2021年11月5日金曜日

マン・オブ・スティール (2013)

「スター・ウォーズ」から始まったハリウッドのSF革命の波は、古くからのアメリカン・ヒーローにおよび「スーパーマン」にも及び、実写映画化されたのがもう40年ほど前のこと。最大の人気を誇ったアメコミのDCコミックの最大のヒーローである、スーパーマンは1978~2006年の間に5本の映画になりましたが、特に最初の4本で主役を務めたクリスファー・リープの悲劇と共に、実質的に終了しました。

その間隙を縫って、もう一方のアメコミの雄であるマーベル・コミックが「Xメン」の映画化シリーズでヒットを飛ばし、マーヴェルに登場するヒーロー達を次から次へと映画の世界に導き、ついにはそれらを一つの土俵上で活躍させるアヴェンジャーズの登場に、DCコミック側は相当焦りを感じたはずです。

2005~2012年にリブートされたDCコミックのもう一人のヒーロー、「バットマン」の三部作の成功はDCコミックに、アヴェンジャースに対抗するDCエクステンデッド・ユニバースの構想をもたらし、バットマン・トリロジーの立役者クリストファー・ノーラン監督にこの企画を任せたようです。監督に抜擢されてのが、ザック・スナイダー。この人は、ヴィジュアル重視で、とにかく画面に映す情景を作りこむことで有名。ここでも、当然CGによる作りこみが凄い。

そこで、その第1弾として登場したのが、この「スーパーマン」のリブート作。基本的なストーリーは原作に準じているものの、クリストファー・ノーランにかかると「バットマン」もそうでしたが、コミカルな要素は排除され、より現実的なキャラクターに生まれ変わりました。

何故カル・エルが地球にやって来て、そしてスーパーマンとして活躍することになったのか、かなり合理的(とは言っても所詮、ファンタジーですけど)な説明がなされています。惑星クリプトンは、数万年前には新たな入植地を求め宇宙に探査船を送っていましたが、人工的な出生のコントロールによって人口抑制に成功し繁栄しました。しかし、エネルギー資源の枯渇により滅亡の危機に瀕してしまいます。

ジョー・エル(ラッセル・クロウ)と妻のララ( アイェレット・ゾラー)は、密かに禁じられていた自然妊娠によってこどもを授かりカル・エルと名付けました。クリプトンが長くないと考えたジョー・エルは、カル・エルを乗せたポッドを地球に向けて発射しますが、クーデターを起こしたゾッド将軍(マイレル・シャノン)によって殺されてしまいます。ゾッドのクーデターは失敗し、仲間と共にファントム・ゾーンに追放されました。

地球に到着したポッドを発見した農夫を営むジョナサン・ケント(ケビン・コスナー)は、中にいた赤ん坊にクラークと名づけ妻のマーサ(ダイアン・レイン)と大切に育てました。こどもの頃に不思議な力があることに苦しむクラークでしたが、ジョナサンはそれを簡単に人前で見せることを禁じました。ジョナサンは青年になったクラーク(ヘンリー・カヴィル)に出自を話し、「何故、地球に送られてきたのか、そして何をすべきかをはっきりさせることが使命だ」と伝えます。

クラークは各地を放浪し、北極に埋まっていた宇宙船にたどり着きます。取材に訪れていたデイリー・プラネット社のロイス・レイン(エイミー・アダムス)は、偶然宇宙船と共に飛び去ってしまったクラークを目撃し記事を書きますが、編集長のペリー・ホワイト(ローレンス・フィッシュバーン)に没にされてしまいます。

ロイスは、不思議な力を持つ青年の目撃情報をたどりついにクラークを発見しますが、その力を使わせずに死んでしまったジョナサンの思いを聞き公にすることを断念するのでした。クラークは宇宙船の中でジョー・エルの実体化した意識と対面し、スーパーマンのスーツとマントを手に入れ正義のために働くように言われます。

ここまでで140分の映画の半分。何しろ一番違うところは、ロイス・レインはクラーク・ケントがスーパーマンだって知っているところ。今までは、もしかしたら天然系のクラークがスーパーマンかしら、いやそんなはずないわね、というのが基本的な設定。だから、そこから笑いの要素も引き出せていました。

しかし、クラーク・ケントの人間ドラマの深みを出すための立ち位置がロイス・レインにあるなら、こっちの方が自然な関係といえそうです。そのかわりコメディは当然無くなって、シリアスなドラマとして成立します。母親も全体に渡って、クラークを見守り続けることになるのも自然な展開に思えます。ここには「鳥だ、飛行機だ、いやスーパーマンだ」のフレーズはありません。

後半は、クリプトンの崩壊によって自由の身になったゾッド将軍が地球にやってきて、カル・エルの体に記録されたすべてのクリプトン人のDNAを使って地球でクリプトンを再興しようとする話。そのためには、地球人は犠牲になってもかまわないと考えるゾッド将軍とスーパーマンのド派手な戦い(長すぎ・・・)によって街がぼこぼこに壊されていきます。

ここでも以前の映画と決定的に違うのは、ゾッド将軍はひたすらクリプトンの民を復活させるのが目的であって、クリプトン側から見ると方法論は問題ありますが単なる悪人とは描かれていないところ。そのため、スーパーマンが単純な正義の人ではない難しい役回りを担っています。

これは父親の言葉に端的に現れています。ジョナサンは、超能力を出せずに葛藤するクラークに「その力を善に使うか、悪に使うか、いずれにしてもお前が世界を変える」と言います。ひたすら世界の頂点にあると思っていたアメリカ人が21世紀早々に味わった屈辱が、スーパーマンすらも大きくキャラを変えてくることにつながっているようです。

ノーラン版「バットマン」に続いて、ダークなイメージの本作は、アクションについてはやり過ぎ感はあるかもしれません。ドラマとして成功しているのは、とにかく名優が大挙して登場していることが大きなポイントです。スーパーマン役は、原作コミックに寄せた存在としてクリストファー・リーブは大成功でしたが、今回のヘンリー・カヴィル(もしかしたら次のジェームス・ボンド??)はダーク・ヒーローとしていい味を出していました。