このブログのアクセス解析で見てみると、巷で使用されているパソコンの現状が見えてくるようです。使用されているOSはWindows XPが86.9%、Windows Vistaがわずかに5.5%、以下Windows 2000、Linux、Windows Sever 2003、Windows Me、Mac、Windows 98が数%ずつとなっています。
鳴り物入りで登場したWindows Vistaは、まったく伸びていないことに驚かせられます。もちろん、あくまでも一般家庭でのシェアの話ではあります。確かに、自分も現状でクリニックと家庭で使用しているPCはWindows XPが10台、Windows 2000が3台で、Vistaはまったく使用していません。もっともクリニックの分は電子カルテの関係もあり、勝手にversion upできないわけですが、個人的なものも、あえて変える気にはなりません。理由? だってお金がかかる。下手するとハードも変えないといけない。機能面で変わりが無い。使いたいソフトが無い、等など。これはβ版やトライアルなども使用しての結論で、Vistaを使用したことがないわけではありません。
1979年にNECが家庭でも使用できるPC-8001を発売して、一般的になってきたパソコンですが、はじめはマニアが多く、急速なハードの進化やOSの進化を歓迎し、もっともっと早くて便利なものが要求されていました。MicrosoftのOS(Operating Soft)もMS-DOS ver.6まで毎年のようにかわり、この上で動くgraphical interface softwareとしてWindowsもクレードアップされたのです。
そしてWindows95が発売されてついにMS-DOS ver.7を取り込む形となり、現在の方向性が決定付けられました。これは、マニアだけのパソコンから誰でも使えるパソコンへの分岐点といえます。さらにWindows 2000からマニア専用であった、WindowsそのものがOSという状態が、一般向けに広げられ、WindowsXPで完成したということが言えます。
パソコンに詳しくない人は、当然要求度は低くなります。また、こんなこともパソコンでやりたいというリクエストは、どんどん実現するに従って減っていくのは当たり前です。しだいに現実と夢のギャップがなくなっていきました。さらなる夢をみるだけのイマジネーションが無くなっているのかもしれません。ある意味ではMicrosoftの基本戦略が、自らの首を絞めたのかもしれません。
インターネットの普及も、一部の研究機関専用から、Windows 95で一般でも使用されるようになりいっきにひろがりました。それまでの一対一のパソコン通信と違い、自由度の高さからその利便性は明らかで、ネット社会があっというまに構築されたのです。そうすると、ネットの制約から世界的なグローバリゼーションが求められ、どのパソコンでも同じことができないと消費者は購入しませんから、OSの勝手な進化がしずらくなったのではないでしょうか。
Vistaは「眺望」という意味。まさに見た目の改善にとどまり、今後の展開へのbridging softwareであると考えるとMicrosoftに怒られるでしょうか。Star Trekでエンタープライズのデッキで使用されているようなインターフェースが未来のパソコンの姿なのでしょうか(現実にはほとんど実現していますが、まったく普及する気配はありません)。でも、それはあくまでも30年前に想像した未来であって、今考えられる未来とは違います。2001年に宇宙の旅は実現しませんでした。鉄腕アトムも登場していません。パソコンに限らず、もう一度、人間は大きな夢を見ることが必要な時期になってきたのではないかと思います。夢は進歩していくための原動力ですから。