2019年12月12日木曜日

交響的前奏曲


交響的前奏曲 (Symphonisches Präludium) は、グスタフ・マーラーの音楽を聴いていく上で厄介な存在。

何しろ、曲数だけで言えば、今日遺されたマーラー作曲の音楽は大変少ない。少しでも他にマーラーの音楽が無いかという思いは当然のことで、そういうところから第1楽章しかなかった交響曲第10番を、他人が補筆完成させてしまうようなことになっています。

わずか7~8分の交響的前奏曲が何故厄介なのかというと、ブルックナーが作曲した物として楽譜が発見されたものの、ブルックナーの作風から外れていて、むしろマーラーの若かりし頃の習作じゃないかと言われているということ。

細かいところを見ていくと、この作品の手書き譜面は、1946年にチュピックという作曲家が、叔父であるブルックナーの門下生であったクルツィザノフスキーの遺品から発見したもの。ブルックナーが練習用に書いたスコアを、クルツィザノフスキーが補作し完成させたものと推定されました。

ところが、紆余曲折あって楽譜が出版された際には、マーラーもブルックナー門下生でありクルツィザノフスキーとの関係性から、むしろマーラーの習作と考えた者によってマーラー風の味付けがされたため、真の作曲者の最有力候補がマーラーという流れになってしまいました。

ですから、現在聴くことができる演奏は、元々発見されたものよりも、意図的にマーラー風オーケストレーションが施されているため、いかにもというものになっています。いろいろ考えずに聴けば、確かに「巨人」とかにつながる雰囲気がないわけではありません。

それなりにまとまっているマーラー風の音楽として聴くに耐えうる音楽であることは否定しないのですが、マーラーの真正曲を楽しむ上で必要な存在かと言えば・・・まぁ、無くても困らなさそうですけどね。