2018年3月12日月曜日

平安文化 (1) 文学の形成


古代史を時代に沿って勉強してみたら、いつの間にか平安時代。どこかで、きりをつけないといけないと思っていたのですが、なかなか踏ん切りがつきませんでした。

そして、平安時代に入ると、天皇中心の歴史の動きだけでは話が収まらなくなってくることに気がつきました。特に平安京が藤原家摂関政治により安定期に入ってくると、文化面で目立つ事柄が増えてきました。ここのところがまた興味深く、あらためて勉強する価値が大いにあるわけです。

特に文学の急成長が目立ちます。
日本最古の小説 竹取物語 (平安初期、作者不詳)
日本最古の随筆 枕草子 (11世紀初頭、清少納言)
日本最初の大河小説 源氏物語 (11世紀初頭、紫式部)
さらに、土佐日記、蜻蛉日記、和泉式部日記、更科日記
仏教説話集である、日本霊異記、今昔物語・・・・

そういえば、高校の時に古文の時間に習って、いずれもタイトルだけは覚えていますが、基本理系の人間としてはその後ほぼ接するチャンスはなくこの年になってしまいました。

なにしろ、あまり授業のうまい先生ではなかった・・・ような気がして、習う気の無い生徒に教えるのは大変だったんでしょうけど、とにかく出だしの一文だけで知識は終了という感じでした。

古事記は8世紀初頭の成立で、日本最古の歴史書とされていますが、何しろ真実とは認めがたい話が満載ですから、歴史文学という位置づけで、だいたい古典文学全集には入っています。それに比べると、日本書紀は箇条書きの編年体による記録集という形式で、文学と呼ぶのはちょっと苦しい。ぎりぎり文学として扱ってもいいですが、その後の続日本紀、日本後紀、続日本後紀などはについてはまったく無理という感じです。

文学としては、和歌集である万葉集も同じ8世紀のもの。その後は10世紀末の「竹取物語」、「古今和歌集」までは、目立った作品は残されていません。当時は当然印刷技術はありませんので、口コミで広まった人気作品を写本していくだけで広まるわけですから、そもそも原本はほぼ無いという状態。

そもそも和紙は大変高価で貴重なものでしたから、そう簡単には手に入らないし、何かを新たに書くにしても、相当な覚悟が必要だったのかもしれません。ですから、当然、これらのカルチャーの担い手は庶民ではなく、貴族たち、それも天皇ないしはその取り巻きが中心でした。

特に、当時の貴族は一夫一妻多妾性で、天皇の場合だと正妻としての皇后、そしてあとはたくさんの妃を持つのが普通でした。これは、貴族たちが競って自分の娘を宮中に上げたことが原因の一つです。つまり、娘が男子を産めば、自分は次期天皇の外祖父になって権力を手に入れられる可能性が出てくるからです。

このため、宮中の天皇の居住区域である内裏には、天皇の起居する清涼殿の後ろに妃が住むための建物がたくさん設けられていました。この区域は後宮とよばれ、それらの女性たちは、天皇の寵愛を独占するために熾烈な争いを繰り広げていたわけです。

そのためには、もちろん美人であることも重要ですが、知性も必須条件でした。古今和歌集は空で言えるくらいのは当たり前で、それぞれの妃が自分の世話をする女房達とともにサロンを作り、天皇や貴族たちをもてなし楽しませることが文学的素養を発展させることにつながっていったと言われています。

それに、言っちゃ悪いのですが、この頃の天皇や貴族たちはけっこう暇だったらしい。天皇は政治をしていないし、やることは跡継ぎを残すことだけ。貴族も地位の獲得以外にはほとんど仕事は無く、優秀な官僚たちがせっせと働いていただけです。暇があることが、カルチャーの進歩につながるというのは世の常です。

ですから、一つ一つの作品は単体で楽しむことはできますが、裏には政治的な事情が深く関係して、実は無視できない関連性が存在しています。このことは、ここまでの古代史をある程度知っていて初めて見えてくるもので、歴史学の上に古文があることを強く認識しました。ですから、しばらくは、文学を中心に平安時代の文化について勉強を続けていこうと思います。