2022年1月21日金曜日

39 刑法第三十九条 (1999)

日本の刑法第39条は、

(心神喪失及び心神耗弱)
第39条
1. 心神喪失者の行為は、罰しない。
2. 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

というもので、平たく言えば犯行時に精神的な病的な状態であれば罪を問わないというもの。

被害者、および被害者関係者にしてみれば、おそらくほとんど場合、到底納得できるものではなく、この条項が適用された場合は多くの禍根を残すことは容易に想像ができます。

近年の凶悪犯罪でも、しばしば被告人の精神鑑定が求められたと言う話はしばしば耳にしますし、犯罪事実を覆すことが不可能であれば、弁護側が使う常套手段のようなところもある印象です。

この映画は、この条項を逆手に取った犯人に対する裁判の過程で、精神鑑定の難しさがテーマになっています。監督は森田芳光、脚本は大森寿美男で、重厚なテーマをしっかりと描いた力作と言えます。

劇団員の柴田真樹(堤真一)は、畑田修・恵夫婦を刺殺したとして逮捕されます。弁護人となった長村時雨(樹木希林)は接見で、大人しい柴田が急に狂暴な表情に変わるのを目撃したため精神鑑定を請求します。

精神鑑定をすることになった藤代実行教授(杉浦直樹)は、助手の小川香深(鈴木京香)と共に拘置所を訪れ柴田と面会します。鑑定中に豹変した柴田は、香深を押さえつけ首を絞めようとします。教授は柴田を多重人格と鑑定しますが、香深は首を絞められたときに殺意を感じなかったことから、詐病を疑い草間検事(江守徹)にあらためて自分に鑑定をさせてほしいと願い出るのです。

殺された畑田修は、実は15年前に女児連続殺人の犯人として逮捕されながら、刑法第39条により罪を逃れていたのでした。柴田を逮捕した名越刑事(岸部一徳)も、香深に協力して柴田の足取りを調べたところ、15年前の被害者の兄、工藤啓輔の存在が浮かび上がってきました。

啓輔は別の男と戸籍を交換し、自分はホームレスだった柴田利光(國村隼)の死んだと思っていた息子として生活し、その間に徹底的に精神医学、心理学などの本を研究していたのです。香深の依頼を受けて草間検事は、裁判の場で、公開の精神鑑定を行うことを要請します。裁判官、検察、弁護人、そして傍聴人の見守る中、向き合って座った香深と柴田の静かな対決が始まるのでした。

森田芳光監督は、もともとはトレンディな商業映画で成功し、ユーモアを持った作品が多い人でしたが、90年代前半は自身の映画作りに悩み、沈黙した時期がありました。しかし1997年の「失楽園」で復活し、その次にメガホンをとったのが本作です。復活後は、重いテーマを扱うことが多くなり、作家性を強く出すようになりました。

この映画は、森田作品の中での注目度は高いとは言えないのですが、たくさんの達者な俳優による抑制された演技に支えられて、そして考え抜かれた編集によって実に見ごたえのある一本に仕上がっています。

主演の堤真一は、まだTVドラマの「やまとなでしこ(2000)」でブレークする直前ですが、舞台出身の確かな演技で二つの人格を表現しています。また、その別の人格が演技であるという演技も素晴らしい。鈴木京香は、すでに多くのドラマで人気女優の地位にありましたが、ここではこれまでにない自らも心理的トラウマを抱え、物静かですが芯の強い役柄を演じました。

映像は、俳優はアップが多い主観的なカットを多用して周りの雰囲気を意図的に消しているように思います。景色が入るときはカメラを傾けて、構図に不安感をにじませています。動く時は、手持ちカメラのようなブレもありドキュメンタリー的。銀塩残しと呼ばれるざらついた画面で彩度を抑えて、全編にわたって重圧感を出し続けています。

刑法第39条によって無罪放免された犯罪者に対して被害者家族が長年に渡って消えない傷をうけたこと、そして復讐のため自らが第39条を利用することによって、映画の中でこの法律の不合理さを訴えています。復讐を良しとするものではなく、法律そのものの是非を問うことが、被告人側だけでなくその精神を鑑定する側からも提起されるところが忘れてはいけないポイントになっています。

森田監督の代表作とは言えないかもしれませんが、ファンなら避けてはいけない作品であり、日本の法廷映画としてもしっかりと評価されるべきものだと思いました。いまだにブルーレイ化されていないのが残念です。