今日は、マリアの潔めの祝日(Purificatio Mariae)で、キリスト教の固定祝日の一つです。
聖燭祭(せいしょくさい、candlemass)とも呼ぶようで、次の1年間に使用する蝋燭を選別するのだそうです。昔は、その蝋燭を用いて、聖書を読むときに使用したり、葬儀の時などに灯して使用したらしい。
ユダヤ教徒の習慣に従って、聖母マリアは、生まれた赤ちゃん、つまりイエスを、生後40日目にエルサレム神殿に連れていきます。
そこで、出産の穢れを祓う供物を神に捧げ、イエスを一度神に返し、その後再び司祭からイエスを受け取るという伝統儀式も執り行われたのだそうです。
その時に、神殿の近くに住むシメオンという老人がイエスを抱き上げて、この子は神が遣わされた救世主であると見抜いて、喜びの神に感謝する「シメオンの領歌」を歌ったらしい。
そういうわけで、主が登場した日ということで、主の奉献の祝日、あるいは主の迎接祭(Praesentaio Domini)とも呼ばれていて、クリスマスから始まるキリスト生誕のもろもろのイベントは、正式には今日で終了となります。
日本でも、赤ちゃんを生後30日に生まれた土地の神社に連れていくという習慣があり、お宮参りと呼ばれています。時代、場所、あるいは宗教が違っても、親が生まれたこどもの無事な成長を願うのは、ほとんど本能みたいなものなんでしょうね。
さて、バッハのカンタータは、当然このお祝いのために演奏されないはずがありません。
BWV83 新しき契約の喜ばしき時 (1724)
BWV125 平安と歓喜もて われはいく (1725)
BWV82 われは満ち足れり (1727)
BWV158 平安汝にあれ (1735以前)
BWV200 われはその御名を言い表わさん (1742頃)
このうち、BWV158は復活節第3日のための4曲からなる短いカンタータですが、もともと第2と第3曲がマリアの潔めの祝日のために書かれたものと考えられています。また、BWV200はアルトのアリア単独の1曲だけが、自筆譜として残っていて、歌詞の内容から、これも今日のためのカンタータの一部とされています。
残りの3曲はいずれも、バッハのカンタータの中で傑作の呼び声が高いものばかり。
BWV83は、シメオンがイエスにあって感動して、信仰がすべてを救うと明るく歌います。ホルンが加わり、ヴァイオリンも活躍して、華やかで聴きごたえがあります。
BWV125は、ルターのシメオンの領歌に基づくコラールからはじまり、アルトのアリアとテノールとバスの二重唱をはさんで、コラールで終わる構成。アルトのアリアは、フルート、オーボエと通奏低音だけでシメオンの心情を歌い上げます。終始抑制の効いた調子が中心に、イエスの奇跡が死をも凌駕することを伝えます。
BWV82は、バス独唱カンタータとして有名。 主役はシメオンで、救世主を抱き上げたことで、これで安らかに死ねることの喜びと満足を歌い綴ります。なんと、合唱、コラールはありません。