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2013年1月9日水曜日

体罰

いやぁ、なんか寒いですねぇ。首都圏は、この冬まだ雪は降りませんが、日中も気温が上がらず、底冷えという表現がぴったりです。

さて、「体罰を苦にして高校生が自殺」というニュースがあり、新年早々暗い話で残念です。体罰というのは、戦前なら普通の行為であったかもしれませんが、しだいに減って、最近はほとんど消失したもののようなイメージです。

実際には、影で日常的な体罰は継続的に存在しているわけで、誰しも今回の事件も氷山の一角にすぎないと考えるのではないでしょうか。

体罰は微妙な問題が絡んできますし、また今回のような悲劇的な結末があると、なかなか意見を言うのは難しいことも少なくありません。また、「いじめ」という問題とも関連して微妙です。

自分も、体罰を肯定する立場ではありませんが、あえて誤解を恐れずに一言言うなら、物事にはする側とされる側の両方に問題があるということです。

「愛のむち」という言葉があって、より成長することを願って、あえて相手を辛い状況のなかに落とし入れることはさまざまな教育のなかで、しばしば行われるやり方です。

ただし、それは「むちを打たれる」側に、それを受けるだけの耐用性があってなりたつこと。「なにくそ」と反発する気持ちから、より大きく成長すれば作戦は成功です。しかし、日本の現代社会では、どうでしょぅか。

一人一人の耐用性は低下して、 国全体としても打たれ弱くなったのではないでしょぅか。ネット社会という言葉がよく使われますが、その特徴の一つが匿名性。

匿名性が強くなると、責任の所在が不透明になり、いろいろなことを簡単に投げ出してしまうことが可能になります。辛いことはやりたくない、嫌なことを簡単に批判してしまうような風潮がはびこってはいないでしょぅか。

体罰に安易に解決を求めることは、教育する側の無能を露呈しています。通常は、匿名行為ではないはずですが、より困難な解決法を避けてしまうのも、そういう無責任時代の現れの一つなのかもしれません。

植木等の代名詞だった「無責任」は非匿名の上で、その無責任の責任を引き受けて成り立っていたものです。隠れて本当の無責任ばかりが大きくなってくると、今回のような悲しい事件はどんどん増えていくのかもしれません。