2022年8月21日日曜日

俳句の鑑賞 7 小林一茶

現代で「いっさ」と言えば、Da PumpのISSAですが、お父さんが小林一茶が好きでつけた名前で本名は一茶らしい。

それはともかく、江戸時代の俳諧師で芭蕉、蕪村に次いで有名なのが小林一茶で、1763年、長野県信濃町の比較的裕福な農家の長男として生まれました。3歳で母と死別し、8歳の時に父親が再婚。ところが、一茶は継母に馴染めず弟が生まれたことで関係は破綻してしまいます。

父親は一茶が15歳の時に江戸に奉公に出してしまいますが、一茶はしだいに俳諧に興味を持ち徐々に知られるようになります。39歳の時に父親が亡くなり、継母・弟との間で泥沼の相続問題が生じました。

何とか和解にこぎつけたのは13年後で、一茶は故郷に定住し初めて結婚します。しかし、生まれた4人のこどもを次々に幼くして亡くし、妻にも先立たれ、再婚するもその相手も亡くなります。再々婚したものの一茶自身も65歳で、辞世の句を残すことなく急死しました。

比較的、都会的な精錬されたものと言うより滑稽な風味のある田舎調の句が多く、現在に至るも独自の世界が根強いに人気を博しているポイントのようです。また残した句の数は2万を超えるのも驚きですが、一瞬の閃きで作句するスタイルから駄作も多いと言われています。


名月を取ってくれろと泣く子かな
 小林一茶

これは誰もがきいたことがある有名な句。

我と来て遊べや親のない雀 小林一茶

これも有名です。実母に死なれて淋しかった少年時代を詠んでいます。

椋鳥と人に呼ばるる寒さかな 小林一茶

梅が香やどなたが来ても欠茶碗 小林一茶

めでたさも中位なりおらが春 小林一茶

やせ蛙まけるな一茶これにあり 小林一茶

これらは、貧乏生活していた若い頃の状況。椋鳥は田舎者という意味。カエルの喧嘩を見て弱そうな方を応援するのは、自分の境遇に重ねている。

これがまあつひの栖か雪五尺 小林一茶

やっと相続問題が解決して、信州に永住を決意した時の句。

陽炎や目につきまとふわらひ顔 小林一茶

こどもを次々と失った悲しみを詠んでいます。

ネットに全句を掲載しているサイトもあったりしますので、根性があるならじっくり眺め倒すことが可能ですから、一茶ワールドに浸りきってみるのもありですね。