2008年10月22日水曜日

大学進学

昔は、大学へ行く人はそうはいなかったわけですが、いつの間にか大学へ行くのは当たり前。大卒という学歴重視の社会になってしまいました。

それに対して、いろいろと反省する意見も出ては消え出ては消え。そういう自分も、もちろん大学、しかも医学部に行った訳ですから、そのことをどうこういう資格はありません。

親が医者で、こどもも医者にしたいという自然の期待があったわけですが、親に反抗する気持ちからか、高校3年生の夏までは医学部へは行きたくないといい続けていたのです。

当時は、デザインの仕事をしたいとか思っていましたし、社会科教科が好きだったので、特に地理とか歴史とかですけど、どう見ても自分は文系だと考えていたのです。

そういう科目の勉強を一生懸命やっていたように思いますが、何で夏に気持ちが変わったのか、よく覚えていません。たぶん、やっと反抗期が終わったのかもしれません。親を見ていて医者の仕事というものを、少しは理解し始めたのかもしれません。

でも、気持ちがそっちに向いても、どう頑張っても手遅れでしたね。そんなに世の中は甘くはありません。そんなに簡単に大学は入れてくれるもんじゃありません。

当時は慶応大医学部は40倍以上。「新設校」といわれた私立の医学部でも20倍くらいありました。見事に浪人決定です。今から思えば、両親は相当落胆したんでしょう。

代々木の予備校に通うようになりました。でも、まだまだ気持ちは甘かった。午前中は代々木にいましたが、昼からはてくてくと渋谷の百軒店まで歩いて、ジャズ喫茶に行きます。あまり旨くないコーヒー一杯で夕方までねばって、それから家に帰るという生活をしていました。

そんなことをしていて当然大学には入れるわけがありません。またもや浪人。そしてさらに1年間が過ぎて3浪決定となったのです。

浪人生活は苦労をして人生の糧となるみたいなことを言いますが、やはりそれは言い訳です。自分がだらだらと生活をしていて、しっかりと目標に向かってがんばっていなかっただけなのです。今、自分が何をすべきかしっかりと考えて、努力をしていなかった証拠みたいなものです。

さすがに、これはやばいと思いました。これほど親不孝なことはなかったでしょうね。これは両親の年齢になり、こどもたちが大学受験をする年齢になって、はじめてわかる話なんだと思います。

三浪してやっと本気で勉強したせいか、やっと大学に入ることができました。十分、遊びの時間を使ってしまったわけですから、大学に入ってからは、絶対に留年なんかできません。たまには再試験なんてものもありましたけれど、その後は一期に医師国家試験まで走り抜けたと思います。

こどもたちには、大学へ行きたいという気持ちがあるならば、精一杯努力をしてもらいたい。努力した結果が良い結果でなくてもいいと思います。努力しないで悪い結果になったときは、今の自分のように必ず大人になって後悔するんではないでしょうか。

後悔を先に立たせて、後から見れば、杖をついたり転んだり。後悔はしないにこしたことはありません。