こどもが小さい頃にやっていた女の子アニメの主題歌のタイトルです。
まぁ、それはどうでもいいわけで、今月のブログは「いろは歌」の順番にひらがな47文字でタイトルをつけてみました。
正式ないろは歌では「ん」は無いわけですが、習慣的に最後につけることがあるので、全部で47+1文字で48タイトルということになります。
何気なく始めてみたものの、けっこう大変。ネタが思いつかないときは、最初の1文字が決まっていると書きやすい。ところが書きたいことを思いついたときは、出だしの文字が決まっているのでタイトルがつけにくく、見送ってしまったネタもいくつかありました。
来月はアルファベットでやろうかなんて思ったりもしましたけれど、こんな馬鹿なことはあまりやらないほうが良さそうです。それにしても、いろは歌というのはすごいですよね。究極の言葉遊びではないでしょうか。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
外国にもアナグラムという文字の入れ替え遊びなどがありますが、これだけの文字数を意味を持たせて使い切るというは並大抵のことではありません。とにかく最初に思いついた人はすごいとしかいいようがない。
作者についてはいろいろな説があるようですし、また暗号説など諸説入り乱れて興味がつきません。言葉の文化が次第に消えていくということを昨日書きましたが、こういうものは日本人としての特質となる部分ですから、継承されていくべきものであろうと思います。
ブロガーの方は、一度挑戦してみるといいかもしれません。二度はいりませんが・・・
2008年6月29日日曜日
ゑんがちょ
昭和の舞台作家で評論家だった宇野信夫さんは、しばしば江戸時代からつたわる言葉の誤った使い方を指摘していました。
しだいに時代の変遷の中で言葉に代表される「文化」が変質していくことを嘆いていたわけですが、最近は情報量が肥大化して、さらに伝達の速度もものすごく速くなったため、言葉の変質はもはや止めようがありません。
数年前に使われていた言葉さえ使わなくなり、流行語大賞というのもむしろ「使わなくなった言葉の博物館」という方があっているように思います。そんなですから、自分がこどもの頃によく使った言葉なんて、いまのこどもにはまったく通じないでしょう。
「えんがちょ」というのは、道ばたで犬のウンチを踏んだときになどに「やーい、えんがちょだぁ!!」などと言ってはやし立てるときに使いました。すると踏んだこどもは誰かにさわると「えんがちょ切った」といい、さわられたものはくやしがる。
今から考えるとなんのことだかよくわかりませんが、そうやって普通に使われていたんですよね。「閻魔の庁」が語源という説があるようですが、使っていたこどもにとってはどうでもいいことで、仲間はずれと仲直りをするための効率的な方法の一つだったのかもしれません。
自分が通った小学校の超ローカルな言葉で「ぼんちんまんぱん、ったからったったぁ~」というのがありました。片手を胸の前、もう一方を股の前でグーパーしながらがに股になって、この言葉をいいながら向かってくるのです。内容はけっこう下品なので、あえて解説しませんが、まぁいつの時代にもこういうわけのわからないものが流行るんですよね。
後世に残る必要もありませんが、もしもこのブログを読んでいる方で、これをやっていおじさんがいたら連絡くださいね
しだいに時代の変遷の中で言葉に代表される「文化」が変質していくことを嘆いていたわけですが、最近は情報量が肥大化して、さらに伝達の速度もものすごく速くなったため、言葉の変質はもはや止めようがありません。
数年前に使われていた言葉さえ使わなくなり、流行語大賞というのもむしろ「使わなくなった言葉の博物館」という方があっているように思います。そんなですから、自分がこどもの頃によく使った言葉なんて、いまのこどもにはまったく通じないでしょう。
「えんがちょ」というのは、道ばたで犬のウンチを踏んだときになどに「やーい、えんがちょだぁ!!」などと言ってはやし立てるときに使いました。すると踏んだこどもは誰かにさわると「えんがちょ切った」といい、さわられたものはくやしがる。
今から考えるとなんのことだかよくわかりませんが、そうやって普通に使われていたんですよね。「閻魔の庁」が語源という説があるようですが、使っていたこどもにとってはどうでもいいことで、仲間はずれと仲直りをするための効率的な方法の一つだったのかもしれません。
自分が通った小学校の超ローカルな言葉で「ぼんちんまんぱん、ったからったったぁ~」というのがありました。片手を胸の前、もう一方を股の前でグーパーしながらがに股になって、この言葉をいいながら向かってくるのです。内容はけっこう下品なので、あえて解説しませんが、まぁいつの時代にもこういうわけのわからないものが流行るんですよね。
後世に残る必要もありませんが、もしもこのブログを読んでいる方で、これをやっていおじさんがいたら連絡くださいね
ひっちこっく
Alfred Hitchcock・・・アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)はサスペンスの神様として君臨した映画監督。映画には芸術性を追求するものと娯楽性を追求するものがありますが、ヒッチコックはサスペンスを一貫した題材として取り上げ、映画の娯楽性を高めたことで偉大な功績があります。
