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2021年3月8日月曜日

ザ・ロイヤル・テネンバウムズ (2001)

ウェス・アンダーソン監督作品の第3作目。これで、3作連続で、大学以来の親友オーウェン・ウィルソンとの共同脚本です。アカデミー脚本賞にノミネートされ、名前が広く知られるようになった作品で、日本でもこの映画が初めてアンダーソン作品として公開されました。

一言で言ってしまえば、ばらばらだったテネンバウム家の家族再生の話。いかにもアンダーソン調の、「そこはかとなく」面白いシーンが満載です。

父親のロイヤル・テネンバウムを演じるのは名優ジーン・ハックマン。こどもの教育には熱心だった母親のエセルはアンジェリカ・ヒューストン。彼らには養女のマーゴ(グウィネス・パルトロー)、長男チャス(ベン・スティラー)、そして次男のリッチー(ルーク・ウィルソン)の三人の子供がいます。また向かいに住んでいたイーライ(オーウェン・ウィルソン)も、テネンバウム家にいつも入り浸っていました。

三兄弟は子供の時から「天才」と呼ばれ、マーゴは劇作家、チャスは金融業界、そしてリッチーはテニス・プレイヤーとして成功をおさめます。しかし、優秀な弁護士だったロイヤルは、チャスの証券などを勝手に持ち出して法曹界を追放され、もう一人で20年近くホテル住まい。

マーゴは自分の殻に閉じこもって落ち着いた生活ができず、精神学者の再婚したラレイ(ビル・マーレイ)との関係も冷え切ったまま。チャスは飛行機事故にあい、二人のこどもと飼い犬は助かったのに、最愛の妻だけを亡くしてから何かにつけて怯える生活をしています。リッチーもマーゴに対する愛から自己崩壊してテニスを引退してしまいました。

この話は、ロイヤルがいよいよ破産して、ホテルを追い出されることになることから始まります。ロイヤルは何とか家に戻るために、そしてエセルが会計士のヘンリー(ダニー・グローヴァー)に求婚されているのを邪魔するため、みんなに病気で余命いくばくもないと告げ、全員が元の家に戻って暮らそうと提案するのです。

久しぶりに家族全員が家に揃ってみたものの、さんざんいい加減な父親だったロイヤルは、そうは簡単には受け入れられることはありません。今や人気作家になったものの薬漬けのイーライも加わって、バタバタとした日々が過ぎていきます。とは言え、それはロイヤルにとっては、ある意味、人生で最も幸福な数日間だったのです。

当然、病気の嘘はばれてしまいロイヤルは出ていくことになる。しかし、彼が家族を呼び戻し引っ掻き回したことで、現在の彼らが抱えていた問題点があらわになり、結局は解決の道筋が見えてくることにつながっていくのです。

ここでは、アンダーソン・ワールドの主役である「天才」的な常人からかけ離れた人物が、ほぼ登場人物全員という状況。ジーン・ハックマンをはじめ、全員がギャグを言うわけではなく、基本的にシリアスな演技をしているのに、お互いに嚙み合わないことからくる可笑しさが浮き立ってきます。

ビル・マーレイやウィルソン兄弟に加え、ホテルの従業員でロイヤルの嘘にに協力するのが、毎作おなじみのクマール・パナーラと前作でマックスの父親役だったシーモア・カッセル。また前作の学校の教師が、ここでも病院の医師として登場し、アンダーソン劇団も完成してきました。

舞台はニューヨークなんですが、21世紀に入ったというのそれを感じさせない絵作りは監督のこだわりの一つなのかと思います。全編に60~70年代のポップ・チューンが散りばめられて、より新しいのに古いという雰囲気を醸し出しています。

前作は月ごとに章立てして構成でしたが、今回も同様の構成。はっきりと区切りを入れることは、見ていて緊張が切れることを利点とするのか欠点とするのか意見が分かれるところだし思います。アンダーソン自身としては、そこを明確にしなかったデヴュー作の三部構成を失敗と感じているのかしれません。

真上・真横からのショット、スローモーション、左右対称などの特徴的な絵作りは自然に噛み合ってきました。前作で主人公の帽子が象徴的なアイテムでしたが、今作では全員に広がり、マーゴは大人になっても髪留めを使い、リッチーはいかにも(ボルグを真似た)テニス選手です。特にチャスは、こどもの時はスーツなのに、今ではアディダスの真っ赤な上下のジャージで、こどもたちも同じ服装です。

これらのアイテムで、こどものまま大人になった者、大人からこどもに戻ってしまった者などを表現しているのかと思います。こういう。特定のアイテムにこだわるところもアンダーソンらしいところ。過去の作品を順に見ていると、一作ごとにアンダーソンらしさが完成していくのがよくわかる。

ただし、映画の中で、特にイーライの役割がよくわからない。おそらく自分の境遇からテネンバウム家に憧れ、その一員になりたかったのだと思いますが、最終局面での突然の暴走などは違和感がある。天才的人物が多すぎて、全員のキャラクターが埋もれてしまった感じは否めません。とは言っても、リアルタイムで見れば、「今後を期待する監督」と言われたのも納得です。