2021年7月28日水曜日

インセプション (2010)

監督のクリストファー・ノーランが、大学時代に映画製作を始めた初期から構想していたの映画で、「バットマン・ビギンズ」、「ダーク・ナイト」で一躍実力を轟かせたことで制作を実現させたと言えます。


一応、SF的なクライム・アクションと言える内容ですが、複雑な構成の映画で、他人の夢に入り込むことやその夢を舞台や登場人物を自由にデザインできるというアイデアは、コンピュータの仮想現実とは似て非なるものです。わざと観客を混乱させるためか、説明は最小限になっているので、基本的な世界観はあらかじめ知っておいた方が良いかもしれません。

ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は海岸で目を覚まし、年老いたサイトー(渡辺謙)の邸宅に連れてこられますが、次の瞬間若いサイトーと仲間のアーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)と食事をしている。その夜、サイトーの金庫から機密書類を盗み出したドムでしたが、サイトーとドムの亡き妻モル(マリオン・コティヤール)に邪魔され、ドムはアーサーを射殺。

その結果、暴動の起きているアジアの町の建物の一室でアーサーは目が覚めます。ドムは浴槽に落とされ目を覚まし、同じく目を覚ましたサイトーに機密情報を話すよう迫りますが、サイトーはこれもまた夢だと見破ります。日本の新幹線の車内で再び目を覚ました彼らは、コボル社からの依頼の仕事に失敗したことを認めサイトーを置いて去ります。

手配した逃亡用のヘリコプターが到着しますが、乗っていたのはサイトーでした。機内でドムとアーサーは、サイトーから敵対企業の二代目、ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィー)にインセプションして、会社を破滅させる仕事を依頼します。ドムは他人の夢の中に入り込んで情報を抜き取る(エキストラクト)産業スパイですが、情報を植え付けてくること(インセプション)は難度が格段に上がる。

パリに渡ったドムは、モルの父であり、エキストラクトの師であるマイルス教授(マイケル・ケイン)から、優秀な設計士(デザイナー)であるアリアドネ(エリオット・ペイジ)を紹介されます。さらに偽装師のイームス(トム・ハーディ)、調合師のユスフを加え計画が練られます。

父親が死んだため飛行機に乗ったロバートを眠らせ、インセプションが開始されますが、第1階層であるユスフの夢の中でタクシーに乗ったロバートを拉致したところで、設計されていない銃撃によりサイトーが重傷を負います。ロバートは夢を守る訓練をしていて、潜在意識を武装化していたのです。普通なら夢で死んでも目が覚めるだけですが、三層までの深い設計の夢のため鎮静剤が通常より強力で、夢で死ぬと虚無に落ちるのです。

かつて、ドムとモルは夢の中の夢を追い求め虚無の深層に入り込み、現実に戻ってもモルはそれがまだ夢の世界だと疑い、ついに「現実」に戻るため自殺したのです。ドムは潜在意識の中にモルに対する罪の意識を隠し持っていて、それが夢の中にモルが登場しドムを邪魔することにつながっていたのです。

武装集団の襲撃からバンで逃げ出し、運転するユスフを残してその車の中でアーサーの夢の第2階層に入ります。ドムは夢を警備する者だとロバートに説明し、信頼する会社のNo.2を黒幕だと思わせます。そして真実を知るためロバートは率先して、アーサーを残してイームスの夢である第3階層に入るのでした。

そこはロバートの父親が入院している雪山の中の要塞。チームのサポートで、ロバートは金庫室にたどり着きますが、モルが現れロバートを撃ち殺します。ドムとアリアドネは危険を承知でさらなる深層、つまり虚無に落ちてロバートを救い出すしかありませんでした。そこには、再びモルがドムを待っているのです・・・

ディカプリオとペイジ以外は、ほとんどがノーラン作品に何度も登場している俳優さんばかり。この難しい状況を描き出そうという監督と気が合う方々ばかりなのでしょう。時間の進み方が現実と比べて夢の階層を下るたびに20倍になるという設定を利用して、第1階層でバンが橋から落下する数十秒が、第3階層では2時間ほどにもなってサスペンス度を高めています。

最後に冒頭のシーンに戻り、その意味が初めてわかりますが、最終的にモルが言ったように現実も実は夢なのではないかという、どこまで行っても無限のループが続く不思議な余韻を残す映画です。その映像化の実現のために、大掛かりなシーンではCGも当然使用されていますが、監督のこだわりとして俳優のアクション・シーンのほとんどが実際のセットでの実演というから驚きます。

パリの街頭で街並みが吹き飛ぶシーンも空気砲によるものが主ですし、鏡を使ったトリックも面白い。巨大な機関車が街中を疾走するのも、トレーラーを改造したものが本当に走っています。廊下やホテルの部屋のセットが、実際に360度回転する中でのアクションは見事です。渡辺謙もかなり重要な役どころであり、そのせいで日本でのロケも行われたのは日本人としてもうれしいところです。

映画の中で、これが夢なのか現実なのかを判断する小道具として、各自それぞれのトーテムと呼ばれるものが登場します。ドムが使うのが金属製の独楽で、回り続けるなら夢で、回転がとまって倒れれば現実。そしてラスト・シーンで、独楽は周り続けていますが、倒れるかもしれないというところで終わっている。

つまり、ドムは現実に戻れたのか否か、見る者の判断に委ねられる結末になっている。このシーンでは、夢の中では一度も顔を見せなかったドムのこどもたちが振り向いて顔が見えたり、夢には一度も登場しないマイルス教授が登場していることから現実と考えるのが妥当ですが、ノーラン監督はこの点について明言を避けています。

しかし、ドムは独楽がどうなるのかを確認することをせず、こどもたちの方に向かう。夢かどうかよりも大切なものが何かをはっきりと暗示しているということ。エドガ-・アラン・ポ-は、現実は単なる幻で夢の世界こそ生命の糧と言い、ウォルタ-・デ・ラ・メイヤも、リアリズムから逸脱した空想的経験こそ一層リアルだと述べ、これらの言葉に触発された江戸川乱歩は「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」と好んで書き記しました。