はっきり言って、レナード・バーンスタインは好きです。ぶっちゃけ、カラヤンは嫌いです。好みの問題ですからほっといてください。
何しろ、小学生の時に最初に認識した指揮者がバーンスタインとベームだったので、自分のクラシック音楽趣味はそこから始まっている。
マーラーを聴きこんでいくと、バーンスタインは避けては通れない。バーンスタイン以前にも以後にもたくさんの有名なマーラー振りはいるんですが、やはり現在のマーラー人気の土台を作ったのはバーンスタインの功績であることは異論はないところ。
ただ、その後オーケストラ物を聴かなくなった時にも、クラウディオ・アバドだけは時々聞いていましたし、何枚かのCDは所有していました。そして、ルツェルンのマーラー・チクルスのビデオで開眼しちゃった関係で、自分にとってのマーラーはアバドがスタンダードになった感があります。
そういう状況でバーンスタインのマーラーを聴いてみると・・・やはり、世評通り自らがマーラーとなって思いのたけを詰め込んだ超主観的な音楽であると言えるし、それが高い評価につながっていることはよくわかる。
その点、アバドのマーラーは素直すぎるというのも理解できるのですが、じゃあ自分にとってはというと、バーンスタインの「やりたい放題」みたいなところは癖が強すぎる。とは言っても、バーンスタインのマーラーが嫌いということではありません。
バーンスタインの最初の全集はニューヨーク・フィルの時代。1960年の第4番から始まって、61年に第3番、63年に第2番と第5番、65年に第7番、66年にロンドン交響楽団との第8番をはさんで、ニューヨークに戻って第1番と第9番、67年に第6番、そして75年に第10番という順で収録されました。イスラエル・フィルとの73年の「大地の歌」と74年の「亡き子を偲ぶ歌」が一連のシリーズに含まれます。
この時期、67~68年にルードヴィヒとベーリーの歌唱で自らのピアノ伴奏版とニューヨークフィルのオーケストラ版の「少年の魔法の角笛」、68年にまたもや自らのピアノ伴奏でフィッシャーディスカウによる「さすらう若人の歌」・「若き日の歌」・「リュッケルト歌集」が収録されています。
ただし「大地の歌」は66年のウィーンフィル盤が先ですが、これは後年のDG全集に含まれました。またロンドン交響楽団とは73年に第2番、「リュッケルト歌曲集」、「亡き子を偲ぶ歌」が再録音されています。イスラエルフィルとの「大地の歌」、ロンドンの第2番・番歌曲集はビデオ全集で映像を見れます。
これらのCBS盤は、後年のDG盤に比べて良くも悪くもバーンスタインの若さが前面に出た演奏といわれており、評価はやや低めのようです。でも、後年の思い入れたっぷりの演奏と比べて聴きやすい印象があり、自分としては嫌いではない。
思い入れたっぷりに演奏者の個性を出すことは重要で、楽譜に縛られたクラシック音楽では必要なことだとは思いますが、一方演奏が重くなっていく傾向も否定できません。若き日のバーンスタインは、まだ「枠」を取り払え切れていないのでしょうが、その分バランスが取れた演奏なのかなと思いました。
それにしても、マーラーにはまって2カ月で、ずいぶんと印象が変わってきたものです。自分の変化に驚きます。