2021年9月23日木曜日

第9地区 (2009)

ニール・ブロムカンプは南アフリカ出身で、もともとアニメーターとして活躍して、この作品で商業映画監督としてデヴューし、一気に注目を集めました。この映画では、アパルトヘイトを根底のテーマにしていることは明らかです。2006年に自分で作った6分半ほどの短編「Alive in Joburg」をもとにしています。


南アフリカは、イギリス植民地から独立し1948年に連邦政府が樹立すると「アパルトヘイト」と呼ばれる白人と批判人を分ける人種隔離政策を行いました。辺境地域に10地区(ホームランド)を用意し、黒人などの有色人種はそこへ押し込め、国際社会からの度々の避難も意に介しませんでした。

しかし、多く抵抗運動もあり、90年代になりついにこの政策を撤廃し、1994年についに全人種による総選挙の結果、黒人であるネルソン・マンデラが大統領に就任。名実ともにアパルトヘイトは消滅します。

1982年、突如、ヨハネスブルグに現れた巨大な宇宙船は、3か月たっても年の上空に留まったままでした。調査の結果、宇宙難民となったエイリアンが見つかり、疲弊切っていた彼らのため宇宙船直下の土地を第9地区として居住地域に割り当てます。しかし、エイリアンの高い繁殖力で第9地区だけでは狭くなり、また地区はスラム化してしまいます。2010年、管轄するMUNは、エイリアンを新たに第10地区へ移送することにします。

MNUの職員のヴィッカスは、エイリアンに立ち退きの説明と同意のサインを貰うために第9地区に入りますが、一軒の家で棒状の物を発見し、触れたとたんに中から液体が噴出し浴びてしまいます。

その影響で、ヴィッカスの体に異変が起こりはじめ、彼は自分が少しずつエイリアン化していることに気がつきます。MNUに幽閉されたヴィッカスは、脱出して知的なエイリアンのクリストファー・ジョンソンのもとを訪れます。クリストファーは浴びたのは彼らが長年かけて作ってきた宇宙船の燃料だと説明します。

クリストファーにMNUに保管された液体を返せば元の体に戻すと言われたヴィッカスは、エイリアンと共にMNUに乗り込み液体を奪取しますが・・・

映画は、手持ちカメラを多用し、インタヴューの場面や業務の記録映像を用いたドキュメンタリーの体裁をとっています。主役のヴィッカスの台詞も、ほとんとがその場のアドリブらしい。意図的にピントをぼかしたり、手振れをさせたり、シーンのつながりもやや唐突な感じにしているので、正直に言うと見ていて疲れます。

エイリアンが何故宇宙を放浪するのか、何故地球に来たのか、何故ヨハネスブルグなのか、何故地球人の言葉を理解できるのか、何故地球人はエイリアンの言葉を理解できるのか・・・等々、よくわからないことだらけなのですが、ノンフィクション風にすることで、フィクション部分の疑問をうまく隠せます。

いずれにしても、究極的な格差社会を描くことがこの映画の真意であるとするなら、地球人同士だと政治的な問題を避けては通れないので、いろいろな疑問はそのままにこのような設定になったのかもしれません。

ただし、この映画の弱点は、ノンフィクション風にしたことで地球人と似た容姿のエイリアンを封印することになり、弱者側の宇宙人の容姿や行動に対して感情移入できないところだと思います。

社会格差がテーマの場合、ほとんどの映画は被支配階級側が主役であることが多いのですが、ここではエイリアン側に立つのはなかなか難しい。それは、実際の主人公が支配階級側の人間であり、観客も同様だからです。主人公が被支配階級に転落し気の毒と思う、「上から目線」的な気持ちが先に立ってしまう。

もっとも、かつての南アフリカの社会構造を、(白人側から)痛烈に批判し反省するという目的は十二分に伝わります。エンターテイメントとしても商業的に成功し、新たな視点からの人類とエイリアンの関係性を描いたとして、高い評価がされていることは納得できる映画だと思いました。