愛媛県松山市に生まれた正岡子規は、父親が5才の時に亡くなったため、儒教学者であった祖父の私塾に通い漢文の素養を身につけます。旧制松山中学(現・松山東高等学校)に入学するも、漢文や英文を学ぶため共立学校(現・開成高等学校)に再入学しています。
司馬遼太郎の代表作の一つ、「坂の上の雲(1969-72)」の三人の主人公の一人が子規でした。維新によって一気に世界が開けたことによる若者たちの高揚感がみずみずしく描写され、小説とはいえ松山時代の子規を知る足掛かりとなっています。
松山市立子規記念博物館の俳句データベースを検索してみると、おそらく最も古い作句と考えられているのは、12~16歳のもので、
山路の草間に眠るきりぎりす 正岡子規
秋の季語である「きりぎりす」を用いた有季定型句です。きりぎりすは、昔は漢字だと蟋蟀(こおろぎ)と書いていたので、あえて区別するために平仮名にしているのかもしれません。ただ、「山道の草の間にきりぎりすがじっと動かずにいたので眠っているのだろうか」という、そのまんまの内容以上のものではなく、僭越ながら凡人句と言ってよさそう。
東京に出て東大予備門に進学した子規は、夏目漱石らと知り合い、俄然俳句創作に意欲が出ます。18歳の子規が詠んだ句は、滑稽味のあるものが多く、昔ながらの俳諧の趣を残しているように思います。俳諧の「諧」は、もともと滑稽という意味でした。
ねころんで書よむ人や春の草 正岡子規
ぬす人のふりかへりたる案山子哉 正岡子規
初雪やかくれおほせぬ馬の糞 正岡子規
白猫の行衞わからず雪の朝 正岡子規
興味深いののは次の4つの句です。
窓あけて顔つきあたる夏のやま 正岡子規
窓あけて鼻の先なり夏のやま 正岡子規
窓あけて顏つきあたる前のやま 正岡子規
窓あけて鼻の先なり前のやま 正岡子規
上五は共通ですが、窓を開けると山並みがすぐそこにあるという感慨を詠んだものですが、より間近ということを中七で「顔つきあたる」とするか「鼻の先なり」とするか、そして眼前の山々を「夏のやま」とするのか「前のやま」とするかで自ら推敲しています。
「顔つきあたる」と「鼻の先なり」では、鼻の方がよりすぐ前にあるような印象を受けます。とはいえ、「前のやま」を続けると「先」と「前」で似たような表現が重なるのはいただけない。
また、「夏の山」は季語ですが、「前のやま」とすると無季になってしまいます。また「夏」の一言が入るだけで、空気感も伝わってきます。自分としては、「窓開けて鼻の先なり夏のやま」をベストに選びたいと思いましたが、子規自身はどう思っていたのでしょうか。