2019年11月10日日曜日

Claudio Abbado WPO / Mahler Symphony #2 (1965)

クラシック音楽というと、17~18世紀が中心のような感じがして、数百年前の文化遺産みたいなところがあります。グスタフマーラーは1860年の生まれで、亡くなったのが1911年のことで、活躍していたのは100年ちょっと前。

レナード・バーンスタインは1918年の生まれで、マーラーはすでにいません。マーラーの弟子だったブルーノ・ワルターはマーラーより16才若く、マーラーが亡くなった時は30代なかば。

バーンスタインがワルターの代役でニューヨーク・デヴューしてセンセーションを巻き起こしたのが1943年の事。ワルター67才、バーンスタイン25才。

おそらく、この頃からワルターは、直接見聞きしたマーラーの事をバーンスタインに語ったんでしょうね。

これって、今の感覚で言うと、平成生まれの若者に昭和末期に亡くなった偉人の話をするようなもので、石原裕次郎はかっこよかったよとか、美空ひばりは素敵だったみたいな感じ。つまり、話をする側からすればまだ生々しい記憶があって、そんなに古い話をしているつもりはない。

クラウディオ・アバドは1933年生まれで、1963年にミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝したことでバーンスタインの副指揮者になります。バーンスタイン45才、アバド30才。

今度は、1964年の東京オリンピックや1970年の日本万国博覧会の後に生まれた、まだその影響が色濃く残っている40代後半が平成生まれの若者に伝えるような感じでしょうか。

つまり、何を言いたいかというと、バーンスタインは60年代、アバドは70年代にマーラーとの関わりを深めていくわけですが、それぞれそんなに古臭い音楽をやっている感覚ではないということ。

武満徹が亡くなったのは1996年で、そんなに古い話じゃありません。彼らがマーラーを取り上げるのは、武満徹の「モダン」なクラシックを今の若い指揮者が演奏するようなものかもしれません。

例によって、前置きが長いのですが、アバドの実質的なデヴューとなったのは、1965年のザルツブルク音楽祭。カラヤンが期待の新星として招待をしたわけで、当初はケルビーニのレクイエムをリクエストされたのを、アバドが自らマーラーの2番を振りたいと申し出たそうです。

アバドはバーンスタインの助手をしていたので、すでにこの曲との関わりはあったわけですが、当時はカラヤンはマーラーはまったく振ったことがありません。たぶん、知らないからOKしたのかもしれませんが、知っていたらこの若者のある意味無謀ともいえる申し出は却下したかもしれません。演奏するウィーンフィルにとっても、マーラーはしばらく遠ざかっていたタイトル。逆に、知らないので若僧の「あーしろこーしろ」に従いやすかったのかも。

結果は大喝采だったわけですが、幸いにもこの時の録音が残っていて、正規盤ではありませんがCDがAmazonでも売られていて簡単に手に入ります。モノラルで、音質も良いとは言えませんが、聴きにくいというほどではありません。

1963年録音のバーンスタイン=NYPの2番と比べて、バーンスタインの真似ではない演奏で、すでに後年の演奏に通じるアバドらしさを感じられる内容だと思います。逆にそこが、アバドらしいということ。年を取ると演奏時間がどんどん長くなる巨匠が多い中で、アバドは最初からしっかりと歌わせていたという見方もできると思います。