2021年9月14日火曜日

トゥモロー・ワールド (2006)

近未来のディストピアを描くこの映画は、つまらない邦題のせいで、もしかしたらだいぶ損をしているかもしれません。原題は「Children of Men」で、「人類のこどもたち」ということですが、「トゥモロー・ワールド」では、映画の世界観とはかなりかけ離れてしまうように思います。それでも、今や押しも押されぬ名監督になったアルフォンソ・キュアロンの技が冴えわたります。

2027年のイギリス。人類は出産能力を失い、希望の持てない世界ではテロ事件が多発し、不法入国者の激増で治安が悪化していました。冒頭、最も若い18歳の少年が死亡したことをニュースが伝える中、主人公であるエネルギー省に勤めるセオ・ファロン(クライヴ・オーウェン)は、コーヒーショップから出た直後にショップで爆弾テロが発生します。この間の1分半は手持ちカメラで主人公を追う形のワン・カット撮影です。

セオは、通勤の途中で不法入国者の人権を守る反政府組織であるFISHに拉致されます。なんと、リーダーは別れた元妻のジュリアン・テイラー(ジュリアン・ムーア)で、不法入国者の娘を脱出させるため通行証を手にいれてほしいと頼まれます。しぶしぶセオは、従兄の文化大臣に嘘をついて通行証を手に入れます。

ジュリアンに引き合わされたのは黒人の若い娘キーで、通行証はセオが同伴することが条件になっていました。早速、出発した一行でしたが、途中で暴徒に襲撃されジュリアンは銃撃され絶命します。ここもワンカット4分の緊迫した映像です。

キーは妊娠していたのです。実はFISHは、赤ん坊を盾に政府に優位に立とうとして、暴徒を装ってジュリアンを殺害し、キーを引き留める計画でした。キーを連れ出したセオは、元ジャーナリストで友人のジャスパー(マイケル・ケイン)に匿ってもらいます。しかし、FISHが追ってきたため、ジャスパーは逃げる時間を稼ぎ盾になって殺されてしまいます。

セオとキーは不法入国者を装って、海のすぐそばにある収容所に入り、キーは無事に出産します。しかし、FISHが収容所を襲ってきたため軍隊との激しい戦闘になります。ここもかなりの長時間ワンカット撮影で、緊迫感を盛り上げます。何とか脱出した二人は、ボートで海に漕ぎ出しますが、銃撃を受けたセオはボートの上で息を引き取ります。そこへ、キーを安全な場所連れていくトゥモロー号が近づいてきました。

ディープ・パープルのデヴュー曲「ハッシュ」、キング。クリムゾンの名曲「キリムゾン・キングの宮殿」が流れたり、ピンク・フロイドの「アニマルス」さながらの発電所と空に浮かぶ豚のバルーンが登場します。後テーマに使われるのもはジョン・レノンの「ブリング・オン・ザ・ルーシー」です。フィッシャーディスカウが歌うマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」も使われていたりして、昭和人としては音楽の使い方に唸ってしまいます。

新たにこどもが生まれなくなって18年間。このままだと、長くても100年後には人類は一人もいなくなっている。何も遺す必要はなく、何も希望を持てない世界というのは、本当だったら恐ろしいことで、人類最後の一人にだけはなりたくないものです。

主だった登場人物は皆、人類の唯一の希望となるこどものために犠牲になっていく。そんな思いを託すだけの価値が一人の赤ん坊にあるわけですが、正直に言うと、そんな未来があるかもしれないとはなかなか想像しにくく、ちょっと共感しずらいところがあります。

そこをリアルな映像でなんとかもたしているのが、キュアロン監督得意の長回しのワッンカット・シーン。実際には、複数のカットをつなげて、CGなどをうまく利用しているらしいのですが、こういうさりげないCGの使い方は映画作りのお手本になるのではないでしょうか。

おおかたのディスピア映画では、主人公はまったく歯が立たないか、とりあえず一時は救われます。しかし、ここでは、未来につながる希望の回復が描かれるという点では、皆死んでしまう割には後味は悪くないというところでしょうか。