2019年11月2日土曜日

In memoriam Claudio Abbado, Lucerne Festival 2014

ベルリンフィルならばカラヤン、ウィーンフィルならばベーム。

長きにわたって、名門オーケストラを支配した音楽監督も、初めはおそらく先代の演奏法が染みついた団員たちをコントロールすることに苦労したのかもしれません。

クラウディオ・アバドは、しばしば生前に「オケに好きにさせている」という批評に代表されるような、ネガティブな評価を受けることが少なくありませんでした。

名門ばかりとの関係がおおかった、ある意味「エリート」だったアバドは、絶えずオーケストラに染みついた伝統との戦いを強いられる立場にいたのだろうと思います。

しかし、その中でも指揮者としての厳しさは十二分に自覚していて、過去にどのように演奏してきたかということより「楽譜にどう書かれているか」が重要であり、それを実現するためにはオケの団員との衝突も厭わない姿勢を崩さなかったようです。

多くの優秀な若者を集めて後進の育成という点に関しては、他のどの指揮者よりも多大な時間を割いてきたアバドは、(良くも悪くも)癖が無い若者との共演はたくさんの刺激がもらえて楽しかったようです。

その成果は、ヨーロッパ管弦楽団、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団、マーラー室内管弦楽団などであり、さらにアバドを慕う世界中の名手が加わって集大成されたルツェルン祝祭管弦楽団に結実しました。

アバドのルツェルン音楽祭のビデオをたくさん見ていて、指揮者のオーケストラ演奏での役割とは何だろうと考えました。

間違いなく、開始の合図と初期テンポの設定は指揮者の重要な仕事ですが、音楽が始まってしまうと優秀な楽器奏者たちはいくらでも自分の知っている世界で個々に演奏を完結する力があります。

カラヤンはしばしば最初から最後まで目を閉じて指揮をしていて、オーケストラからのフィードバックは拒絶していました。カラヤンのオーケストラに対するスタンスは、自分の指揮棒の通りに音を出す楽器であればよかったのかもしれません。

バーンスタインは見ていて楽しいくらい動き、時にはのりのりで踊っている。共演が多かったウィーンフィルは、巨匠然としたベームとの違いの大きさに唖然としていたかもしれません。実際、ビデオを見ていると、そんなバーンスタインをウィーンフィルのメンバーはほとんど見ちゃいない。

ところが、ルツェルンのアバドの場合は、メンバーが指揮台の上のアバドを見つめる視線の熱さがまったく他の指揮者の場合とは違う。アバドに対する信頼、尊敬、敬愛などなどの感情が溢れています。

アバドは譜面を半端ないくらい読み込んでいて、長大なマーラーの作品でも暗譜しているので楽譜をおいて演奏することがありません。本番ではオーケストラを信頼して、「好きにさせている」のであって、すでにその時点でアバド色が出来上がっているのです。

原典を尊重し、作曲家がどのような音楽を聴かせたかったを重視するアバドの音楽は、時には「個性が無い」と言われるかもしれませんが、オーケストラと一体になって曲の本質をしっかりと表現することにかけては誰よりも「巨匠」と呼ぶにふさわしい。

2014年1月20日、アバド永眠。4月にルツェルンでは、アバド追悼の音楽会が行われました。スター演奏家が多いルツェルン祝祭管弦楽団の名手たち全員とはいきませんが、たくさんのお馴染みのメンバーが急遽参集しています。

実は驚いたのは、追悼のためにオーケストラが演奏したシューベルトの「未完成」第1楽章です。メンバーが揃い、音合わせが終わって、さぁ指揮者登場・・・ですが、当然アバドはもういません。

なんと、コンサートマスターの合図のもと、指揮者無しで演奏が始まりました。室内楽のような、指揮者がいないオーケストラの演奏は初めて見ました。メンバーからすれば、そこにはアバドが立っていたのかもしれません。

最後はネルソンスの指揮でマーラーの3番終楽章。長い長い弦を中心とした、普通に聴いても感動するのですが、多くのメンバーは泣きながらの演奏。本当にアバドは慕われていたことが、いやというほどわかります。

全ての演奏が終了して客席から巻き起こった長い拍手は、ゲストであるバイオリンのイザベル・ファウスト、指揮者アンドリス・ネルソンスではなく、間違いなくクラウディオ・アバドを対するものでした。