「万引き家族」は是枝監督の昨年の最新作で、昨年の第71回カンヌ国際映画祭の最高賞、パルム・ドールを獲得したことは記憶に新しい。
主要な登場人物は、東京の下町、マンションの狭間の古びた一軒家に住む「家族」である6人。
柴田治(リリー・フランキー)は、日雇い労働者。
柴田信代(安藤サクラ)は、治の妻で、クリーニング店工場のパート従業員。
柴田亜紀(松岡茉優)は、信代の妹で、女子高生見学店で「さやか」という源氏名で働く。柴田祥太(城桧吏)は、治の息子。学校には行かず治と組んで万引きをしている。
ゆり(佐々木みゆ)は、治が連れ帰ってきて柴田家に居ついた女の子。
柴田初枝(樹木希林)は、治の母で年金受給者。
治は生活のため祥太と一緒に万引きを繰り返していましたが、祥太も店にあるものは「まだ誰かの所有物ではない」という理屈を説明され納得していました。冬の寒い夜、万引き帰りの治は、マンションの廊下に一人でいるゆりを見つけ、連れて帰ります。
ゆりの体にあきらかに虐待を受けている傷を見つけた柴田家の人々は、末っ子の妹として受け入れ、ゆりもまたしだいに心を開いて馴染んでいくのでした。しかし、ゆりの親は、数カ月たってもこどもがいなくなったことを警察に届けていないことがニュースになってしまいました。
そこで、「ゆり」から「りん」に呼び名を変え、そのまま一緒の生活を続けます。それは「身代金とか要求しているわけじゃないら誘拐じゃない」という理屈に基づいて納得できることでした。
そして、夏。6人の家族は揃って海にでかけます。皆が楽しそうに遊ぶ様子を見ていた初枝は幸せそうで、「ありがとう(映画では台詞は聞こえない)」とつぶやくのです。しかし、家族としての楽しい生活は、そこがピークでした。
ある朝、初枝が息を引き取っていました。治には葬式を出すお金はありませんし、初枝の受け取っていた年金もあてにしている。そこで、皆で家の床下に穴を堀り、初枝の遺体を埋めるのでした。
ここまでで、実はこの「家族」は、他人の集まりであるという驚くべき事実がわかってきます。信代は暴力をふるう夫を、知り合いだった治の助けで正当防衛として刺殺した過去があり、たまたま初枝のもとに転がり込んだのでした。
亜紀は、初枝と離婚後に元夫が再婚してできた孫。出来の良い妹への対抗心から、家出して初枝と暮らすようになったのです。初枝はときどき亜紀の実家を訪れ、亜紀の両親からお金をもらっていました。祥太は、パチンコ店の駐車場で車に放置されぐったりしていたところを治が連れ帰ったのでした。
治は祥太を連れて車上荒らしを行いますが、祥太はすでに所有者がいるものを「盗む」行為には納得ができない。そして、りんとスーパーで万引きをする時、わざと見つかるような盗み方をして逃走、陸橋から飛び降りて大けがをするのです。
祥太の存在が警察に知られ動揺した治と信代。残された4人は夜逃げしようとしますが、ついに逮捕されました。
りんは本当の両親のもとに返され、また孤独な暴力にさらされる生活に戻されます。祥太は養護施設に移され、学校に通うようになります。亜紀は、初枝にとって「自分は金づる」だったのかという疑念を持ち、実家に戻りました。
信代は、こどもたちの誘拐、初枝の死体遺棄、そして年金不正受給などはすべて自分一人でやったことと供述します。取り調べの中で、「こどもたちはあなたを何と呼んでいたのか」と尋ねられると、流れる涙を拭いながら「何だろうね・・・何だろうね」と答えるのが精いっぱいでした。
しばらくして、埠頭でそろって釣りをする治と翔太の姿がありました。そして、二人で服役した信代に面会に行きました。信代は翔太に「あんたを拾った車は・・・」と詳しく説明します。「もう、わかったでしょう。うちらじゃダメなんだよ、この子には」と言うと笑顔で面会室を後にしました。
その夜、治のところに泊まった翔太は、「僕をおいて逃げようとしたの?」と治に尋ねます。治は「した。ごめんな。とうちゃん、おじさんに戻るよ」と答えます。帰りのバス停では、「ごめんね。僕、わざと捕まったんだ」と言ってバスに乗り込みました。走り出したバスを追いかける治に、翔太は声にならない声で「とうちゃん」と言うのでした。
