2019年4月21日日曜日

サバイバル・ファミリー (2016)

東日本大震災を経験した後では、もはやこの話を荒唐無稽なコメディとは呼ぶことはできません。次に、もっと大きな何かが起こった時、生き残るための知恵がつまった教科書のような映画です。監督はフジテレビ系の矢口史康で、もともとは2003年のアメリカ大停電をヒントに綿密な調査をして脚本も自ら担当しています。

ちなみにアメリカ映画で1979年公開の同名タイトルの映画がありますが、これとはまったく無関係。あちらは、船で冒険旅行に出発して遭難、無人島に漂着してサバイバルをするという話。

鈴木義之(小日向文世)は、東京のマンションに住むごく普通の会社員。仕事優先で家族のためにひたすら働いているんだからと、家ではこどものことは妻にまかせきりで、自分は好きにしているという、ある意味よくある現代風のお父さん。しかも、薄くなった頭を部分かつらでごまかしている。

妻の光恵(深津絵里)は、専業主婦。非協力的な夫のことはあきらめて、家庭内のことをきりもりするありふれた生活。長男の賢司(泉澤祐希)は大学生で、長女の結衣(葵わかな)は高校1年生。家族ではあっても、実際にはけっこうばらばらな今どきの家庭です。

ある日の事、何の前触れもなくすべての人工的なエネルギーが使えなくなったことから物語が動きます。電気だけでなく、ガスもだめ。乾電池もだめ。自動車も含めて、あらゆる交通機関がストップし、情報も入ってこない。

会社に歩いていくしかなく、やっとたどり着いても仕事ができない父。料理や掃除ができず、エレベータが使えずマンションの階段を上り下りする母。ストリーミングの音楽が聴けない長男。スマホでSNSが使えない長女。今まで当たり前すぎて、できないと考えたことなどないことが、日常から消えてしまいました。

慌ててコンビニとかで、水や食料、ろうそくなどを買い込みますが、何日たっても回復する兆しがない。大阪から西は大丈夫らしいという噂が広がり、人々はこのままでは死を待つだけと考え、西に向かって移動し始めます。

鈴木一家も、できるだけの水と食料を持って自転車で、鹿児島の祖父のもとを目指して出発します。車のいない高速道路を自転車で移動していくと、雨に打たれ風にあおられ、SAで野宿、川の水で下痢という、様々な困難が降りかかってきます。

途中でこの状況の中楽しそうな斎藤一家(時任三郎、藤原紀香、大野拓朗、志尊淳)と遭遇します。彼らは、自然の中で生きていく術をけっこう知っている達人でした。フィルム式のカメラを持っていて、汚れて疲れて呆然としている一家の写真を撮ってくれました。

名古屋で斎藤一家と別れると、なんとか大坂に到着。ところが、東京と同じように完全停止した通天閣の下で、ついに大ゲンカが始まります。「大阪までいけば何とかなる、俺にまかせろって言ったのはお父さんじゃないか」とつめよるこどもたち。「親に向かってその口の利き方は何だ」、「偉そうなこと言っても何もできないじゃないか」、と言い合う間に割って入った光恵は、「いいかげにして。とっくにわかっていたでしょ!! お父さんはそういう人なんだから!!」と・・・

やっとのことで岡山まで来ましたが、田園地帯でついに力尽きそうになった一家の目の前に豚が現れます。全員で力を振り絞って何とか仕留めますが、そこへ飼い主の田中さん(大地康夫)が現れます。一家は田中さんの家にしばらく逗留し、逃げた豚の捕獲の手伝いをしながら、久しぶりにまともな食事にありつき、そして風呂に入ることができました。

田中さんから大量の豚肉の燻製をもらった一家は、再び鹿児島目指して出発しますが、川にたどり着くと橋がかかっていません。戻るにも戻れない状況で、義之はいかだを作り始めます。最初に光恵と結衣を乗せて対岸に渡し、今度は自転車を運ぼうとしますが、重さに耐えられなかったいかだがくずれ、義之は水中に消えてしまうのでした。

賢司は、岸に流れてきた義之のかつらを拾い上げ母に渡します。残された三人は、仕方がなく線路伝いに歩くしかありませんでした。しかし、今度は豚肉を狙った野犬に襲われ、光恵が崖を落ちて足を骨折してしまいます。

そこへ何と蒸気機関車が登場し、三人は乗り込むことができました。光恵は応急処置をしてもらい、「お父さんは?」と尋ねられ結衣は号泣するしかありませんでした。しかし、奇跡的に助かっていた義之が、発煙筒をたいたのを見つけ、何とか拾い上げ家族は再び揃うことになりました。光恵はかつらを義之に渡しますが、義之は列車の窓から棄てるのです。

4か月近くかけて、鹿児島の漁村にたどり着いた一家。祖父(柄本明)の家に滞在し、完全自給自足の生活を始めることになりました。それぞれが、しっかりとした役割を身に付け、村全体が家族のように協力しあって、それはそれで楽しい生活が2年半続きます。

ある朝、不思議な音に気がついた義之は、外の物置の中で鳴りだした目覚まし時計を発見します。続いて、村の放送用のサイレンが鳴りだして、村人全員が起きだしてきます。全員が、いったい何が起こったのだろうという・・・それは、一斉にエネルギーが使えなくなったあの日と同じ反応でした。

結局、停電の間の記録が何も無いため、原因は不明ですが、この現象は世界中でおきていたことで、太陽フレアの影響であろうと想像されました。東京に戻った一家は、また元の生活を再開しますが以前とは違います。義之は通勤に自転車を使い、光恵は魚をさばけるようになり、賢司は自らギターを持ち歩き、結衣も手芸をしています。そこへ一通の手紙が届き、中には斎藤さんに撮ってもらったあの時の写真が入っていました。

初めは電気が使えないことによるコメディに笑いますが、実際に大震災を経験・・・とは言っても、被害地域の一番端っこですけど、いろいろな制約を受けた生活をしてみると、こういうことができないんだとか、こういうことが必要なんだとか、そしてこうすれば生きていけるんだと思わず納得することばかりです。

それを感じさせるのが、徹底したリアリティを追求した映画作りが元になっていることは明らかです。そのために、オール・ロケ、CGなしで作られ、俳優陣も相当過酷な演技を強いられたようです。

さすがに東名高速は無理だったようですが、地方の道路を実際に通行止めにしての撮影はすごい。ゴミが散乱し誰もいない都会の様子なども、相当頑張っていると思いました。また、意図的に感情をコントロールできる音楽がほとんど使われていないことに驚きます。見たままに感じて欲しいという監督の意図が、そういうところにはっきりしているのです。

自分もそうなりそうな悲惨なサバイバル生活で、光が見えない重苦しい展開のはずですが、一家をリードする父親として義之が成長していく姿、そしてバラバラだった家族がまとまっていく過程が映画全体のバランスをうまく保っています。

そしてラスト。電気が復旧した時、一気に喜びを爆発させる・・・と思いきや、意外と不安げな表情をするところは、実にうまい演出です。村で自然と共生して生きていくことに、大きな喜びを知った一家にとって、これからどうなるのかという逆の不安がよぎってくるのです。

でも、そのまま漁村での生活を続けるのではなく、あっさりと東京に戻るというのは現実的。いや、そういう生活しか選べない現代人の不幸なのかもしれません。写真に写った一家の姿は、まさに自然を無視してきた人間のエゴの象徴ですし、そして明日の自分の姿かもしれません。