チェリビダッケは、戦後ボロボロのベルリンフィルを立て直す功績がありながら、ベルリンを追われたみたいな・・・そのせいか、ものすごく物事を斜めに見ているようなところがあって、口も悪いなんてもんじゃない。
何しろ、グスタフ・マーラーのことをやたらの物事をでかくする山師扱い。くずタフ・マーラーとでも言わんばかりの、悪口を叩いています。ブルックナーでは数々の名演を残していますが、はっきり言って、マーラーの音楽は理解の外だったようです。
でもって、マーラーを振ることなんてないと言い切っておきながら、唯一(たぶん)録音が残っているのがこれ。
もっとも、これはブリギッテ・ファスベンダーの見事な歌唱を聴くべきもの。ファスベンダーは、オッターより少し上の世代のメゾソプラノですが、シューベルトの三大歌曲集なども録音していて、リート歌いとしての実力はさすがのものがあります。
「亡き子をしのぶ歌」はテーマがテーマだけに、あまり派手な伴奏は似合わない。ここでは、抑制のきいた伴奏に徹していてファスベンダーの歌唱を邪魔しません。そういう意味では、チェリビダッケである必然性は希薄。カップリングのシュトラウスの「死の変容」と伴に、チェリビダッケが死をテーマにしたライブを行ったというところでしょう。
それにしても、この曲がマーラーの作曲だった知らないはずはないのに、なんで選んだんですかね。マーラーを得意とする指揮者はブルックナーにも手を出しますが、ブルックナーの名盤を遺す人(例えばギュンター・バント)は、不思議なことにマーラーには見向きもしないような気がします。
もっとも、これはブリギッテ・ファスベンダーの見事な歌唱を聴くべきもの。ファスベンダーは、オッターより少し上の世代のメゾソプラノですが、シューベルトの三大歌曲集なども録音していて、リート歌いとしての実力はさすがのものがあります。
「亡き子をしのぶ歌」はテーマがテーマだけに、あまり派手な伴奏は似合わない。ここでは、抑制のきいた伴奏に徹していてファスベンダーの歌唱を邪魔しません。そういう意味では、チェリビダッケである必然性は希薄。カップリングのシュトラウスの「死の変容」と伴に、チェリビダッケが死をテーマにしたライブを行ったというところでしょう。
それにしても、この曲がマーラーの作曲だった知らないはずはないのに、なんで選んだんですかね。マーラーを得意とする指揮者はブルックナーにも手を出しますが、ブルックナーの名盤を遺す人(例えばギュンター・バント)は、不思議なことにマーラーには見向きもしないような気がします。