Alfred Hitchcock・・・アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)はサスペンスの神様として君臨した映画監督。映画には芸術性を追求するものと娯楽性を追求するものがありますが、ヒッチコックはサスペンスを一貫した題材として取り上げ、映画の娯楽性を高めたことで偉大な功績があります。
笑いの中に寂しさを同居させ娯楽性と芸術性を併せ持った巨匠といえばチャップリンですが、ふたりとも母国のイギリスから戦禍を避けてアメリカに渡り、それぞれ違った足跡を残しました。
チャップリンは絶えず、笑いの中に権力に対する皮肉を混ぜることで、「反体制的」な人間というラベルを貼られ、晩年まで正当な評価を受けずにいました。
一方、ヒッチコックは「風と共に去りぬ(1939)」の大成功で当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったプロデューサーのセルズニックによってアメリカに招かれたため、最初のアメリカでの映画「レベッカ」でいきなりアカデミー作品賞をもらいます。
しかしセルズニックのとでは思い通りの仕事はなかなかできない。しだいに自分に付いてきた名声により独立し、作りたいものを作るようになります。ここからヒッチコックの映画実験が始まりました。
救命ボートという限定された空間のみでドラマが進行する「救命艇」、実際の時間経過どおりに犯罪が起こって犯人が追い詰められる「ロープ」、また「ロープ」では映画のサダ医の特徴であるカット割りを排除して、すべてのシーンを連続させたりもしました。
「ダイアルMを廻せ」では、劇場での演劇そのままの映像化、いきなり死体が転がっていて、これを移動させることのみをテーマにした「ハリーの災難」、定点カメラからの撮影のみで盛り上げる「裏窓」、開始早々に主演女優をいきなり殺してしまった「サイコ」、鳥が人間を襲う想像しうるすべてのパターンを見せきった「鳥」など、並べたらきりがありません。
これらの実験的手法は、今でもいろいろな映画に踏襲されスタンダードな手法となっています。これらを最初に考えたヒッチコックの天才がなかったら、ハリウッドはスターにのみ支えられた内容の無い映画を作り続け、今頃は忘れられていたことでしょう。
日本の映画にももちろん大きな影響があるわけで、笑いの要素を中心の作品作りをしていますが、今乗りにのっている三谷幸喜も、作品の作り込みは非常に似ている部分がありヒッチコックの影響をものすごく受けているはずです。
映画好きな人はフランスのトリフォーと対談形式で語られた「映画術」という本を絶対に読んで下さい。そこには映画を見る人、作る人、語る人すべてに役に立つ、まさに映画のすべてが語られています。そして読んだら、ヒッチコックの名言「たかが映画じゃないか」が本当に理解できることでしょう。