2021年11月15日月曜日

ワンダーウーマン1984 (2020)

2020年、パンデミックの発生は当然エンターテイメントにも多大な影響を及ぼし、映画業界も数々の苦渋の決断を迫られました。当初2020年6月公開予定だったこの映画も、度々公開延期を余儀なくされ、最終的にはクリスマスにまでもつれ込み、さらに同時にネットでの配信も行われました。当然興行収入は前作より激減したものの、比較的好評を得たようです。


監督はパティ・ジェンキンスが続投。原案・脚本・制作にも名を連ね、結果がすべての世界で前作が高く評価されたことが明確に示されています。ダイアナ・プリンス / ワンダーウーマンを演じるガル・ガドット、彼女をサポートするスティーブ・トレバーを演じるクリス・パインは引き続き登場します。

前作では2018年、第一次世界大戦末期が舞台となっていましたが、今回はそれから66年、より現代に近いタイトル通りの1984年の物語になっています。

さてさて、お婆さんになったダイアナは・・・って、そんなことはありません。ワンターウーマンは年を取らない(じゃあ、何でこどもから大人になれたんだろう?)。スミソニアン博物館で働き、街の悪党を懲らしめていました。鑑定のために持ち込まれた黄水晶に、ラテン語で「ひとつだけ願いが叶う」と書かれていて、ダイアナは密かにスティーブ・トレバーに再会したいと願います。すると、ダイアナにだけスティーブに見える男性が現れるのです。

ドジばかりしている同僚のバーバラ・ミネルバ (クリステン・ウィグ)は魅力的なダイアナになりたいと願うのでした。石油で儲けテレビでも一般の出資を募るマックス・ロード(ペドロ・パスカル)は、実は会社は破綻寸前でした。マックスは、急に魅力的になったミネルバに近づき、黄水晶の秘密を知り、自分の物にしてしまいます。そしてマックスは、願いが叶う石になりたいと願うのでした。

66年後に復活したトレバーは、前作のダイアナと逆の立場。時代のずれで、時代の文化にとちくるうところが、今回の息抜き。ダイアナはトレバーを蘇らせた黄水晶の謎を調べるため、トレバーと共にマックスを追いエジプトに向かいます。

ミネルバは、(ワンダーウーマンのような)物凄い力がみなぎることに気が付き、しだいに自信をつけ独善的に変わっていきます。ダイアナは逆に力が衰えていることを自覚するのです。マヤ文明の古書から、この黄水晶によって歴史上多くの文明が滅び、この石の力は願いと引き換えに大事なものを失うことがわかり、もとに戻すためには願いを取り下げるしかないことがわかりました。

暴走したマックスは自分の希望に沿うように、誰彼かまわず願い事をさせ、街は次第に混乱に陥ります。ついに大統領までも思うがままに操り、ミネルバはダイアナと対峙して自分の力を維持するためにマックスの側に着きました。世界は一触即発の危機を迎えてしまいます。

トレバーの必死の説得で、ダイアナは願いを取り下げます。ダイアナはトレバーの言葉によって風に乗り空を飛べる力をえました。そして、かつてアマゾン最強戦士と言われ自らを犠牲にしたアステリアの黄金の鎧を身につけマックスとミネルバを止めに向かうのでした。

アステリアは、本編の中で一瞬だけ登場するんですが・・・何と、リンダ・カーターのカメオ出演です。テレビのワンター・ウーマンで人気を博してこの撮影の時は70歳手前。しかも、いつもなら飛ばしてもいいエンドクレジットには、飛びっきりのサプライズがありますから、目をそらさずに集中していないといけません。

昭和オヤジとしては、もうこれだけで100点満点をあげたいところなんですが、内容的にはやはり前作を超えるものとは言い難い。全世界を巻き込んで、人間の本質の一つである「欲望」の暴走が悲劇となるという大々的なテーマがあるんですが、その欲望の実現には様々な形での代償が必要と言うのはわかります。ただ、願ったことを取り下げることで元通りというのは簡単な解決法のような感じがします。

悪役のマックスについも、世界を破滅に導く極悪人のはずなんですが、ちょっと弱っちい。基本的には失敗の人生で劣等感の塊みたいな感じで、基本的には子煩悩なお父さん。一つの街で終われる話を世界規模に膨らませたので、最後は何だか収拾がつかない感じです。

ただ、ダイアナとトレバーの関係を大きな軸にして、単なるアクション映画にせず、ワンダーウーマンの内面に切り込んだところは評価してよさそうです。スーパーヒーローを人間的に描くために、代償によって力が衰えてしまうという設定は悪くない。

何故、1984年なのかはよくわかりませんが、人気があったテレビ・ドラマ(1975~79年)のイメージを壊さない程度の時代設定なのかもしれません。もしかしたら第3作として今の時代を考えているのだとしたら、少なくとも簡単にまたもやトレバー復活というのだけは勘弁してもらいたいところでしょうか。