2018年3月3日土曜日

記紀から知る桃の節句


3月3日は上巳の節句、または桃の節句、あるいは雛祭りで、五節句の一つです。平安時代の貴族子女の人形遊びとして始まったらしく、季節の変わり目の祝い事としての文化が根付くのは江戸時代からということらしい。

雛飾りの最上段の雛人形は一対の男女で、合わせて「お内裏様」あるいは「お雛様」と呼びます、これは親王とその妃を表していて、つまり男雛とは皇太子であり、女雛は皇太子妃だということです。その下の段には三人官女、さらに下には五人囃子というのが標準的な配置です。

さて、古事記の神代の時代を思い出してみましょう。

伊邪那岐が、亡き妻、伊邪那美に会いに黄泉の国に行きますが、亡者となっていた伊邪那美に追いかけられて逃げ出します。この時、たまたま見つけた桃の実を、亡者の群れに向かって投げたところ、亡者が桃の実に気を取られた隙に無事に逃げ切れました。

これが、桃が邪気を払って百鬼を制す信仰の対象となる起源といわれ、桃太郎の話も根底は同じ。桃は多くの実をつけるので、聖なる多産の木として女の子の末長い幸せを祈ることにもつながったようです。

話は少し進んで、高天原にいる天照大神のもとに、弟の須佐之男がやってくるところ。天照大神は弟が攻めてくると思い、須佐之男に邪心が無いことの証明として誓約を行いました。

その時に最初に須佐之男の剣から生まれたのが、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命の女神三柱でした。この三神は須佐之男の子として宗像大社に祀られました。

次に天照大神の勾玉から生まれたのが、正勝吾勝々速日天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命の男神五柱です。こちらは天照大神の子として、最初に生まれた忍穂耳の子、邇邇芸命が天下って天皇の祖先となります。

この女神三柱、男神五柱が三人官女、五人囃子の原型という考えが成り立ちますが、真意のほどははっきりしていません。いずれにしても、記紀に出てくるエピソードでは、三・五・七にまつわるものが多数登場し、これらの数字が神聖視され縁起が良いものとされていたことがわかります。