2022年8月15日月曜日

俳句の鑑賞 5 終戦記念日


昭和20年、1945年8月15日は、第二次世界大戦で、日本がポツダム宣言を受諾し天皇陛下による終戦の詔勅が宣布された日です。以来、8月15日は、戦争が終結した日、そして日本が敗戦した日として、毎年この体験を後世に伝えるべく記念日となっています。

俳句の世界では、戦後この「終戦記念日」は当然のように初秋・行事の季語として認められるようになりました。傍題としては「終戦の日」、「終戦日」、「敗戦日」、「終戦忌」、「敗戦忌」などが使われています。

8月6日の「広島忌」、8月9日の「長崎忌」、両者を合わせた「原爆忌」などと合わせて、多くの俳句が作られています。

しかし、俳句の世界も世間一般と同じで、敗戦になるまでは愛国精神を詠ったものも少なくない。敗戦までは、大本営発表を鵜呑みにして、ほとんどの日本人は疑うことなく戦争に突き進んでいたわけです。しかし、敗戦と同時にすべての価値観がひっくり返る。戦争の悲惨さ、非人間性をテーマにする俳句が数多く生み出されることになります。

戦中に、戦争の本質を鋭く指摘する俳句を作っていた俳人の一人に渡辺白泉がいます。

戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉

銃後といふ不思議な町を丘で見た 渡辺白泉

玉音を理解せし者前に出よ 渡辺白泉

廊下と言う日常空間、しかし壁と天井と床に囲まれた狭い窮屈な空間。おそらくその先には扉があって、開けると会議室で誰かが戦争のことを議論していたのかもしれません。自分は廊下を前に進むしかなく、戦争と言う不気味な存在に向かってどこにも逃げ場がない状況を見事に詠みあげました。

句自体は季語が無く無季定型という形式ですが、戦争という季節を越えた一時代を象徴する言葉は、季語に匹敵する強さを持っていることは間違いありません。また客観性が少なくなりやすく俳句では避けられやすい擬人法によって、戦争を人が起こすことであることをしっかりとらえているようにも思います。

俳句が17文字の映像詩という側面を持つ以上、実際に戦争体験を持たない自分たちは記憶の中に戦争の信実を見出すことができず、作句をしてもあくまでもまた聞きの話を基にするしかありません。

ウクライナのように現実に戦争の渦中にある国がありますが、正直に言えば対岸どころか、海の向こうの火事です。多くの情報がリアルタイムに伝わる時代になっていますが、あまりに多い情報は逆に多くの間違いも含んでいると考えないといけない。

戦争を実体験した方々が、だんだん亡くなっていなくなってきた今、我々にその本質を未来に伝えることはできるのでしょうか・・・