整形外科の領域で、関節鏡という技術は1950年代に日本で始まり、今では世界中で当たり前の手技として広まりました。体の中をのぞきたいという医者の願望は、当然と言えば当然のことで、関節鏡の技術は、すぐさまほかの場所にも応用されていくことになりました。
医者の欲求は、見るだけでは満足できなくなり、そのまま悪い場所に対して処置もしたくなるというもので、鏡視下手術を行うようになるのも必然と言えます。
最初の頃は、長い筒の前後にレンズがついていて、体の中に挿入する側に電球がついていたそうです。中をみているうちに、電球がはずれて落ちてしまい、それを何とか取り出したのが最初の鏡視下手術だったなどという、笑うに笑えない話が残っていたりします。
自分が医者になったころ・・・もう30年も前のことですが、膝の半月板損傷の手術は、膝の前側を20センチくらい開いて、膝の中がそっくり見えるくらいの状態で傷んだ場所を切除するのが当たり前でした。
関節鏡はありましたが、最初に中を見て場所を確認するくらいの目的で行っていたもので、積極的に鏡視下切除はしていませんでした。教授が、特別な理由・・・例えば女の子で手術の傷を小さくしたいとか、優秀なスポーツ選手で早く復帰したいなどの場合に、鏡視下手術で半月板を切除することがたまにあったくらい。
しかし、それから数年くらいの間に可能な限り鏡視下に終わらせるということが当たり前になりました。 これは、若い助教授が就任してきたからで、この先生はとにかくアイディアマンで、いろいろと工夫してとにかく関節鏡の技術の向上に熱心だったんですね。
そうなると、こっちも横で見ているだけではつまらない。当時はテレビ画面に映して、その場の全員が状況を見ることなどできず、関節鏡を直接のぞくしかありませんでした。ときどき、「見ていいよ」と言われて、のぞいた世界というのは本当に不思議な感じがしたものです。
研修医が終わって、3年目から主治医を任されるようになると、外来や当直で膝の中に血液がたまっている患者さんが来ると、関節鏡のチャンスです。喜々として(と言うのも、申し訳ない話ですが)入院の予約をして、ベッド係の先生と助教授に話をつけて、自ら関節鏡にトライするようになりました。
ある意味「練習」ですが、医者としての技術習得には必須のことであり、教育も大学病院の責務ということでは正当なことだとは思います。おかけで、数年のうちにずいぶんと関節鏡を使った処置をすることができました。
90年代に入った頃に、関節鏡の形態自体も進化していて、より細くなりテレビに映して見るのも当たり前になっていました。そうなると膝以外、つまりもっと小さい関節ものぞいてみることが当たり前になってきた。
国際学会で、手関節鏡の話を見聞きしたときは、驚くと同時に是非使ってみたいと思いました。手関節鏡を行っているところに、1か月でもいいから勉強に行かせてほしいと上司に相談したところ、やりたかったら自分で工夫しろという。
しかたがないので、手術室の倉庫をいろいろ探して使えそうな道具を探し出し、手関節鏡をするための患者さんの体勢を作ることはできました。しかし、肝心の関節鏡は手関節に適した極細のものは当然ありませんし、おいそれと買ってもらうわけにもいかない。
膝用よりは少しは細い足関節用のものはあったので、これを流用することにして始めましたが、やはり手関節に使うにはちょっと太い。あまり自由はきかないので、見るのが精一杯。
8年目で一人医長で、一般病院に出向になって、ここで膝の関節鏡はもとより極細の手関節用の関節鏡も用意ができました。いろいろなことをやりましたが、それまでの研修があったからこその話だと思っています。
「練習台」になった患者さんには申し訳ないのですが、医学というより医師個人の進歩のためには必要悪みたいなところがあって、いきなり超絶技巧の医師が出現するようなことはありません。
最近のいろいろな医療ミスのニュースを聞くと、それぞれの医師を弁護するわけではありませんが、いつでも100%の成果のみを求められると、医師の技術習得の場が減ってしまい、ますますミスを犯す医師が増えてしまいそうで心配になってきます。