俳句は、たった17文字の中に、作者の言いたいことを込められるか、そしていかに読み手に情景をイメージとして伝えられるかがポイントです。
そのために吟行とよぶ、散歩あるいは旅行などをして俳句になる実体験をすることが推奨されます。適切な時期に適切な場所に自由にでかけられるならいいんですが、なかなかそうもいかない。
そういう自分のような者には、写真というのは大変心強い味方になってくれる。幸いなことに、若干写真の趣味もあったりするので、過去に撮影した写真をあらためて眺めてみると俳句になりそうな景色などが見つかったりします。
実体験でも同じことが言えますが、写真から俳句を考える時のポイントは、まず写真の景色・状況を描写することからスタートします。ただし、「美しい広い草原と青い空」みたいな内容だけでは俳句とは言えません。
次に大事なことは、写真に写っていない時間や空間を描き込むことです。まぁ、そんなことをやってたら、とても17文字では足りないと言ってしまえばそれまでですが、それらを読者に想像してもらい補うことで俳句として完成するということ。
・・・と、理屈はわかるんですが、やはり難しい。
写真という固定したイメージは、そこから語りたい情景も自由が効きにくくなります。自分で撮った写真の場合は、「綺麗だ」とか「かっこいい」といった撮影時の感覚を引きづってしまいます。お題として写真が出された場合は、誰もが同じような感想を持ち類想・類句となりやすいものです。
あくまでも、写真をきっかけに自分の記憶の底から何かをほじくりだせるか、そしてそこからできた句が写真とかけ離れなかったかが勝負というところ。
どこにでも、ありそうな小規模な滝の写真です。「滝」は年中ありますが、涼し気なので夏の季語とされています。必然的に滝を見て想像するのは、「涼しさ」、「マイナスイオン」、「滝行」、「水しぶき」とか、大きな滝なら「瀑音」などで、やはり似たようなイメージになりがち。
一キロと聞けば滝道引返す 稲畑汀子
稲畑汀子は最近亡くなりましたが、結社「ホトトギス」を率いた俳句界の重鎮。滝そのものではなく、せっかくここまで来たけど、まだ1キロもあると聞いて、あきらめて引き返すという、いかにも「あるある」な状況がよく伝わってきます。
さっそく、練習してみます。この滝は檜原村にある払沢(ほっさわ)の滝で、唯一東京で選ばれた「日本の滝百選」の一つ。冬は氷結することで有名。
払沢に滝響くより子らの声
「~に」という助詞は場所を限定するわけですが、写真が払沢だとわかる人には地名を使うのは5文字丸々無駄遣いです。逆に知らない人には、景色が思い浮かびません。全景をイメージできる別の言葉を使った方が良さそうです。
「響く」という動詞に比較の助詞「より」を付けるのもおかしい。本来は「響く音」とすべきところを省略したわけですが、「響く」とくれば「音」でしょうから、入れるとくどいし字数も合わなくなります。
このように、一度作られた句を、もっと良くするために「あーでもない、こーでもない」と直していく過程を「推敲(すいこう)」と呼び、大事な作業です。
森ひらけ響く滝より子らの声
森の中を行くと、ひらけたと思ったら、見事な滝があった。水が落ちる雄大な音がするが、それよりも喜んで歓声をあげる子どもたちの声がよく聞こえた・・・という内容です。ですが、やはり「より」が気になります。
森ひらけ滝音にまさる子らの声
少しましになったように思いますが、まだまだパッとしない。どうも発想力とボキャブラリの不足を解消しないと無理かもしれませんが、一朝一夕にはいきませんね。