そして、りんは・・・再び、マンションの廊下で一人。何かを、誰かを待つ日々でした。
この家族は、血縁関係でいえば赤の他人の集まりで、犯罪を通じての結びつきです。一般社会通念からは、当然正当化されるものではなく、是枝監督もこの家族を正当化するつもりはありませんし、万引行為を許容していることもありません。
このような関係がいつかは破綻することは、誰の目にも明らかで、治や信代にもわかっていたはずのこと。しかし、一緒に住んで互いを助け合うことによって、束の間の幸福ではありましたが、それは家族と呼べる形をとっていたことも間違いない。
前半で印象的なのは、全員で隅田川の花火を家の縁側に出て見るシーン。上からの俯瞰ショットで、全員が空を見上げて、さぞかし美しい花火が夜空を染めている・・・と思ったら、実は彼らには音しか聞こえていない。彼らには花火は見えていないし、実際映像にも花火は出てこないのに、まるで目の前に打ち上げられているかのように楽しんでいるところは、この家族の虚構性の見事に表しているようです。
それぞれが足りないものを他のメンバーから埋めてもらい、パズルが完成するようにまとまれば、それは家族と呼べるものなのかもしれません。治や信代のように、ずっと成長しない大人だけなら、もっと長続きした関係かもしれませんが、翔太だけは違いました。翔太は成長し、治たちの矛盾に気が付くのです。
この家族が永遠ではないこと、犯罪行為は悪い事だと思うこと、そしていつまでもこんなことをしていてはいけないということ。さらに、祥太はこれを壊そうと決心し行動しますが、そのことで傷つき、その上で「家族」を許容していく翔太の成長の物語でもあるのです。
是枝組としてはおなじみのリリー・フランキー、樹木希林は、ここでも抜群の存在感を見せてくれました。特に樹木希林は、是枝作品の要として無くてはならない存在で、ここでも入れ歯をはずして、いっそう年寄りじみた演技は絶品です。
そして、今回も子役二人が見事。こどもを操ることに関しては定評のある是枝監督は、例によって脚本は渡さずその場で演技をさせていくことで、実に自然な味を引き出すのです。松岡茉優ですら、演技をするとNGだが素に戻った瞬間にOKが出ると述懐しています。
そして、やはり一番は初めての出産後の最初の仕事になった安藤サクラが際立っている。是枝作品は初めての参加ですが、是枝カラーを完璧なまでに理解し作品の質を高めています。
後半の白眉は取り調べのシーン。取り調べる警察官の発言は、しごくもっともで、常識的には正しいことは明らかです。治も信代もそれに対して、反論はできません。
ここで、監督は安藤サクラに脚本は渡さず、その場で質問を投げかけるという子役に使う方法を実践しました。その場で、リアルな感覚としての反応は演技という枠を超えたもので、カンヌでも高く評価されたポイントでした。
ドキュメンタリー作家としてスタートした是枝監督の心の中には、絶えず社会問題を提起する意識が存在しているわけですが、是枝作品を順を追って見ていくと、手を変え品を変え「家族」というものを描いてきたことがわかりました。
血の繋がりだけでない家族の絆の様々な形を通して、監督は現代日本社会が抱えているいろいろな問題を、映画と言う枠組みの中に提示してきたのですが、しばらく続いたのが「海街ダイアリー」のように家族内の問題に焦点をあてたもの。
しかし、前作の「三度目の殺人」から社会性のある問題の上に「家族」をおくことにシフトして、この作品では、まさにこれらのテーマを集大成したかのような仕上がりになっています。
この映画では、正義とはいいがたい「家族」の行動を美化するわけではなく、内部崩壊させることで逆に家族の絆のようなものが見えてくるから不思議です。実際、りんの世間的には正義のある家族にこそ、絆が無くなっていることを辛辣に示していることは忘れてはなりません。
良い映画は、見た人がどこかで誰かとこの映画について語り合いたくなると思います。そして、賛否両論を語りたくなる余地を映画的にいろいろと残してあることが重要です。そういう意味で、この作品は是枝監督の代表作になりうる存在となり、国際的な評価にもつながったのだろうと想像します。