2007年10月6日土曜日

患者さんが亡くなるということ

整形外科は骨・関節・筋肉・末梢神経などの運動器を扱います。比較的患者さんが亡くなることが無い科で、自分もそれが志望理由の一つだったことは否定できません。だからこそ、患者さんが亡くなると強烈に印象に残ります。

医師免許をもらって、まだ半年くらいの頃にガンの骨転移のために骨折して入院している方がいました。状態が悪化してきたため個室に移された時に、天井の模様を見て「この部屋の天井には笑顔がない」と弱々しく言ったのが忘れられません。

3年目の時に、3才のこどもが事故で左上腕からほぼ切断状態で運ばれてきました。あまりに挫滅がひどく、再接着はほとんど無理な状態でしたが、お母さんの「腕を切らないで」という希望で、即座に切断することはしませんでした。しかし、予想通り腕はすぐに壊死になり、切断しないと感染が全身にまわって危険だと説明しましたが、なかなか納得がえられませんでした。そして、夜中に心停止。全身の感染を引き起こしショックになったのです。夜が明けるまで数時間心臓マッサージをしました。強い意思で説得して、早くに切断していれば死なせずにすんだという強い後悔が残りました。

若い女の子で、神経から発生した悪性腫瘍の患者さんがいました。お姉さんがたびたび見舞いに来ていたのですが、状態が悪くなってからはほとんど付きっ切りになり、かなり疲れている様子でした。「少しは家に帰って、ゆっくり風呂に入って休んだ方がいいよ」と話すと、「今夜は大丈夫ですか」と聞かれ、「大丈夫。お姉さんが帰ってくるまでは、ちゃんと見ているから」と答え、お姉さんを帰宅させました。そういう時に、状態が急変するなんて、なんで待っていてくれないの。なんとかお姉さんが戻るまで、もたすことができましたが、後で病理解剖をして肺のなかのほとんどを占めている腫瘍を見たときは、どれほど本人はつらかったのか想像して本当につらい気持ちになりました。

骨肉腫の男の子は中学生で、サッカー選手になる夢を楽しそうに語っていました。つらい抗がん剤による化学療法に耐えてもらうために、病気の詳しい話を本人にしました。涙がこぼれていました。でも、必死に抗がん剤の副作用にたえてくれました。何度も嘔吐し、髪の毛が抜けてしまっても、薬が効かなくて早めに足を切断しても、「サッカーはできなくなったから、リハビリの先生になって自分と同じような人をたすける」という新しい夢を持ちました。しかし、肺に転移がみつかり手術。再び手術。そして、次の夢を語ることなく旅立っていきました。

開業してからは、もちろん直接患者さんが亡くなるということはありませんが、以前に自分でもガンであることをご存知の方が、そこからくる痛みを何とかして欲しいと通院されていました。近くの自費診療の先端医療のクリニックに通院されていて、その治療についてはなんとも言えませんが、ご本人は大変に期待されていたようです。でも、はたから見てもどんどん悪化している様子で、あまりに苦しそうだったので胸のレントゲンをとりました。空気が入れる場所はわずかで、これではどうにもならないと思いました。そのあと数回はいらしたのですが、ぷっつりと来院しなくなりました。何か少しでも役に立てたのだろうか、と自問自答しますが、まだ答えはみつかりません。

リウマチで通院していた方で、下痢がとまらないとよくぼやいていました。抗リウマチ薬の副作用とも考えにくく、リウマチの合併症ではないかと考えていました。しかし、あまりに食事が取れなくなりやせだして、さすがに消化器の先生にみてもらったところおなかのガンが見つかりました。しばらくして、ご家族から亡くなった事を知らせていただきました。入院する直前に「こっちに引っ越してきてからいいことが全然ないんだけど、よかったのは先生と知り合えたことくらいだわ」といわれたことが思い出されました。見つからない答えの一部かもしれません。

医者の俗語で「ステル」という言葉があります。ドイツ語の「ステルベン(死)」からきていますが、「昨日患者さんがステった」というような使い方をします。でも、そこには「捨てる」に通じる響きがあり、自分は好きではありません。どうか、若い先生方にお願いです。たくさんの見習って欲しいことが先輩方にあるとは思いますが、この言葉だけは真似しないでください。ひとりひとりの患者さんが、今の自分を作ってくれた大切な患者さんなのです。