2022年1月9日日曜日

十二の怒れる男 (1957)

今更言うまでもなく、アメリカ裁判関連映画としては最高傑作とされる映画。もともとは1954年にテレビ・ドラマとして作られました。脚本は原作者レジナルド・ローズで、監督は名匠シドニー・ルメットが初めてメガホンを取りました。

陪審員制度は日本では昭和初期に実施されたことがありますが、一般化せず立ち消えています。しかし、平成21年から裁判員制度が始まり、様式は異なりますが国民の裁判への参加が実現しました。アメリカの陪審員制度では、法廷で示された証拠だけから陪審員は裁判官の手助け無しに「有罪か無罪か」だけを決定します。決定は全員一致である必要があり、量刑を決めるのは裁判官に任されます。

96分の本編のうち、最初と最後の数分間を除いて一室の中で話が成立する「密室劇」の体裁をとっており、非映画的な会話劇として進行します。この映画では、裁判そのものは終了し、無作為に選ばれた12人の陪審員が討議するために移動するところから始まります。

陪審員1番 マーティン・バルサム
 陪審員長として司会を行い公正を期そうとする
陪審員2番 ジョン・フィードラー
 積極性はなく流されるタイプ
陪審員3番 リー・J・コッブ
 息子との確執があり有罪に固執する
陪審員4番 E・G・マーシャル
 客観的な信念を持ち証拠を受け入れる
陪審員5番 ジャック・クラグマン
 この中で若く、多勢に従う
陪審員6番 エドワード・ビンズ
 動機に注目するが他には無関心
陪審員7番 ジャック・ウォーデン
 先入観が強く、野球の試合に早く行きたい
陪審員8番 ヘンリー・フォンダ
 有罪の確信がなく話し合いを希望
陪審員9番 ジョセフ・スィーニー
 最年長で、物事を公平に見る
陪審員10番 エド・ベグリー
 自分の正義を信じるあまり偏見が強く時に攻撃的
陪審員11番 ジョージ・ヴォスコヴェック
 冷静で客観的に疑問を受け入れる
陪審員12番 ロバート・ウェッバー
 裁判より自分が開発中の商品のことが気になる

父親をナイフで刺し殺したとされる18歳の少年に対する裁判の陪審員に選ばれた12人は、蒸し暑い一室に集まり審議を始めます。提示された目撃証言や証拠から、少年の犯行は明白と考えられたので、一人の提案ですぐさま結論を挙手で決めることになります。

12人中11人が有罪とする中、8番だけが疑問を口にして無罪と主張しました。彼は、証拠に確実性が無いことを説明し、有罪になれば死刑が予想される一人の少年の運命を簡単に決めること危険性を話します。

現代の目から見れば、全員が男性で白人ばかりですから、アメリカ国民を均等に代表しているとは言えませんが、いろいろな職業、年齢の陪審員が揃うことで、社会的・経済的に多種多様なアメリカを象徴しようと試みていたと思います。

それぞれには、有罪・無罪の決定には個人的な思いもかなり入っていて、全員が冷静にかつ客観的に判断できていないところも示され、民主的な陪審員制度の問題点も指摘されています。話し合いの中で、少しずつ確定していると思われた「事実」が疑問だらけであることがわかり、何度か行われる投票で少しずつ有罪から無罪に変更する人が増えていきます。

犯罪者を逃すかもしれないが、筋の通る疑問が残る以上有罪にできない・・・ヘンリー・フォンダの台詞が、陪審員制度ひいてはアメリカの司法の基本を語っています。日本の裁判員制度は、裁判官も混ざって量刑まで判断する制度であり、陪審員制度とは同じではありませんが、私たちもいつ裁判員に選ばれるやも知れません。そういう意味でも、一度は見ておくべき映画と言えそうです。