時の流れを感じる光景というのは、しばしば目にするものです。
ここには、かつて東京電力病院がありました。信濃町駅前の慶應義塾大学病院とほとんど隣り合わせの位置にあり、こんなに近くてどうするんだろうという場所。
もちろん、自分はこの病院と直接の関わりは無いのですが、もう20年くらい前でしたか、整形外科の主要疾患である椎間板ヘルニアの治療の一つがここから始まったという重要なポイントがあります。
ヘルニアの手術は、ラブ法と呼ばれる、皮膚を切開して背骨の一部を取り除いて、飛び出た椎間板を直接取り除くという方法が一般的でした。
膝の関節鏡が一般化すると、膝以外でもどんどん関節鏡が試みられ、あわよくば鏡視下に手術を終わらせようとするものがどんどん広がりました。
その中で、もともと空間ではない椎間板に関節鏡を入れてみるというのは、普通じゃ思いつかないことでした。当時の整形外科部長だった土方先生は、それをやっちゃった。
膝用よりも長いものを用意して、最初に細い針を背骨のちょっと横から椎間板に向かって刺します。それをガイドにして、少しずつ太い筒を何度か被せることで、ついには太い関節鏡を椎間に入れてしまう。
同じように背骨の反対側から筒を入れて、ここからはパンチを挿入して、中の傷んだ椎間板をつまみ出します。
この方法は、出っ張ったヘルニアは直接いじりません。その大元を取り除くことで、ヘルニア内の圧を減らして、神経に対する圧迫を軽減しようという理屈。
確かに神経の症状は改善されましたが、椎間板を取りすぎると結局腰痛は残ったり、場合によっては上下の背骨の不安定性につながることもある。症例を的確に選んで、取りすぎないことが重要とされました。
その後、この技術はどんどん拡大し、世界中で行われるようになりました。レーザーで焼却したり、回転する刃先で削り取ったり、さまざまな道具が開発されました。
その一方で、短期間の入院で、比較的簡単に済むという利点は、その反面営業面だけを考えた手あたり次第やってしまう病院を多く作り出したという欠点につながりました。
良くも悪しくも、そういう意味で自分の中では印象に残っている病院なんですが、大震災による福島原子力発電所の事故をうけて、この病院は売却されて取り壊されたというわけです。
もともと東電職員のための病院で、基本的には一般の患者さんはほとんどいなかったようですから、不採算部門の一つであったことは間違いない。当然と言えば当然のことですが、現在は解体は終了して、今後はオフィースビルになるらしい。
まぁ、一つの時代が終わったことをちょっとだけ感じる光景です。