2013年2月21日木曜日

心機一転

高校生の時は、何を考えていたのか。まぁ、今となっては、あまり思い出せないものです。とりあえず、それほど大志を抱いていたわけではなく、毎日何となく楽しければいいかくらいのものだったかもしれません。

家は開業医ですから、親は当然長男の自分には医者になってもらいたいと考えていたわけです。そんなことは、知ってか知らずか、こどもは好き勝手なことばかりをしていたわけですから、今から考えるとずいぶんと親不孝物だったんでしょう。

通っていた高校は、高3の秋に修学旅行をするような能天気な学校でしたから、大学進学についてもほとんど進路相談なんてものはなかったんです。内申書をもらうのも、どこでも好きな大学を申し込めばいくらでももらえたりしました。

この頃まで、つまり内申書を申し込むような時期まで、自分は文系に行きたくて社会科中心の勉強ばかりをしていたもんです。でも、何ででしょうかね、いざ内申書を申し込むだんになって医学部の受験を決めたんです。

ずいぶんと親に説得されたのかもしれませんが、どうもよく覚えていない。おかけで、それから物理とか化学とかあらためて勉強するんじゃ間に合うわけが無い。当然、浪人生活に突入。それはそれで悪くは無かったのですが、幸い医学部に入ってさらに気がついたことがありました。

何しろ入学してみると、自分より何年も浪人している物もいましたし、逆に若い方では数年若い。年を取っての数年は誤差範囲みたいなものですが、多感な20歳ごろのでは1年違うだけでも、ずいぶんとジェネレーション・ギャップというものがあるものです。

最初は、そういう年齢差のある同級生にどうやって付き合っていくのか心配になりました。ですから、同じ学年、つまり同じ数だけ浪人している同級生がいると安心していたりしたものです。

しかし、いつまでもそんなことをしているわけにはいかない。とにかく何かクラブに入ろうと考え、自分からできるだけ垣根を減らしてみようと思い立った。すると、年下の先輩というのに出会えたりするわけです。

彼らは、こういう関係にはすでに免疫ができていて、逆に変に気を使わない。これは助かりました。なるほど、これが大学での先輩・同輩・後輩での付き合い方というものだとわかったわけです。一度理解すると、あとはけっこう簡単。

1歳ごとに学年が変わるのは、高校生まで。高校を卒業してからは、どこに行くにしても、その社会に入った順番が決定権を持っているということです。まぁ、あまり難しく考えず、そして一度気持ちをリセットすることが、新しい社会に入ったときには大切ということですかね。

学生生活が終わって、社会人になったときも、卒業した大学を辞して他の大学にトラバーユしたときも、そして開業したときも、そういう気持ちで周囲の方々と接してきたつもりですが、今のところ特に間違っていないと思っています。