ヴィスコンティは貴族社会の出身であり、20世紀に入って崩壊していく貴族制度の中で数々の悲喜劇を実体験していた人物です。若い頃から舞台の仕事をはじめ、名監督のジャン・ルノワールのもとで映画を学びました。
1942年の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」で監督デヴューし、ネオリアリズムの先駆者の一人としてイタリアのみならず世界映画史上に名を残すことになります。後半生では、自分の出自である貴族の没落がテーマとなり、リアリズムを求めつつも幻想的な作品を作り続けました。
ヴィスコンティの作品では、ひとつの対決軸があるわけで、それは崩壊していく旧体制と勢力を増してくる新体制であることが基本。その構図の中から、翻弄されていく人々のドラマが生まれてくるのです。
ノーベル賞作家であるトーマス・マンが書いた「ベニスに死す」は、まさにヴィスコンティのためにあると言っても過言ではありませんでした。マン自身もドイツの富裕な家庭に生まれ、家族の崩壊、ドイツからの亡命という人生を歩みました。
主人公の作家のモデルは、作曲家のマーラーであることは周知の事実。創作意欲をなくした老境に入った作家が、保養のために訪れたベニスで美少年に心を奪われ、今で言うストーカーまがいの行動をおこすが、流行していたコレラにより命を落とすという話。
マーラーはあくまでも、主人公の設定の上での参考であり、実際にベニスでの話はマン自身の実体験に基づく物でした。そして、映画の中でも美少年への憧れは、そのままヴィスコンティの思いとも重なっていることは間違いない。
この映画の白眉となるのは、最後の浜辺のシーン。マーラーの交響曲第5番第4楽章アタージオが流れる長いシーンです。老いて醜塊を晒す主人公は、床屋のすすめるままに顔を真っ白に塗り、髪の毛を染め、偽りの若さを手に入れます。
そして浜辺で椅子に座って、波打ち際で遊ぶ美少年を見つめ続けます。コレラによって体力を失っている主人公は、美少年がいじめられても助けるだけの行動を起こすことができない。
美少年は、自分の若さや美しさを見せつけ、一方主人公は流れ落ちる汗のため染料が流れ出し、いつわりの若さがはがれ落ちていく中で息絶えていくのです。
老いと若さ、美しさと醜さ。これほどに感動的に描き出したシーンは、知る限り映画史上にはありません。死ぬまでに見なければいけない映画の一本として、絶対に忘れられない作品と思います。