何しろ足利義光の時代・・・って、室町時代ですから、うんと古い。
もともとは第3代将軍の義光くんが、住居として建てたもので北山山荘と呼ばれていたそうな。たいそう立派な邸宅で、仏の骨を安置するための建物、舎利殿として敷地内に作られたのがこの金ぴかの建物。
義光が亡くなった後に、遺言により禅寺、鹿苑寺として成立したとのこと。金閣寺という呼称は、あくまでもこの舎利殿の金ぴかからくる愛称みたいなもの。
昭和25年に放火による焼失という、衝撃の事件が起こるわけですが、昭和30年に再建され今の姿となりました。
一般人が近づける場所は決まっていますから、誰がどう写真を撮っても、このアングルになってしまいます。確かに、 どうやっても絵葉書になる絶好のポイントなんですけどね。