季重なりとは、一句の中に季語が二つ以上含まれるものを言います。一般には、主題が曖昧になるため、避けることが望ましいと言われています。
目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂
「青葉」は三夏、「時鳥(ほととぎす)」は三夏、「初鰹」は初夏の季語
季語はどこかに公式認定機関があるわけではなく、この言葉は何となく季節を象徴すると考えて使う俳人がいて、それに監修者・編集者・執筆者が同意して歳時記に収載することによって一般にも季語として認知されるようになります。
ですから、歳時記によっては季語として載っていたり載っていなかったりとバラバラの事もあるし、場合によっては季節が異なることも無いわけではありません。確かに近代的な歳時記が整備された昭和の時代以降、特に歳時記による足かせは強くなった感は否めません。
俳諧に特化して歳時記の名称を最初に冠したのは、1803年の曲亭馬琴の「俳諧歳時記」です。曲亭馬琴は「南総里見八犬伝」の作者として有名ですが、俳諧師というより今で言う小説家、脚本家です。「俳諧歳時記」には2600季語が収載されました。
その後旧暦から新暦への変更などにより、様々な混乱を経て近代的なまとまった歳時記は1933年の改造社の「俳諧歳時記」が始まりとされます。編者は山本三生で、俳人ではなくどちらかと言うと短歌中心の文学者です。
改造社版にも携わった高濱虚子が1934年に編纂した「新歳時記」は、作句のための実用的な最初の歳時記で、増改訂され現在も販売されています。1940年には、説明を簡素化し携帯に便利なように小型化した「季寄せ」も刊行されました。正岡子規から「俳句」を継承した虚子のこれらの業績が、ある意味「俳句」を窮屈にした部分と言えなくもない。
最初のすべての季語を網羅しようとして刊行された大歳時記の先鞭をつけたのは、角川書店の1964~65年の「図説俳句大歳時記」で春・夏・秋・冬・新年の5分冊。A4サイズで各巻500ページ前後、鳥の鳴き声を収録したソノシート(薄いビニール製のレコード盤)が付属していました。定価が一巻5000円前後ですから、全巻揃えると当時大卒初任給丸々1か月分かそれ以上の給料が必要という感じ。
話を季重なりに戻します。ですから、明治期に活躍した正岡子規の時代には、季語について今ほど厳格ではなかったわけで、子規の句には季重なりはけっこうある。それは、子規が季語を気にしていなかったとか、わざと季語を重ねて作ったとかではなく、当時は季語としてあまり認識されていなかった言葉が多かったのではないかと思います。
あたゝかな雨が降るなり枯葎 正岡子規
「あたたか(暖か)」は春、「枯葎(かれむぐら)」は冬の季語
現代で考えると、実生活は新暦、歳時記は旧暦という暦の不一致のせいで、まだ真夏の暑さが続いているのに立秋を過ぎると秋と言われても違和感があります。自然と、季節の異なる季語が混ざってしまう(季違い)ことだって普通にある。
実は、芭蕉は「季重なりはかまわないが無理に作らないこと」、虚子も「主題が明確なら季重なりはかまわない」としています。初心者のうちは、まずは一つの主題に絞る方が、たった17文字しかない中で表現しやすいということでしょう。自分が感じた思いを詠んだら、偶然に季語が複数入っていた場合は、季語の持つ言葉の力の主従がはっきりとしているならば恐れずに「できた!!」と叫びたいものです。