笑いの中に寂しさを同居させ娯楽性と芸術性を併せ持った巨匠といえばチャップリンですが、ふたりとも母国のイギリスから戦禍を避けてアメリカに渡り、それぞれ違った足跡を残しました。
チャップリンは絶えず、笑いの中に権力に対する皮肉を混ぜることで、「反体制的」な人間というラベルを貼られ、晩年まで正当な評価を受けずにいました。
一方、ヒッチコックは「風と共に去りぬ(1939)」の大成功で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったプロデューサーのセルズニックによってアメリカに招かれたため、最初のアメリカでの映画「レベッカ」でいきなりアカデミー作品賞をもらいます。
しかしセルズニックのとでは思い通りの仕事はなかなかできない。しだいに自分に付いてきた名声により独立し、作りたいものを作るようになります。ここからヒッチコックの映画実験が始まりました。
救命ボートという限定された空間のみでドラマが進行する「救命艇」、実際の時間経過どおりに犯罪が起こって犯人が追い詰められる「ロープ」、また「ロープ」では映画のサダ医の特徴であるカット割りを排除して、すべてのシーンを連続させたりもしました。
「ダイアルMを廻せ」では、劇場での演劇そのままの映像化、いきなり死体が転がっていて、これを移動させることのみをテーマにした「ハリーの災難」、定点カメラからの撮影のみで盛り上げる「裏窓」、開始早々に主演女優をいきなり殺してしまった「サイコ」、鳥が人間を襲う想像しうるすべてのパターンを見せきった「鳥」など、並べたらきりがありません。
これらの実験的手法は、今でもいろいろな映画に踏襲されスタンダードな手法となっています。これらを最初に考えたヒッチコックの天才がなかったら、ハリウッドはスターにのみ支えられた内容の無い映画を作り続け、今頃は忘れられていたことでしょう。
日本の映画にももちろん大きな影響があるわけで、笑いの要素を中心の作品作りをしていますが、今乗りにのっている三谷幸喜も、作品の作り込みは非常に似ている部分がありヒッチコックの影響をものすごく受けているはずです。
映画好きな人はフランスのトリフォーと対談形式で語られた「映画術」という本を絶対に読んで下さい。そこには映画を見る人、作る人、語る人すべてに役に立つ、まさに映画のすべてが語られています。そして読んだら、ヒッチコックの名言「たかが映画じゃないか」が本当に理解できることでしょう。
笑いの中に寂しさを同居させ娯楽性と芸術性を併せ持った巨匠といえばチャップリンですが、ふたりとも母国のイギリスから戦禍を避けてアメリカに渡り、それぞれ違った足跡を残しました。
チャップリンは絶えず、笑いの中に権力に対する皮肉を混ぜることで、「反体制的」な人間というラベルを貼られ、晩年まで正当な評価を受けずにいました。
一方、ヒッチコックは「風と共に去りぬ(1939)」の大成功で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったプロデューサーのセルズニックによってアメリカに招かれたため、最初のアメリカでの映画「レベッカ」でいきなりアカデミー作品賞をもらいます。
しかしセルズニックのとでは思い通りの仕事はなかなかできない。しだいに自分に付いてきた名声により独立し、作りたいものを作るようになります。ここからヒッチコックの映画実験が始まりました。
救命ボートという限定された空間のみでドラマが進行する「救命艇」、実際の時間経過どおりに犯罪が起こって犯人が追い詰められる「ロープ」、また「ロープ」では映画のサダ医の特徴であるカット割りを排除して、すべてのシーンを連続させたりもしました。
「ダイアルMを廻せ」では、劇場での演劇そのままの映像化、いきなり死体が転がっていて、これを移動させることのみをテーマにした「ハリーの災難」、定点カメラからの撮影のみで盛り上げる「裏窓」、開始早々に主演女優をいきなり殺してしまった「サイコ」、鳥が人間を襲う想像しうるすべてのパターンを見せきった「鳥」など、並べたらきりがありません。
これらの実験的手法は、今でもいろいろな映画に踏襲されスタンダードな手法となっています。これらを最初に考えたヒッチコックの天才がなかったら、ハリウッドはスターにのみ支えられた内容の無い映画を作り続け、今頃は忘れられていたことでしょう。
日本の映画にももちろん大きな影響があるわけで、笑いの要素を中心の作品作りをしていますが、今乗りにのっている三谷幸喜も、作品の作り込みは非常に似ている部分がありヒッチコックの影響をものすごく受けているはずです。
映画好きな人はフランスのトリフォーと対談形式で語られた「映画術」という本を絶対に読んで下さい。そこには映画を見る人、作る人、語る人すべてに役に立つ、まさに映画のすべてが語られています。そして読んだら、ヒッチコックの名言「たかが映画じゃないか」が本当に理解できることでしょう。
2008年6月28日土曜日
もより駅はたまプラーザ
自分は、1999年に横浜市民になったんですよね。その前の10数年間住んでいたのは本厚木。その前はというと、渋谷。
