が行われたらしい。報道されいろいろな討論が行われたものもあれば、ほとんど知られていないものもあるわけです。
国民の生活に密接に関係するはずの医療は、郵政と道路という2大問題の陰に隠れてしまった代表的な問題でした。そして医療改革は、まさに医療崩壊へのシナリオだったといえます。
国の方針の基本は、高齢者が増えて医療費が増大し国民の負担が増えるという理由で、医療費を極限まで抑制するというものです。そして、もう一つ、医療問題が起こる原因となる医師のモラルや大学を中心とした縦社会を修正するために、研修医システムの再構築でした。
そもそもの変革のスタートは、2000年の介護保険制度の導入からと言えるかもしれません。高齢者医療費を削減するために、高齢者の医療費に含まれていた「介護・在宅」の部分を切り離し、医療費から独立させることで見かけ上は医療費を減らすことになったのです。
介護・在宅は高齢化社会では絶対に必要なものですが、ここですでに郵政問題の時のような論法が展開されていました。介護保険制度に反対するものは高齢者の介護にも反対するのだな、というような問題をすりかえてしまうような議論が行われていました。
そして、結局きちんとした制度ができていないのに見切り発進でスタート。様々な混乱の中から、それでも現場では何とか仕事をしてきました。
しかし、医療と介護を別枠にすることには、根本的な無理があります。医療が必要なときに介入することが大変難しくなってしまいました。それでも、やっと形が整ってくると、当然金がかかる。介護保険の肥大化(というか、実効化)が問題になり、政府は今度は介護保険の削減に走り出しています。
医療費の削減は、いまさら言うまでもありません。批判を恐れずはっきり言えば、もともと国が決めている診療報酬は、まじめに医療を行うほど赤字になっていくような額です。各医療機関は、いわゆる「企業努力」によって何とか経営を保っていたのです。
国民が期待する高度の医療を行うほど赤字になっていくわけで、そのしわ寄せは医療機関で働く者にかかってきていました。「人のために」働くという大義名分のもとに、自分も労働法などとは無縁の世界で成長してきました。
しかし、どんどん削減された診療報酬の中ではもはや経営は成り立ちません。「医療崩壊」のはじまりです。さまざまな医療機関が倒産し始め、悲鳴を上げ始めましたが、これまで政府はむしろ医療費が減ることを歓迎するかのように削減を続けています。
研修医システムの改革は、さらに医療崩壊を加速させる要因にあげることができます。表面的には「使える医師を増やし、研修医の人権を尊重する」ためですが、すでに確立されていた大学の封建的な縦社会が完全に崩れてしまいました。
もちろん最良の社会とは言えませんが、あまりに急速な秩序の崩壊によりまともな対応がとれない大学がほとんどでした。医学部は最新の医療知識を集約して普及させる、そこから育った人材が地域医療を支えていくという流れは妥当だと思います。
新研修医システムの結果、大学病院での厳しい労働が嫌われ大学で研修しようという若者は激減。大学からの派遣に頼っていた一般病院は医師確保ができなくなり、入院ベッドを削減、科を閉鎖、そして病院自体も倒産まで追い込まれているのです。
特に医師や病院が少ない地方では深刻です。さらに医師のサラリーマン化も始まっており、もはやリスクを背負うことはありません。
そこへ2002年の慈恵医大青戸病院事件と東京女子医科大学人工心肺事件、2006年の福島大野病院事件、さらにHIV問題や肝炎問題など様々な医療に関するnegativeなニュースが世間を賑わしたことが、追い打ちをかけました。
もちろん、医師の側も問題があるわけですから、このような政策を単純に批判するわけにはいきません。しかし、昨年からだめ押しのように後期高齢者医療制度がスタート。さらに今年からは体全体をみるための基本検診にかわりメタボリック症候群だけに絞った特定検診という具合に、まだまだ「医療崩壊」を続けるつもりのようです。そしてますます増えるのは「萎縮医療」というのが現実です。
この1週間に、大野病院事件の判決、西濃運輸保険組合解散、さらにちょっと縁がある千葉県銚子市の市立病院閉鎖というニュースが立て続けにありました。
さらに、本日は厚生労働大臣が研修医制度の見直しを発表、そして介護の有資格者の就職を国が援護するという話まで出てきました(ただし低賃金で重労働だから資格を取っても仕事に就かないわけで、介護報酬を引き下げるばかりの現実では・・・)。
まずは国民の生活を安定させることが政府の基本的な仕事であるならば、今の日本の政治家はどこを向いているのでしょうか? 少しは何かがおかしいということに気づき始めたのでしょうか? 間に合うといいのですが。
この手の話題は書くことは、初めてではありませんし、見方はいろいろあり何を正論とするかは価値観の違いも大きく影響します。少し自分の考え方を整理しておきたくて書きました。