2014年11月3日月曜日

20世紀までのリウマチ学の歴史

関節リウマチに関する医学の歴史は、人類の壮大な歴史に比べればたかが知れている程度ですが、数ある病気の中では、この半世紀あまりの濃厚な変遷は特筆すべきものかもしれません。

とは言え、病気そのものは古くから存在していたと考えられています。紀元前の記述の中には、いくつかリウマチのことを示していると指摘されていますし、実際発掘された原人の遺骨などにもそれらしい変化を認めることが知られています。

有名なところでは、画家のルノワールはリウマチであったことは確実です。ルーベンスも自画像などから罹病していたことが想像されます。発明家のノーベル、推理作家のアガサ・クリスティ、歌手のエディオット・ピアフも、リウマチだったのではないかと云われています。
日本では、古くは万葉集の山上憶良の記述に、リウマチと考えられる状態を想像できるところがあります。女優の叶和貴子さんも、リウマチであることを公表しています。

医学の父とされるヒポクラテスは、関節に頭から悪い体液が流れついて関節の痛みを出すと考えました。今でいう変形性関節症(加齢変化による関節変 形)、痛風(高尿酸血症による関節炎発作)なども含まれている概念ですが、このギリシャ語の「流れ(ロイマ、リューマ)」が、リウマチの語源となりました。

その後、関節の痛み起こすものをすべて一括りにした時代が、2千年以上続きます。19世紀初めにHeberdenは、「リウマチは多くのうずきに対する共通語」と述べています。

現在使われているRheumatoid arthritisという病名が最初に登場するのは1858年のこと。これは本来、正確に邦訳すると「リウマチ性関節炎」になります。


まず、最初に動きが見えたのは治療学からです。1897年、アスピリンが鎮痛薬として登場し、人類は初めて痛みを減らす手段を薬として手に入れました。もっとも、ヒポクラテス以前からヤナギの木の皮が痛みを抑えることが知られていて、これがアスピリンの源流です。

また、金製剤が効果を出すことも知られるようになり、治療に使われるようになるのは20世紀初めのこと。これは、今でも注射製剤、内服薬として使われています。

20世紀なかばになると、全身の結合組織を中心として起こる各種の病気が記述されるようになり、1942年クレンペラー博士により「膠原病」という概念が提唱されました。

そして1948年、副腎皮質ホルモン(ステロイド)を精製する技術が登場し、アメリカのヘンチ博士によりリウマチ患者への投与が行われました。これは「奇跡の薬」として、瞬く間に世界中に広がり、数年後の1950年にはノーベル賞を受賞することになります。

しかし、これがステロイド の功罪の始まりで、多くの副作用に苦しむ部分も認めざるをえません。フランスの画家ラウル・デュフィーは、すぐにアメリカにわたりヘンチ博士によるステロイド治療を受け、当初その劇的な鎮痛効果を享受しましたが、数年後に副作用が原因で亡くなっています。

20世紀なかば以降、体が自己を守るために起こる免疫機能の一部が、自分を攻撃することがわかりはじめ、自己免疫性疾患という考え方が登場してきます。リウマチおよび膠原病でも、次々と自己抗体(自分を攻撃する免疫物質)が発見され、やっと現在に至るリウマチの本質的な概念が確立したと言えます。

1970年代には、次々と疾患修飾性抗リウマチ薬 (DMARDs) と呼ばれる専用薬が登場し、痛みを抑えるだけの対症治療から、原因治療に向けてリウマチ治療が変わっていきます。しかし、残念ながら少しずつ変形が加わって、生活に支障をきたす患者さんは後を絶ちませんでした。


1980年代になり、抗がん剤として使われていたメトトレキサート(MTX)が関節リウマチの治療薬として登場し、異常な免疫反応を調節することで関節リウマチの治療は大きく効果をあげることができるようになりました。ただし、日本で承認されるは、欧米より10年遅れて1999年のこと。

また、20世紀末になると、分子標的医療という考え方が生まれました。自己免疫を起こしている分子レベルを対象にした治療の考え方で、その中から生物学的製剤が登場してきたことは、このブログでも何度でもかいてきたこと。

21世紀になって、分子標的医療が実践され、リウマチの進行を抑制することにはかなりの結果をだしていますが、現実にリウマチの根本的な原因がまだ解明されているとはいえません。

遺伝子レベルにその源があることは解明されつつありますが、次の10~20年の中で、おそらく治療学として確立してくるのではないかと想像しています。その時が、リウマチを完全に制覇したことになるのではないでしょうか。