2021年3月2日火曜日

ゴーン・ガール (2014)

現在のところホーム・メディアで視聴可能なデヴィド・フィンチャー監督の最新作は、2014年のこの作品です。

最初に云うと、実に評判が高く、それはひさしぶりにフィンチャーらしい、犯罪と呼びにくいサイコ・サスペンスという題材だからでしょぅか。

ですが、実を言うと「ベンジャミン・バトン」以降のフィンチャー作品には、どうも共感しにくい部分があって、この作品も自分が求めている映画の楽しみとは何かが違う。単純なお気楽作品ではないとは間違いないのですが、根本的に登場人物に感情移入できない映画は、見ていて苦痛を伴うものです。

ある日、結婚5周年を迎えたニック( ベン・アフレック)は、帰宅すると妻のエイミー(ロザムンド・パイク)の姿が無く、何かの犯罪に巻き込まれたような痕跡がありました。警察に連絡し捜査が始まり、メディアを通して情報提供を呼び掛けると、同情する多くの「野次馬」が集まってくるのです。

映画ては、ニックの側から一日一日、一般に知られるところの事件の進展が描かれます。途中からは、エイミーの側からの失踪に至る「過程」が説明される場面と交差していきます。フィンチャーの構成は、実に周到で、この夫婦の間にある独特の関係性、空気感を小出しにしながらストーリーが展開していくのです。

そして、結婚記念日のなぞなぞのような失踪事件の真相がわかると、映画を見ている者は驚愕し、恐怖を感じる。しかし、ニックにもエイミーにも、同情できないし、賛同もできない。また、褒め讃えるわけにもいかず、何とも釈然としない気持ちで映画が終わるのです。

さすがにフィンチャーの画面構図は素晴らしく、美しく映し出される場面は、映画的です。必要以上に音楽に頼らないところも、感覚的に映画を捉えるという意味ではうまい。どこの夫婦にも内在しているかもしれない、夫婦間の機微を突き付けられるような展開は身につまされる人も多いかもしれません。

また、親切という仮面を剥ぐとただの興味津々だけの人々、いくらでも視聴率のために扇情的なアナウンスをするワイドショーなど、現実的な現代アメリカ社会の歪みのような物(それは日本にだって当てはまる)をはっきりと提示してくるのもこの映画の魅力です。

ただ、話が戻りますが、やはり彼らには共感できない。見終わった後の「観てよかった」というカタルシスが感じられない。自分にとっては、高評価できない作品ということになります。

デヴィド・フィンチャー監督の作品は、最近ではエンターテイメント性の高い映画ばかりの中では、作家性がはっきり出ていることは認めます。一般にも評価が高い初期の「セブン」、「ゲーム」、「ファイト・クラブ」に関しては文句のつけようがない。これだけの見ごたえのある映画は同時代的には多くはありません。

しかし、その後のフィルモグラフィーについては、傑出した絵作りの旨さは認めるものの、あくまでも個人的な感想として観客を置いてけぼりにしている感じが否めない。古い考えかもしれませんが、確かヒッチコックが「最終的に映画は観客を裏切ってはいけない」というようなことを言っていたと思います。どんでん返しは面白いのですが、その結果は納得できるものでなくてはいけません。

もっとも、こういう「とんがった」映画監督がいるからこそ、明解なハッピーエンドも存在価値がでてくるというものなのかもしれません。フィンチャーとはほぼ同世代の人間としては、年齢とともに「とんがる」度合いが増えていることは、何となく理解はできる気がしますが、今後何度も見ることはないように思います。