・・・って、なんか口にするには、ちょいと恥ずかしい感じのタイトルなんですが、まさにそういう言葉で表現するのがふさわしい話を耳にしたものですから。
青春時代には、何の根拠も無い変な自信があって、何でもやってみるのですが、すぐに壁にぶち当たっての繰り返し。誰でも、そこを通り越して、いつの間にか分別を備えた気になって大人面していくものです。
乗り越えられなかった壁はたくさんあって、いくつかはその後乗り越え直したものもあれば、ほったらかしているものもある。たいていは、そのままで何の問題もないのですが、ずっと心にくさびを打たれたように引っかかっているものも、いくつかはあるものです。
高校スポーツとしては、毎年正月に行われる国立のサッカーと花園のラグビーというのは、青春時代の頂の一つに相応しいイベントです。今回、聞いた話は花園の伝説になった物語です。
今から27年前、昭和63年度の第68回全国高校ラグビー大会は、例年通り高校生たちの白熱した戦いが繰り広げられ、いよいよ日本ラグビーの聖地、近鉄花園ラグビー場での決勝戦を迎えることになりました。
年が明けて、昭和64年、決勝戦は1月7日。花園にそろったの
は大阪工大高と茗溪学園の両校。しかし、お互いの青春をぶつけあうつもりの両者を待っていたのは、意外にも試合中止・両校優勝という、あっけない幕切れでした。
これは、まさに昭和天皇崩御による措置で、両校はグランドに集まって表彰式と記念撮影して解散したのです。結果としては優勝ですが、青春時代の大きな壁をひとつを残してしまったことは、それぞれの選手たちの心のどこかにぶら下がり続けるみとになりました。
花園の長い歴史の中で、 大正天皇崩御は大会中止、両校優勝は戦前に一度だけ台湾と満州の外地チームによる決勝戦でありますが、この頃は南甲子園運動場という場所でした。花園が使われるようになったのは昭和38年以降で、花園では両校優勝はこの時だけ。
かつてのラガーマンはすでに、40代なかばにさしかかり、十分におじさんとして熟成しています。彼らのものにこの時の決勝戦のカードを、「関西ラグビー祭り」、花園オールドボーイズとして実施しようという話が決まりました。
すでにラグビーからはだいぶ離れた生活をしているOBのおじさん達は、にわかに集まって練習を再開。おそらく、すぐに息が上がったり、お腹が邪魔して、とても走れないとかなんでしょうけど、彼らの青春の積み残しをきっちりと整理するために頑張っています。
おじさんになると、簡単にできると思っていた事がけっこう大変だったりするものです。
4月26日の試合に向けて、是非ケガをしないように練習してもらいたいと思います。