今の青葉区民になったのは、その前の5年間を緑区の病院で働いていてので、土地勘があったということと、こどもの学校を選ぶ関係だったんですよね。不動産屋に連れられて、いろいろ見て回ったんですが、結局今の家を購入。
さて、交通はというと、バスでたまプラーザ駅にでるという説明。なるほど、最寄り駅はたまプラーザですか。何か素敵な名前ですよね。プラーザですよ。プラザじゃないんです。最寄り駅はどちらと聞かれたときに、ちょっと自慢したくなるじゃありませんか。
ところがあらためて、地図をよ~く見ていると、あれれ、あざみ野でも同じ距離。さらに小田急線の新百合ヶ丘や柿生でも大差ないじゃありませんか。
引っ越した頃は、横浜市営地下鉄があざみ野から新百合ヶ丘まで延びる計画があって、近くに駅ができるでしょうみたいな話がありましたが、今ではそんなまぼろしは消え果ててしまっています。
となると、どこの駅にもバスで10分以上かかる中途半端な場所という感じがしないでもありません。そもそもたまプラーザは市営地下鉄が避けてしまった時点で、いまいち盛り上がりに欠けていますし、横浜市と東急、横浜市と川崎市の関係がいろいろ取りざたされるのも無理がありません。
今の青葉区民になったのは、その前の5年間を緑区の病院で働いていてので、土地勘があったということと、こどもの学校を選ぶ関係だったんですよね。不動産屋に連れられて、いろいろ見て回ったんですが、結局今の家を購入。
さて、交通はというと、バスでたまプラーザ駅にでるという説明。なるほど、最寄り駅はたまプラーザですか。何か素敵な名前ですよね。プラーザですよ。プラザじゃないんです。最寄り駅はどちらと聞かれたときに、ちょっと自慢したくなるじゃありませんか。
ところがあらためて、地図をよ~く見ていると、あれれ、あざみ野でも同じ距離。さらに小田急線の新百合ヶ丘や柿生でも大差ないじゃありませんか。
引っ越した頃は、横浜市営地下鉄があざみ野から新百合ヶ丘まで延びる計画があって、近くに駅ができるでしょうみたいな話がありましたが、今ではそんなまぼろしは消え果ててしまっています。
となると、どこの駅にもバスで10分以上かかる中途半端な場所という感じがしないでもありません。そもそもたまプラーザは市営地下鉄が避けてしまった時点で、いまいち盛り上がりに欠けていますし、横浜市と東急、横浜市と川崎市の関係がいろいろ取りざたされるのも無理がありません。
せいぶつがくてき製剤
生物学的製剤と呼ばれる薬品は、関節リウマチをはじめとした炎症性疾患と呼ばれる病気の治療薬として、まさに時代の寵児然としています。
主だったリウマチ関連の学会での発表も、この数年は大多数が生物学的製剤に絡んだものであり、当然新刊書籍もこれらの薬剤を中心としたものばかりが目立っています。各製薬会社はシェア争いにしのぎを削り、さらに新しい製剤の開発が進められています。
患者さんにとっては、もちろん悪いことではありません。ただし薬の値段が問題。月平均にすると、いくつかある薬のいずれにしても自己負担3割の方で3~4万円もかかります。
国保の方(一般的には個人事業主)は、高額療養費制度を利用できる額にかかりません。社保の方(一般的には会社勤めの方)は、加入している保険組合によっては月の自己負担の限度額がそれ以下のことがありますので、必ず問い合わせておくことをお勧めします。
最近、新しく認可されたのはアボット=エーザイのヒュミラと中外製薬のアクテムラの2種類。ヒュミラは先行している田辺三菱のレミケードと同様の機序による薬ですが、レミケードが点滴で行うのに対して、こちらは皮下注射で投与可能であるところが一番の売りでしょうか。
安全性としては、レミケードでほぼ実証済みみたいなところがありますので、比較的安心して使えそうです。また、皮下注射が使いやすいことは先行するワイス=武田のエンブレルで証明されました。
一方のアクテムラは、これまでにはないまったく別のターゲットで効果を出します。そのため、どのような副作用が出るのか、多少不明な点があります。
また薬そのものの効果として従来使われている炎症の指標、つまりリウマチの病気の勢いを判定する検査項目が、病勢にかかわらず陰性化してしまうことから副作用の発見が難しくなることが心配されています。しかし、ターゲットが異なるため、他の製剤に無効な患者さんでも効果が出ることが期待されるので、今後が楽しみです。
さて、このような副作用をたいへんに心配する新薬は、市販されても厚生労働省への全例登録というシステムが定着しています。これはより安全性と有効性を確認するという意味で悪くはないのですが、実質的には治験(市販される前の治療実験)の続きみたいなもので、まだ完全にオープンに使用できるわけではありません。
一番手のレミケードでは、大きな制限はありませんでした。二番手のエンブレルはリウマチ専門医限定で行われました。そして、新しいヒュミラは学会の認定した教育施設限定となっています。
ですから、うちのような小さなクリニックでは当然使えないわけです。まぁ、同様のレミケードがあるわけですから、特に困ることはありません。
逆にびっくりしたのは、アクテムラの使用施設としてうちクリニックにOKがでたこと。リウマチ専門医で、生物学的製剤の使用実績によって可否がきまるようです。アクテムラは点滴で行うため、点滴をする場所や緊急時の連携医療機関の有無などが考慮されるようです。
