原題がフランス語の''Intouchables''で、アンタッチャブルですから、邦題とあわせて考えると、ドロンとギャバンが共演しているフランスのギャング映画のリメイクかなと思ってしまいます。
もちろん、まったく関係はなく内容はヒューマン・ドラマ。フランス本国では大ヒットして、各賞を総なめ。日本でもフランス映画としては、歴代一位の興行収入のヒット。
実在するエピソードを元にしており、四肢麻痺の金持ちのフィリップと、貧困層の黒人介護人ドリスの交流を描き、本来はアンタッチャッブル(触れ合う事がない)な二人がしだいに友人として互いに重要な存在になって行く様子を、比較的淡々と追いかけていくのです。
最初に細かい事ですが、主人公の一人、フィリップは四肢麻痺ですが、頭しか動かせないという設定。パラグライダーの墜落事故で、頚髄髄損傷によるものなんですが、生存できる頚髄損傷で最も重症な場合でも肩の辺りの動きは多少できるもの。
首から上の動きしかできないとなると、運よく生き残ったとしても普通は自発呼吸が不可能で人工呼吸器が必要。
多少疑問はかんじるものの、逆に喉元に気管切開のあとがちゃんとあるあたりは納得できるディテールだったりします。
いずれにしても、映画の設定のような障害があると、社会である程度の自由を獲得するためには、日本ではそうとうの金持ちでないと厳しい状況があるだろうことは間違いありません。
しかし、映画の大筋のストーリーとしては誰が見ても感動できるような作りになっています。
フィリップは哀れみや同情にうんざりしていて、人として自分を扱ってくれる人を求めていました。その結果、自分とは生きている世界が違うドリスを介護人として雇います。
友人は、彼はごろつきで思いやりなんてものはないと忠告しますが、フィリップは思いやりがないことが求めていた事だといいます。ドリスがどこで何をしてきたかは問題ではない、自分の障害のことを忘れて普通に接するところが重要だと考えているのです。
もちろん、四肢麻痺の患者さんがそれだけで問題なく生活できるわけはありませんが、そこはサポートする多くのスタッフがいてこその「わがまま」だと言えるでしょう。
ドリスは複雑な関係の大家族の中で、母との関係、兄弟との関係などでいろいろ問題を抱えている。
しかし、フィリップとの関係が深まっていく中で、人との付き合い方をしだいに学んでいきます。
介護のルチーンに最初は「俺だって妥協してるのだから、そっちも俺に妥協してくれ」と文句を言いますが、まさに自然とお互いの妥協が無理なく進んでいく事で、アンタッチャブルからタッチャブルと両者が変わっていくことになるのです。
全体の脚本は、比較的あっさりしていて、細かい説明はあまりない。画面の中から自然と想像してくれといわんばかりです。フィリップがドリスを自由にする・・・つまり解雇する事になる弟の事件についても、ほとんど何だかわからない。
このあたりは、いかにもフランス的で、物語のメインを鮮明にする事に集中して、サイドはさらっと流してしまうのです。日本人的には、もう少し親切なほうが理解しやすいかもしれません。
まぁ、確かに悪い映画ではなく、それなりに楽しめるし、また映画をきっかけに何かを考える事ができるもの。一度は見ておくべき作品として評価することに、手を上げることにためらいはありません。
★★★★☆