2021年1月27日水曜日

M★A★S★H マッシュ (1970)

アメリカン・ニュー・シネマは、シリアスな悲劇的なものばかりを取り上げていたわけではありません。コメディ・・・それも、目一杯ブラックな笑いを詰め込んだ作品がこれ。

1950年に始まった朝鮮半島を南北に分けて同じ民族が戦う事態に、ここでも共産圏の侵攻を阻止しようとアメリカが参戦します。1953年に休戦しましたが終戦ではないため、実は形式的には今でも北朝鮮とアメリカは交戦状態が続いているというのが、いまだに問題になっている。

それはともかく、この戦争で前線に近い場所に仮設されていた野戦病院が、マッシュと呼ばれる陸軍移動外科病院(MASH, Mobile Army Surgical Hospital)です。ここを舞台に、ロバート・アルトマン監督が、戦争に関わる人々を皮肉たっぷりに描いた映画です。

特に何も考えずに見ると、メインとなる明確なストーリーが無いため、くだらない笑いの連続のドタバタ・コメディになってしまうかもしれません。

ホークアイ(ドナルド・サザーランド)とデューク(トム・スケリット)の二人の外科医が赴任してくるところから始まり、さらに昔なじみのトラッパー(エリオット・グールド)も加わります。彼らは軍の階級としては大尉。かれらは手術室を離れると、下品で節操という物がなく、それでも大半の仲間と打ち解けていきます。

元からいたいまいちな外科医、バーンズ少佐(ロバート・デュヴァル)は聖書バカで、そんな彼らを疎んじている。そこに新看護婦長(今は師長と呼びますが)として、ちょっと美人ですが軍紀を重んじる堅物のホット・リップス(サリー・ケラーマン)が赴任。

バーンズとホット・リップスは、MASHの風紀の乱れを上に直訴したりするうちに深い仲になっちゃう。いちゃいちゃしているところを隠しマイクでMASH中に放送され、バーンズは精神的に不安定になって更迭。ホット・リップスは、シャワー中にテントが取り払われて皆の見世物になってしまう。

歯科医が自分がゲイであることに気がつき、男としての自信を無くして自殺すると言い出し、皆で最後の晩餐を行うことになる場面は、まさにダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のパロディ。冒頭のタイトルバックとこの場面で流れるのはMASHのテーマで、「自殺は痛くない」と歌い上げます。ちなみにこのメロディにほれ込んだのが、ジャズ・ピアノのビル・エバンスで、何度も取り上げた重要なレパートリーになっています。

ホークアイととラッパーは日本に出張して、ここでもハチャメチャぶりを発揮します。視察に来た准将が率いるフットボール・チームと対決することになって、貧弱なMASHチームは、相手の中心選手に鎮静剤を注射したりして何とか勝利します。そして、ホークアイとデュークに帰国命令が届き映画も終了。

医者の立場からみると、手術室では劣悪な条件下でも医師としてはまともな仕事をしている(ように見える)ところは嬉しい。だからこそ、ふだんのバカげた行いとの対比が際立つというものです。

セリフはほとんどがアドリブで、脚本を書いたリング・ラードナーは仕事を台無しにされたと激怒しましたが、皮肉にもアカデミー賞で脚本賞のみを獲得しています。監督は離れた場所からズームでの撮影を多用して、俳優が自由に演技をできるようにしています。

逆に俳優からすれば、今誰が撮られているのかよくわからず、あちこちで勝手に演技をして会話も被りまくるという不思議な状況。一時は、こういうやり方に対して監督との対立もあったらしい。

しかし、この出演者の出たとこ勝負のようなリアルなライブ感が、普通に作ったらめりはりのない平坦なストーリーに起伏をもたせる推進力になっています。そしてとにかく最初から最後まで、徹底的に戦争を笑い飛ばし皮肉ることで、当時の多くのアメリカ人の留飲を下げたことは間違いありません。

もっとも、10年以上前の朝鮮を舞台にしたからできたわけで、現在進行形だったベトナム戦争を映画が直接扱えるようになったのは1973年のアメリカの完全撤退後からです。