クラウディオ・アバドのルツェルン音楽祭での一連のビデオから始まった私的なマーラー・ブームですが、繰り返し映像を見ていると次第に音楽が頭に残るようになり、他の演奏者にも興味が湧いてきました。
当然、マーラーの総本山と認知されるレナード・バーンスタインを聴かずには次に進めそうもない。そして、その先の数ある録音・録画されたメディアは、便宜上、バーンスタイン以前と以後、以後の中はバーンスタイン系と非バーンスタイン系に分類できそうです。
いやいや、そんな乱暴な分類はダメだとお叱りを受けるかもしれませんが、どうも日本人は分類整理することが好きなので、自分もすぐにそういう聴き方をしてしまいます。実際にはそんなに簡単に整理できるわけではないんですが、マーラーの音楽の理解のための一つの方法としては、ある程度の意義はあると思います。
誤解を恐れず、あえて簡単に違いを説明すると、バーンスタイン以前は、マーラー自身の直接的な影響を色濃く残し、比較的速めのテンポでサクサクと演奏する感じ。バーンスタインが、それをまるで自分自身がマーラーの分身のように思いのたけを詰め込んだものにしました。
以後は、バーンスタインのように主観的演奏により聴く側の感情を揺さぶるタイプと、それとは対照的に客観的に冷静な演奏でマーラーの音楽の本質を伝えようとするタイプがあるということになりそうです。
バーンスタイン系、あるいは主観的演奏は、はまると「世紀の名演」となり、最大級の賛辞が与えられます。しかし、こけた時は悲惨で、「こんなマーラーは聴きたくない」という感じになってしまう。
非バーンスタイン系、あるいは客観的演奏は、一般には可も無し不可も無しと評価されることが多く、優等生的という褒めているのか褒めていないのかわからない言葉で語られます。アバドはその代表選手のような位置づけ。
それでも、アバドの場合は、全体の流れが途切れることなく、楽譜の指示を最大限に生かして音楽らしく聴かせることに成功している。ブーレーズはきちっと音符を拾い、音楽の骨格をしっかりと表現することで評価されています。
実際のコンサートでは、このあたりは指揮者の思う通りです。ところが、自分を含めて大多数の聴衆は録音・録画されたメディアを通して評価するしかありません。音楽が広まっていくのに、繰り返し鑑賞に耐えうるメディアを意識することは必要悪と言わざるをえない。
となると、メディアの制約が必然となってくるわけで、SPレコードの時代から、戦後にLPレコードとなり、さらに80年代末のCD登場という、録音可能時間の延長は無視できないファクターです。特にマーラーのように一つ一つが長い楽曲では、特に影響は顕著。
さらに映像が加わり、DVDやBDの登場により収録時間もマーラーの交響曲ですらすっぽり収まるようになると、表現者の自由の幅は無制限と言える状況になりました。しかし、音質面の向上も含めて、昔だったらしょうがないと済ませていた部分も厳しく評価されるようになったともいえます。
例によって、長い前置きですが、今回紹介したいのはマーラーを得意とする、いわゆる「マーラー振り」の指揮者を知るための絶好の本です。2016年に日本語版が発売されていますが、原著は2013年のもの。
マーラーの楽譜を、本人の制限から出版していたUniversal Edition社が発行したもので、基本的に同じ質問をマーラー演奏で有名な指揮者たちに投げかけたインタビュー集です。
マーラーの音楽との出会いとその時の印象。どのように演奏し、その時の問題点は何か。マーラーの音楽をどう思っているか・・・などなどの質問に対して、各指揮者の答えは様々で、この中に彼らも避けて通れないバーンスタインの存在に対する意見も多数出てきます。
この本のさらにユニークなところは、このインタビュー映像をHPで公開していること。もっとも日本語訳は付いていませんので、この本と合わせて眺めると、意見を述べる時の表情がわかって面白い。
当然、ここに漏れてしまった有名な指揮者もいるんですが、現在の、またはこれから注目すべき指揮者というのも見えてくる。アバド、メータ、ブーレーズらの次の世代として、すでに全集を完成させているリッカルド・シャイー、サイモン・ラトル。そして全集を目指しているさらに若い世代は、ダニエル・ハーディング、グスターボ・ドュダメル、アドリアス・ネルソンスあたりは注目すべき指揮者ということになりそうです。
今後登場するであろう新譜で、何を気にかけたいかということの指針を与えてくれるという意味でも、大変有意義なインタヴュー集です。