ただし、アクテムラはまったく新薬であり、適応は慎重にされるべきであり、うちのようなクリニックではいきなりどんどん使うというわけにはいきません。おそらく3ヶ月程度で最初の全例登録の結果報告がまとまることでしょうから、それを見て安全性などを確認してからが使いどきではないかと考えています。
実際、この薬についての主な文献は開発者のグループのものばかりですから、もう少しいろいろな施設からの報告を知りたいところです。
主だったリウマチ関連の学会での発表も、この数年は大多数が生物学的製剤に絡んだものであり、当然新刊書籍もこれらの薬剤を中心としたものばかりが目立っています。各製薬会社はシェア争いにしのぎを削り、さらに新しい製剤の開発が進められています。
患者さんにとっては、もちろん悪いことではありません。ただし薬の値段が問題。月平均にすると、いくつかある薬のいずれにしても自己負担3割の方で3~4万円もかかります。
国保の方(一般的には個人事業主)は、高額療養費制度を利用できる額にかかりません。社保の方(一般的には会社勤めの方)は、加入している保険組合によっては月の自己負担の限度額がそれ以下のことがありますので、必ず問い合わせておくことをお勧めします。
最近、新しく認可されたのはアボット=エーザイのヒュミラと中外製薬のアクテムラの2種類。ヒュミラは先行している田辺三菱のレミケードと同様の機序による薬ですが、レミケードが点滴で行うのに対して、こちらは皮下注射で投与可能であるところが一番の売りでしょうか。
安全性としては、レミケードでほぼ実証済みみたいなところがありますので、比較的安心して使えそうです。また、皮下注射が使いやすいことは先行するワイス=武田のエンブレルで証明されました。
一方のアクテムラは、これまでにはないまったく別のターゲットで効果を出します。そのため、どのような副作用が出るのか、多少不明な点があります。
また薬そのものの効果として従来使われている炎症の指標、つまりリウマチの病気の勢いを判定する検査項目が、病勢にかかわらず陰性化してしまうことから副作用の発見が難しくなることが心配されています。しかし、ターゲットが異なるため、他の製剤に無効な患者さんでも効果が出ることが期待されるので、今後が楽しみです。
さて、このような副作用をたいへんに心配する新薬は、市販されても厚生労働省への全例登録というシステムが定着しています。これはより安全性と有効性を確認するという意味で悪くはないのですが、実質的には治験(市販される前の治療実験)の続きみたいなもので、まだ完全にオープンに使用できるわけではありません。
一番手のレミケードでは、大きな制限はありませんでした。二番手のエンブレルはリウマチ専門医限定で行われました。そして、新しいヒュミラは学会の認定した教育施設限定となっています。
ですから、うちのような小さなクリニックでは当然使えないわけです。まぁ、同様のレミケードがあるわけですから、特に困ることはありません。
逆にびっくりしたのは、アクテムラの使用施設としてうちクリニックにOKがでたこと。リウマチ専門医で、生物学的製剤の使用実績によって可否がきまるようです。アクテムラは点滴で行うため、点滴をする場所や緊急時の連携医療機関の有無などが考慮されるようです。
ただし、アクテムラはまったく新薬であり、適応は慎重にされるべきであり、うちのようなクリニックではいきなりどんどん使うというわけにはいきません。おそらく3ヶ月程度で最初の全例登録の結果報告がまとまることでしょうから、それを見て安全性などを確認してからが使いどきではないかと考えています。
実際、この薬についての主な文献は開発者のグループのものばかりですから、もう少しいろいろな施設からの報告を知りたいところです。
2008年6月27日金曜日
すいてるクリニック
今日は患者さんが少なく、Dr.Mが読んでいるかもしれないところでわざわざ書くのも恥ずかしい話ですが、うちでは50人を超えると大台なんです。しかし久しぶり50人を下回るんじゃないかという感じでした。最近は梅雨空ですから、天気になると洗濯が忙しいので整形外科なんぞに行っているヒマはないのではないかと思ってしまいます。
開業してすぐの頃に、当然暇なわけですが、患者さんに「このクリニックはいつでも空いていて、すぐ見てもらえるのがいい」と言われ、くやしいのですが否定もできず、「いつか見てろよ」と心の中で誓ったものでした。
今でも、その患者さんは何かあると通院してくれるんで、「どうです、ちょっと待つようになったでしょう」というと、「ははは、まだまだ他のところより早いよ」と言われてしまいます。
はじめは患者さんもいないので、物理療法でも牽引に電気にホットパック、うちにあるのは何でもどうぞ、それも好きなだけやっていってください、みたいな状態だったんんです。
ある時、週に数回来ては数時間すごしていたお年寄りがいたんですが、ぷっつり来なくなりました。たまたまその方の知り合いの方から、その理由を聞かされました。「あすなろさんは患者さんがいなくて、話し相手がスタッフばかりでつまらないからやめた」ということでした。
