イタリアの映画監督、ルキノ・ヴィスコンティが亡くなったのは1976年。ああ、もう36年も前だったのかと、最近ふと気がつきました。
若い頃は、いろいろなところで背伸びをしてかっこつけたくなるものです。自分も、当然ずいぶんと生意気なことをやっていた。高校の同級生が映画が大好きで、しかもやたらと難しい映画ばかりを好む奴だったので、浪人していたときに彼からずいぶんと感化されたものです。
彼とは池袋の場末の映画館でオールナイトで黒澤映画を立て続けに見たりもしましたが、男同士で「生きる」とか「どですかでん」とかを眠い目をこすりながら徹夜で見続けて、まぁなんとも色気の無い話です。
ヴィスコンティを知ったのも、そんな彼からの影響でした。遺作となった「イノセント(1976)」の公開にあわせて、過去の作品も上映されたんです。
当時は、ヴィスコンティがどんな人なのかもよく知らず、映画とはとにかく難しい芸術論を戦わせるための道具と思っていて、その素材としては最適なものと考えていたんでしょうね。
「地獄に堕ちた勇者ども」という邦題がついたこの映画は、最初のモーリス・ジャーレの激しい音楽とともに鉄工所の作業の様子がタイトルバックに流れ、とにかく不安をかきたてるような始まり方をします。
富裕層である鉄鋼王の一家の没落の話・・・と思って見ていましたし、退廃した自堕落な生活に主眼がおかれているような印象をもちましたが、結局何の話かよくわからなかったというのが本当のところ。
それでも、ヴィスコンティの画面からほとばしるような強いエネルギーみたいなものはどこかで感じていたんだと思います。どうにかしてこの映画のメッセージを理解しないといけないというような、感覚はずっと続いていました。
この数十年の間に、テレビでも懐古放映されたりもしましたし、DVDも発売され繰り返し見ることができるようになりました。一度見ると、何かひとつわかった気がするのですが、いまだに理解できない何かが残っています。
貴族というもの、ヒットラーが率いたナチスというものを歴史の中からしっかりと把握しないと、この映画の本質はわからないのでしょう。積極的に理解するための努力はしていませんが、また何か新しい発見のために何年かに一度は見たくなる映画の一つです。