湊かなえ原作ですが、ミステリーとは言えない、純文学に近い重厚な作品です。脚本は堀泉杏、監督は廣木隆一です。主人公である母と娘が、同じ場面をそれぞれがどのように感じたのかが交互に回想するような形式で進行します。
ルミ子(戸田恵梨香)は、母親の華恵(大地真央)から多くの愛情を受けて育てられました。自分が感じたことが、母親と同じであることをいつも期待して、その通りだと嬉しいのです。田所哲史(三浦誠己)と結婚したルミ子は、それからも母親を喜ばせるためなら、何でもしたのです。清佳(永野芽郁)が生まれても、それは変わることはありませんでした。
華恵は、ルミ子に注いだのと同じように清佳にもたくさんの愛情を注ぐのです。華恵が清佳のために小鳥の刺繍をした身の回りの物を作ってくれていたのに、清佳がキティちゃんのバッグを欲しがった時、ルミ子は華恵の好意を無駄にすることだと考え許しませんでした。
哲史が夜勤でいない夜、訪ねてきた華恵は嵐になったためルミ子の家に泊まることにしました。しかし、嵐のため停電となり、倒木が窓を破り華恵と清佳が寝ていた部屋に飛び込んできます。箪笥が倒れ、二人は挟まれてしまい、気がついたルミ子が助けようしますが、ロウソクの炎が広がり火事になってしまいます。
華恵の手を取ろうとするルミ子に対して、華恵は「そうじゃない。あなたが守らなければならないのは清佳です」といい、手を振り払うのです。火が回り、ルミ子はやっとのことで清佳を抱えて家から逃げ出しますが、華恵は亡くなってしまったのでした。
哲史の実家に住むことになった3人でしたが、ことあるごとに義母(高畑淳子)の嫌味はルミ子に向けられ、それでもルミ子は「母」を喜ばすために耐え続けるのです。高校生になっていた清佳は、ついに義母にルミ子をかばうために口答えをしてしまいます。しかし、ルミ子は、「あなたは私の努力を無駄にした」と泣いて責めるのでした。
哲史の妹の律子(山下リオ)は恋人の元に家出してしまい、義母のルミ子や清佳への当たりはますますま激しくなります。清佳は居所を調べようと律子の部屋に入ると、偶然若いころの哲史の日記を見つけてしまいます。そこには、学生運動に身を投じ理由もはっきりせず体制に敵対心を燃やす文章ばかりが綴られていました。
偶然、家と反対の方向に向かう哲史を見つけた清佳が後をつけていくと、哲史は知り合いの女性に貸しているルミ子の実家に入っていくのでした。女性と普段見たこともない父親を見た清佳は、ずっと昔から現実から逃げ続けてきただけの哲史を弱虫と責めるのです。しかし、清佳は初めて華恵の死の真相を聞かされショックを受けるのでした。
辞書的には「母性」とは女性に備わった生理的・身体的機能の特徴でこどもを産み育てること全般を指す言葉として用いられます。この映画では、それが受け継ぐ娘が成長の過程で後天的に形成されていくように説明されているようです。
タイトルからして予想通り重厚なストーリーで、見ていて辛くなってくることは否めません。母から多くの愛情を受けたルミ子は、母を喜ばせることで返す気持ちを持ち続けたために、今度は自分の娘に対する気持ちに振替できなくなっているところに悲劇が作られていくようです。そのような母を見て育った清佳も、何とか母を喜ばせたいといつも考えるようになるですが、どこかでルミ子は愛情の方向性を掛け違えてしまったのかもしれません。
一見同じエピソードの繰り返しのようですが、母の回想と娘の回想は微妙に異なるところがこの映画のポイントで、それぞれの主観に差があります。特に、映画のCMで登場した母が娘の首を絞めるところが白眉で、両者がそれぞれの過ちを理解する最重要シーンとなっています。
この点は、戸田恵梨香と永野芽郁のそれぞれの演技力の高さに脱帽するしかありません。1988年生まれの戸田と1999年生まれの永野では、母娘というのには年の差がありませんが、何の違和感も感じさせません。
核となるストーリーの外側には、さらに教会で懺悔する母親と教員となった娘が生徒の自殺のニュースを巡って仲間と議論するという二重、三重の枠が設えてあるところも、映画としての評価を高める要因となっているように思います。ものすごく重たいテーマを扱っていますが、少なくとも最後はよかったと思えるエンディングになっているので、安心してみてもらいたいと思います。