なるほど、そんなことも確かにありそうな話だなぁ、と思ったのですが、病院に行く目的を考えるとちょっと?というところはあるにしても、満足させられなかったことには違いがありません。
実際、銭湯や床屋が少なくなって寄合所がなかなかない時代ですから、お年寄りにとって診療所の役目のどこかにそういう部分があることはしかたがありません。患者さんが少なければ仲間がいない、患者さんがおおければお待たせする。ジレンマです。
ほどほどにバランスがとれているくらいにちょうどなれればいいんですけどね。
2008年6月26日木曜日
あすなろ整形外科クリニック
というのが、クリニックの正式名称ですが、その由来についてはクリニック・ホームページの開業物語に書いています。
さて、実際使っていると、けっこう長いんですね。電話の応対などで、フルに名乗るとけっこう面倒なんです。広告などでもクリニックを入れると、けっこうスペースを使ってしまうわけです。
でもって、最近はわりと「あすなろ整形外科」で終わりにしてしまっていることがあります。近くの町会の回覧板や学校の吹奏楽部演奏会の協賛などはクリニックを省いてしまいました。
あすなろ整形外科という名称では、インターネットで検索すると札幌が一番有名のようです。続いて山口県山口市にもあります。もう一つか二つ見たような気がしますが、意外と見つけられません。
比較的ありそうでない名称なのかもしれません。神奈川県レベルでは固有の名称として識別できるようです。最近は、「駅前のあすなろさん」とか「お医者さんビルのあすなろ整形」などという感じで知られているようです。
ただし、「あすなろ」というのは使いやすいのか、「都筑区 あすなろ」で検索すると、老人施設(うちと関係がありますが)、塾、グループホーム(港北区)、音楽教室(川崎市多摩区)などなどいろいろありそうです。
クリニックの名称、というか一般の店舗の名称も同じだと思いますが、地名を使う場合と自分の名前を使う場合が多い。
地名の場合には、どうしても似たような名称が同じ地域に集中しやすいことが欠点です。一度認識してもらえば場所がわかりやすいけど、逆に認識したらもう場所はわかっているので意味を持ちません。
自分の名前を使った場合は、差別化はたいへんはっきりしていますし、また中心となる人物がはっきりしています。自分の名前がわかりやすい名前の場合、あるいは自分の名前に自信がある場合などは大変高い効果があるといえます。
自分の場合は「宗定」という名前が、正しく読まれることが少ないということと、多少古めかしい感じがするというところが難点です。
さて、実際使っていると、けっこう長いんですね。電話の応対などで、フルに名乗るとけっこう面倒なんです。広告などでもクリニックを入れると、けっこうスペースを使ってしまうわけです。
でもって、最近はわりと「あすなろ整形外科」で終わりにしてしまっていることがあります。近くの町会の回覧板や学校の吹奏楽部演奏会の協賛などはクリニックを省いてしまいました。
あすなろ整形外科という名称では、インターネットで検索すると札幌が一番有名のようです。続いて山口県山口市にもあります。もう一つか二つ見たような気がしますが、意外と見つけられません。
比較的ありそうでない名称なのかもしれません。神奈川県レベルでは固有の名称として識別できるようです。最近は、「駅前のあすなろさん」とか「お医者さんビルのあすなろ整形」などという感じで知られているようです。
ただし、「あすなろ」というのは使いやすいのか、「都筑区 あすなろ」で検索すると、老人施設(うちと関係がありますが)、塾、グループホーム(港北区)、音楽教室(川崎市多摩区)などなどいろいろありそうです。
クリニックの名称、というか一般の店舗の名称も同じだと思いますが、地名を使う場合と自分の名前を使う場合が多い。
地名の場合には、どうしても似たような名称が同じ地域に集中しやすいことが欠点です。一度認識してもらえば場所がわかりやすいけど、逆に認識したらもう場所はわかっているので意味を持ちません。
自分の名前を使った場合は、差別化はたいへんはっきりしていますし、また中心となる人物がはっきりしています。自分の名前がわかりやすい名前の場合、あるいは自分の名前に自信がある場合などは大変高い効果があるといえます。
自分の場合は「宗定」という名前が、正しく読まれることが少ないということと、多少古めかしい感じがするというところが難点です。
さよなら三角またきて四角
さよなら三角 またきて四角
四角は豆腐 豆腐は白い・・・・
と続く言葉の連想ゲーム。最後は「光は親父のはげ頭」で締める。それにしても光らせるためには、相当磨きを入れないと。
自慢じゃありませんが、自分はけっこう髪の毛あります。まだ、薄くなってきたという感じはしていません。それで、若く見られることが多い・・・のでしょうか。
でも、ホントのところ、40歳を過ぎて来ると、若く見られても嬉しくはない。同年齢で、あまり老けている方を見るのはがっかりしますが、適度に押し出しがあって、落ち着いた紳士、どこかの会社の重役風に見える方には嫉妬を感じるのです。
別に威張ろうと言うわけではありませんが、かといって自分よりずーっと若い方にため口で話しかけられると、多少複雑な気分になります。やはり年齢相応というのが無理が無くいいもんです。
