レコードが擦り切れるまで聴く・・・
平成以降の方にはわかりにくい表現だと思いますが、レコード盤は回転するターン・テーブルの上で、レコード針によって盤面に掘られた溝をトレースする仕組み。何度も何度も聴くと、少しずつ盤は摩耗していく定めにありました。
テープが伸びたような音・・・
カセット・テープが一般の録音メディアとして主流になった時代には、何度も聴くとビニール素材のテープは少しずつ伸びて、音がふにゃふにゃになっていったものです。
デジタル化されたことによる一番のメリットは、音源データさえ消失しなければ、記録された音の劣化は、原理的には永久に起こらないということ。しかしデジタル・データのデメリットは、0か1に揃えるためにどうしても切り捨てる部分があること。
コンピューティング技術の進歩により、より細かい部分まで記録・再生できるようになり、人の聴覚能力ではアナログとの差をほとんど感じないようになりましたが・・・
話を戻すと、最初にレコードを擦り切れるほど聴いたのは、「よしだたくろう」だったかもしれません。
フォークというと、反戦という言葉と共に存在したのが60年代。アメリカでは反ベトナム、日本では反安保で学生運動の盛んな時代に、ギター一本を手に取って体制批判をするツールの一つとして存在していました。
連合赤軍による浅間山荘事件(1972年)で急速に学生運動が静まっていくと、音楽として残ったのは、当時ひらがな名だった吉田拓郎でした。1970年にデヴューして、メッセージ性のある曲もありましたが、恋愛をテーマにしたり、笑いを取るようなとぼけた歌詞の歌もあったりで、とんがった若者からは「帰れコール」されたりしたした吉田拓郎ですが、自分のような学生運動末期を知るものからすれば、若者の日常を素直に歌う吉田拓郎は実に共感しやすかったと言えます。
よく言われることですが、一つの音符に一つの文字をあてるのが日本の歌謡曲の常識だったのですが、吉田拓郎は一つの音符に一つの言葉を組み入れたことが画期的であり、それがその後のニュー・ミュージックの隆盛につながったということ。
中学生になって、周りの真似をしてフォーク・ギターを手にすると、最初のアイドルになったのは吉田拓郎であったことはごく自然の成り行き。最初に買ったLPレコードが、「よしだたくろう オン・ステージ ともだち」というアルバムでした。
最初にステージに出てくるドタドタという足音から始まる。曲が始めたと思ったらやめちゃう。曲ごとに関係あること無いことよく喋る。ライブの雰囲気をそのままに伝えるこのアルバムは、何度も何度も聴いて楽しめたものです。気が付くと、独特の「・・・なのであります」口調も真似て話す中学生になっていました。