2008年8月21日木曜日

大野病院事件判決

福島県で2006年に起きた大野病院事件。たまたま最近別のブログでも、この話題に触れていました

そして、昨日その判決が言い渡され、被告になった医師は無罪となりました。すでにあざみ野棒屋先生にはこの話については書かれてしまいました

もちろん、今後結審するかどうかは、まだわかりませんが、医療関係者として無視することができない大きな意味を持った裁判に、ひとつの見解が示されたことになります。

この事件の特殊性は誰の目にも明らかで、命を落とした女性がいて、命を救えなかった医師がいるのです。通常の事件とは異なり、少なくとも悪意を持った人は登場しません。

裁判の争点は、医師の医療行為がの妥当性、つまりこの場合の手術操作の正当性でした。自分はこの事件のような事例の専門家ではありませんし、この現場に直接いなかったものとしては、誰かを批判するようなことは慎重にならざるを得ないわけで、実際に起こったことについては言及を避けるのが無難な選択でしょう。

ただ、少なくとも、明らかな医学的な誤りとはいえない行為という認識が大多数をしめており、その結果が最悪の結果であったから司法が介入するということは、われわれ医療従事者としては自分の仕事の関わる大変大きな問題であるということは間違いありません。

実際、その後の影響については、いろいろ考えなければならないことがあります。産科医療は、もともと大きなリスクをいろいろ持っているわけですが、今回の立件によって、明らかに産科医の萎縮を招いたことは否定できません。特に一人の医師しかいないような地方の病院では深刻です。

どんなにベストを尽くしたとしても結果によっては犯罪人として扱われるのであれば、最初から産科医にならないという選択は当然のことです。医学は万人に対して最大限の利益を与えることが責務ではありますが、数学的にいつでも100%の結果を出すことはできません。

さらに救急医療全体にも波紋は広がったうえ、政府の医療費削減の政策により、診療報酬はどんどん引き下げられました。リスクのみがどんどん増えるだけで、得られるものが無いのであれば、医療全体が萎縮していくのは当然のことです。

患者さんを診ないことが最善の選択という流れが出来上がってきたことは、自分もいぜんとして当直バイトをしている立場から、まったく同感であり非難できません。

実際には患者さんとの間に十分な話し合いがあり、いろいろな起こりうる事態に対する理解が両者が共有されていることがもっとも重要なのでしょう。しかし、現場ではこの説明に費やされる時間はますます肥大化し、また同意を得るための書類もどんどん増えていて、ますます医師の医療行為以外の時間が増大してしまいました。

日本の習慣的な医療行為の中ではもう限界なのです。すでに、高齢者医療の問題などを含めて、日本の世界に「自慢する」国民皆保険制度はとっくに破綻しています。実際、今日は西濃運輸のような大きな企業の健康保険組合が解散というニュースがあります。この枠組みに固執しているかぎり、今回の無罪判決によっても医療崩壊の流れは止められないと自分は考えます。

じゃあ、どうしよう、というところまでは、ただの街医者には思いもよりません。日々、ひとつひとつ自分のできることをやっていくだけです。