最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、「ロマンスグレー」というのがありました。二谷英明さんは、まさにかっこいい白髪が売りでした。ある意味あごがれましたね。年を取ったら、二谷さんのような白髪の似合うようになりたい、と思っていました。
小鬢(こびん)にはだいぶ白髪が増えてきましたが、何とかロマンスグレーになるまで禿げないでいられるでしょうか。これも、うまく年を取ると言うことのひとつかもしれません。
四角は豆腐 豆腐は白い・・・・
と続く言葉の連想ゲーム。最後は「光は親父のはげ頭」で締める。それにしても光らせるためには、相当磨きを入れないと。
自慢じゃありませんが、自分はけっこう髪の毛あります。まだ、薄くなってきたという感じはしていません。それで、若く見られることが多い・・・のでしょうか。
でも、ホントのところ、40歳を過ぎて来ると、若く見られても嬉しくはない。同年齢で、あまり老けている方を見るのはがっかりしますが、適度に押し出しがあって、落ち着いた紳士、どこかの会社の重役風に見える方には嫉妬を感じるのです。
別に威張ろうと言うわけではありませんが、かといって自分よりずーっと若い方にため口で話しかけられると、多少複雑な気分になります。やはり年齢相応というのが無理が無くいいもんです。
最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、「ロマンスグレー」というのがありました。二谷英明さんは、まさにかっこいい白髪が売りでした。ある意味あごがれましたね。年を取ったら、二谷さんのような白髪の似合うようになりたい、と思っていました。
小鬢(こびん)にはだいぶ白髪が増えてきましたが、何とかロマンスグレーになるまで禿げないでいられるでしょうか。これも、うまく年を取ると言うことのひとつかもしれません。
2008年6月25日水曜日
2008年6月24日火曜日
ゆずの里

馬路村。うまじむらと呼びます。四国です。南国土佐です。ゆずの名産地です。
なんで馬路村かというと、以前渋谷で土佐料理を食べに行ったら、ソフトドリンクメニューに「ごっくん馬路村」というのがあって、こどもたちは何が出てくるのか楽しみで注文しました。
これがゆずのジュース。ちょっと苦みがあって、でもさわやかな飲み心地がなかなかよろしい。
というわけで、その後何回かインターネットで注文して買ったことがあるわけです。JINROなどと混ぜてもよし、大人もけっこういけますよ。
なんで馬路村かというと、以前渋谷で土佐料理を食べに行ったら、ソフトドリンクメニューに「ごっくん馬路村」というのがあって、こどもたちは何が出てくるのか楽しみで注文しました。
これがゆずのジュース。ちょっと苦みがあって、でもさわやかな飲み心地がなかなかよろしい。
というわけで、その後何回かインターネットで注文して買ったことがあるわけです。JINROなどと混ぜてもよし、大人もけっこういけますよ。
2008年6月23日月曜日
2008年6月22日日曜日
みけねこ
もともと住んでいた渋谷の実家。隣の家との距離は数10cmで、こどもの自分でさえ、窓からとなりのベランダに簡単に飛び移れそうでした。
自分は実際にはやったことはありませんが、それをいとも簡単に毎日のようにやっていたもんがいました。それが隣の三毛猫。名前はみけ。
う~ん、あまりに安易な名前なのですが、「みけ、みけやぁ~い」とうちの窓からも呼んでいたものです。すると、ぴょんっと飛んできます。
すると、まんまつぶに鰹節をがりがりとけずった細かいかすを混ぜた物をあげたりします。すると、みゃーぉ、とか言いながら旨そうに食べて、またもやさっと隣へと帰っていくわけです。
犬は人につき、猫は家につくとはよく言ったもので、隣のみけはそのあたりは、たいへんにうまく立ち回っていたんでしょうね。
ですから、自分は犬は飼いたいと思うわけですが、猫を飼おうとは思わないんですよね。もちろん、ゴロニャンとしているところは可愛いと思いますが、どうもあちこちで八方美人になっていそうですから、よその家の猫を可愛がっているくらいがちょうど良さそうです。
自分は実際にはやったことはありませんが、それをいとも簡単に毎日のようにやっていたもんがいました。それが隣の三毛猫。名前はみけ。
う~ん、あまりに安易な名前なのですが、「みけ、みけやぁ~い」とうちの窓からも呼んでいたものです。すると、ぴょんっと飛んできます。
すると、まんまつぶに鰹節をがりがりとけずった細かいかすを混ぜた物をあげたりします。すると、みゃーぉ、とか言いながら旨そうに食べて、またもやさっと隣へと帰っていくわけです。
犬は人につき、猫は家につくとはよく言ったもので、隣のみけはそのあたりは、たいへんにうまく立ち回っていたんでしょうね。
ですから、自分は犬は飼いたいと思うわけですが、猫を飼おうとは思わないんですよね。もちろん、ゴロニャンとしているところは可愛いと思いますが、どうもあちこちで八方美人になっていそうですから、よその家の猫を可愛がっているくらいがちょうど良さそうです。
しに方講習会
・・・というものがあってもいいのでは、とふっと思ったことありません?
