シューベルトはわずか31年間の人生で、膨大な曲を残しました。まだまだ自分で未完成と思っていた曲が多く、途中で作曲が終わっているものも数多く存在し、その代表は交響曲の「未完成」でしょう。
しかし、ピアノ・ソナタも第21番まであるものの、そのうち1/3は完成していない。後から、これとこれが一緒になるはずだったのだろうと、いろいろパズルのように組み合わされていたりします。ですから、全集とついていても、微妙に内容が違ったりしますし、完成しているものしか演奏しないというピアニストも少なくありません。
60年代にケンプが全集を録音するまでは、あまり人気がなくて、残されている演奏はあまりありません。しかし、もともと多くの歌曲を書いたシューベルトですから、器楽曲というより歌えるメロディを作る才能は天才的。
一度知れ渡ると、演奏する人がどんどん増え、今やモーツァルト、ベートーヴェンに続いて3大ピアノ・ソナタ全集と呼ぶことができるほど、重要な作品群となっていると言っても過言ではありません。
しかし、おそらくピアニストにとって、表現力という観点からは最も難しい作品ではないでしょぅか。自分のクラシック音楽収集のナビの役をした「クラシックCDの名盤(宇野功芳ら)」に紹介されている話がわかりやすい。つまり、シューベルトは「一生懸命、長くしてソナタにしている」感じというもの。
つまり、一聴すると、なんかだらだらと長いだけで、繰り返し同じメロディが出てきて起承転結がはっきりしない。ところが、最初は多少の我慢が必要かもしれませんが、繰り返し聴いていくとだんだん噛めば噛むほど味が出るスルメみたいな音楽なんです。
じっくりと聴いていると、メロディメーカーの面目躍如たる心に残りやすい主題がはっきりしてきて、続いてそれらの合間にはさまっている絶妙な「間」がなんともいえない味をだしていることがわかります。その結果が、内田光子をもってして「死ぬときにはシューベルトを聴いていたい」と言わしめた音楽となってくる。
ケンプはさすがに先駆けとしての評価は捨てがたいのですが、内容は比較的今となってはおとなしいかもしれません。ブレンデルも70年代と80年代に2度集成していますが、どちらも悪くはない。
シフの全集は、人気と評価の高い全集ですが、実はあまり好きではない。どうも打鍵が弱くて、悪く言えば「女々しい」感じで、良く言えば情感があるということになる。情感だけで言えば、ルプーの方がたっぷりと気持ちがはいっていてわかりやすいかもしれません。
最近完成させたオーピッツは、最もがかりした全集でした。ヘブラーは、モーツァルトのような跳ねた感じでシューベルトに向いているとはいえない感じ。アラウは好きなピアニストですが、ちよっとごつごつした感じ。
個人的には、ケンプの次に買った田部京子の集成は好きなんですが、全集、しかもその他のピアノ曲を網羅しているという点では、まず聴くならダルベルトをお勧めしたい。まじめに、一つ一つを丁寧に演奏している点が好感をもてます。
ゆったり感の中で、一音一音に多くの気持ちを込めたのはリヒテル。やたらと変わったシューベルトを聴きたいのならば、 アファナシエフ。そこまで間を伸ばさんでもいいんだけどという、シューベルトの特徴をやたらと強調した演奏。
最近のものでは、ピリスの新作がよい。またメジューエワやルイスも悪くない。このあたりは、是非全集にまで発展させてもらいたいところ。また、できるならピアノがらみの室内楽も集成するくらいのものを期待したいところです。
まとまった録音としては、やはり内田光子に止めを刺します。一つ一つをものすごい集中力で弾き、一音たりとも聴きもらすことが許されないような張り詰めた緊張感がすごい。そのかわり、けっこう聴き疲れすることも否定できませんが、それがまた心地良いのです。
最初に聴くとしたら、かなりハードルが高いかもしれませんが、「死ぬまでに内田シューベルトは聴いておきたい」と声を大にして言っておきたいと思うわけです。