自分は医者ですから、基本的には患者さんが死んでは困るわけで、たとえば安楽死のような問題を医者が積極的に援助することには疑問を持っているわけです。
まぁ、ここでは安楽死の問題を話したいわけではありません。自殺の問題です。過去に自らの行為で病院に運ばれてきた人を治療する経験を幾度となくしました。でも、その時に思うのは、何で死にたい人を助けなければならないのか、という疑問でした。
もちろん、たいていの場合には、退院する頃には、何て馬鹿なことをしたと後悔している事が多いので、命が助かって、もう一度何かに向かっていくことができることは、大変に意義があることに違いはありません。
しかし、実際に治療に当たる立場では、こちらも人間ですから、生きたい人を治療するのと死にたい人を治療するのではモチベーションに差が出るのはやむを得ない。
だったら、きっちり死ねる方法をきちんと講習してくれる会があってもいいんじゃないの、と思いたくもなります。実際に、自殺マニュアルというのが一時物議をかもしました。しかし、今ではネットでいくらでもその手の情報が手に入ります。今年流行った自殺法しかり。数年前に流行った練炭もそう。さらに、一緒に死にましょうというサイトまである始末です。
実際、手首を切ってもよほど周到な準備をしていなければ死ぬことはまずありません。夜中に整形外科医がぶつぶつ文句を言いながら、切れた血管や神経や筋肉を縫合するだけです。雪山で綺麗に死にたいなんていうと、捜索隊が出て下手すると数千万円とかの費用を請求されるでしょう。
いずれにしても、楽な死に方なんてないし、残された者に迷惑がかからない方法もありません。普通の感覚では、自ら命を絶つことより勇気が必要なことは、きっと無いでしょう。それだけの勇気があれば、何でもできるはずと考えたいものです。
行動を起こせば、周りに迷惑をかけ、助かった場合は肉体的、あるいは精神的に大きな傷を持つわけですから、最初からやらない方がいいに決まってます。ですから、死に方講習会というのは、けっきょく生き方講習会と同じなんでしょうね。
自分は医者ですから、基本的には患者さんが死んでは困るわけで、たとえば安楽死のような問題を医者が積極的に援助することには疑問を持っているわけです。
まぁ、ここでは安楽死の問題を話したいわけではありません。自殺の問題です。過去に自らの行為で病院に運ばれてきた人を治療する経験を幾度となくしました。でも、その時に思うのは、何で死にたい人を助けなければならないのか、という疑問でした。
もちろん、たいていの場合には、退院する頃には、何て馬鹿なことをしたと後悔している事が多いので、命が助かって、もう一度何かに向かっていくことができることは、大変に意義があることに違いはありません。
しかし、実際に治療に当たる立場では、こちらも人間ですから、生きたい人を治療するのと死にたい人を治療するのではモチベーションに差が出るのはやむを得ない。
だったら、きっちり死ねる方法をきちんと講習してくれる会があってもいいんじゃないの、と思いたくもなります。実際に、自殺マニュアルというのが一時物議をかもしました。しかし、今ではネットでいくらでもその手の情報が手に入ります。今年流行った自殺法しかり。数年前に流行った練炭もそう。さらに、一緒に死にましょうというサイトまである始末です。
実際、手首を切ってもよほど周到な準備をしていなければ死ぬことはまずありません。夜中に整形外科医がぶつぶつ文句を言いながら、切れた血管や神経や筋肉を縫合するだけです。雪山で綺麗に死にたいなんていうと、捜索隊が出て下手すると数千万円とかの費用を請求されるでしょう。
いずれにしても、楽な死に方なんてないし、残された者に迷惑がかからない方法もありません。普通の感覚では、自ら命を絶つことより勇気が必要なことは、きっと無いでしょう。それだけの勇気があれば、何でもできるはずと考えたいものです。
行動を起こせば、周りに迷惑をかけ、助かった場合は肉体的、あるいは精神的に大きな傷を持つわけですから、最初からやらない方がいいに決まってます。ですから、死に方講習会というのは、けっきょく生き方講習会と同じなんでしょうね。
2008年6月21日土曜日
けんこう一番
今の医学は、病気を治療することから、健康を維持することに目的がシフトしてきています。メタボもその一つ。
新たなセンセーショナルな病気を提唱して話題性だけは満点で、一見、もっともらしい感じがしなくはないのですが、実際には医療費をはじめとする社会保障抑制の元に厚生労働省を中心に国が行っている政策に踊らされている現状があります。
何か、すごい話を始めたなぁ、と思われるかもしれませんが、これが今の医療崩壊の根幹にあることは、間違いのないところで、日本の厚生行政がどこに向いているかが問題なのです。
今日のニュースでは、元タレントの厚生労働大臣さんが社会保障抑制政策を「死にかかっている国民を死なせても借金を払え」と言っているようなものと批判したというニュースがありました。
何やねん、今更。あんた、この1年間近くどうしていたの。メディア受けしやすい話題作りばかりに奔走して、けっきょく国民全体にかかわる問題を棚上げしていたんでしょうに。
もとはといえば、その大臣さんは前の総理大臣だったコイズミさんの腰ぎんちゃくみたいなもんやったでしょうに。そのコイズミさんが、「改革」という名のもとに今の医療費抑制の基礎を作ったんでしょうに。
みんなが痛みを分かち合う改革、って言うても、痛いのは一般の国民だけじゃないですか。自民党をぶっつぶす、って言うても、自民党は何もかわってないじゃないですか。
後期高齢者医療制度がやり玉にあがってきたからって、今頃になってまたもやメディア向け受け狙いみたいにいいこぶっても遅いでしょうが。
1週間前に某なんとかという東大の偉い先生が医療費抑制をやめましょうというような発言をしたとのニュースがありました。いわゆる有識者の代表みたいな人なんでしょうけど、遅すぎるでしょう。
有識者と言われる人たちは、確かに偉いわけですが、99%の大多数の一般国民のように毎日の生活を心配することもなく、ガソリンが高くなろうが、バターが手に入らなかろうが関係ない人たちです。もう怒るのもばかばかしい。あきれるだけ。
特定検診はまったく先行き不詳のまま6月から開始されましたが、いまだに実際のところどうなっているのかよくわからない。まだメディアが注目していないので、大臣も気にしていないようですけど、次はこれでしょう。
メタボに踊らされる国民やメディアは、メタボ以外の病気に関する健康診断がばっさり切り捨てられてしまったことに気がついていません。今や日本人は健康一番、病気にはなれませんから。
大臣発言で、みょうに怒りがふつふつと湧いて、多少我を見失った本日のブログでした。
新たなセンセーショナルな病気を提唱して話題性だけは満点で、一見、もっともらしい感じがしなくはないのですが、実際には医療費をはじめとする社会保障抑制の元に厚生労働省を中心に国が行っている政策に踊らされている現状があります。
何か、すごい話を始めたなぁ、と思われるかもしれませんが、これが今の医療崩壊の根幹にあることは、間違いのないところで、日本の厚生行政がどこに向いているかが問題なのです。
今日のニュースでは、元タレントの厚生労働大臣さんが社会保障抑制政策を「死にかかっている国民を死なせても借金を払え」と言っているようなものと批判したというニュースがありました。
何やねん、今更。あんた、この1年間近くどうしていたの。メディア受けしやすい話題作りばかりに奔走して、けっきょく国民全体にかかわる問題を棚上げしていたんでしょうに。
もとはといえば、その大臣さんは前の総理大臣だったコイズミさんの腰ぎんちゃくみたいなもんやったでしょうに。そのコイズミさんが、「改革」という名のもとに今の医療費抑制の基礎を作ったんでしょうに。
みんなが痛みを分かち合う改革、って言うても、痛いのは一般の国民だけじゃないですか。自民党をぶっつぶす、って言うても、自民党は何もかわってないじゃないですか。
後期高齢者医療制度がやり玉にあがってきたからって、今頃になってまたもやメディア向け受け狙いみたいにいいこぶっても遅いでしょうが。
1週間前に某なんとかという東大の偉い先生が医療費抑制をやめましょうというような発言をしたとのニュースがありました。いわゆる有識者の代表みたいな人なんでしょうけど、遅すぎるでしょう。
有識者と言われる人たちは、確かに偉いわけですが、99%の大多数の一般国民のように毎日の生活を心配することもなく、ガソリンが高くなろうが、バターが手に入らなかろうが関係ない人たちです。もう怒るのもばかばかしい。あきれるだけ。
特定検診はまったく先行き不詳のまま6月から開始されましたが、いまだに実際のところどうなっているのかよくわからない。まだメディアが注目していないので、大臣も気にしていないようですけど、次はこれでしょう。
メタボに踊らされる国民やメディアは、メタボ以外の病気に関する健康診断がばっさり切り捨てられてしまったことに気がついていません。今や日本人は健康一番、病気にはなれませんから。
大臣発言で、みょうに怒りがふつふつと湧いて、多少我を見失った本日のブログでした。
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